嫌いなYoutubeコメントの話
はじめに
コメントなんて言うのは本人が勝手にすれば良いもので、本人や投稿者がうだうだ言うのは道理が通っているが部外者の僕が批判するのは正直間違っていると思います。それを理解した上でのこのnoteであることは念頭にお願いいたす。
また、すべて僕個人の感想であることもお忘れなく。
嫌いなコメント
①動画を見ただけで人柄を褒めるコメント
「12:09(タイムスタンプ)ここ、○○してる/〇〇って言える○○さんすごい。○○さんの性格の良さ(人柄を褒めるコメント)が出てる」
のようなコメントのこと。
なぜ、動画を見ただけなのに、その人と直接話したわけでもないし長く付き合ったわけでもないのにそんな深いところまで分かったようなコメントが出来るのかが理解できない。
それはただ「その動画のその時間に○○さんという人間がその行動/言動をした」という事実だけを証明するだけで、別に○○さんの人柄まで推察できるようなものではない。
彼らは自分のエゴで「○○さんはこうあるべきだ」という先入観による人格像を相手に押し付けている。こういう輩がいざその○○さんが不祥事を起こしたときにさも自分事のように○○さんをtwitterで批判するのだろう。
めちゃくちゃ限定的な例があるのでそれを挙げると、投稿者の
「ジェンダーの多様性に配慮した言動」
と
「「嫌い」を「苦手」と言い換えただけの表現」
に対しての称賛コメントがある。
多様性に関しては、ただその人がそういう考えというだけで、それだけで「すごい」とか「良い人」などと言うのは個人的には違うと思う。
「多様性に配慮しているから良い/美しい」みたいな感性が理解できない。
後者に関しても「苦手も嫌いも同じだろ」と思う。どうして「嫌い」は駄目で「苦手」は配慮が出来ていると評価されるのだろうか。
ネットで調べると、嫌いは本人による完全な否定に感じ、苦手はまだ本人(苦手と言った人)に克服の余地があるように聞こえるらしい。この感じ方が、果ては相手への配慮に繋がるというのだ。
多分これは僕の感性の方に問題があるのだろうが、僕は「嫌い」にそんな強い意志もないし、「苦手」に表面的に優しい配慮もない。どっちも同じだ。
捻くれた捉え方をすると、嫌いを苦手と言い換えることによって、「自分は配慮できてますよ」という魂胆が見えて仕方がない。どっちにしろ嫌いなのに、”臭い物に蓋をする”ではないかもしれないが、自分への批判を避けるために半分嘘を吐いているようにしか感じられないのだ。
ちなみにこの類のコメントはYoutubeにはいくらでもあるが、特に多いのは芸人の動画である。
②内輪が過ぎるコメント
これは①と多少被るところがある。
この内輪というのは、コメント欄だけの内輪ノリではなく、投稿者と視聴者の間の内輪ノリのことである。
具体的には「投稿者のことを多くの視聴者が”普通の人間ができることでも”めちゃくちゃに褒めて、数少ない批判コメントに対して”特に根拠もなく”否定のリプを送っちゃう」的な状況のこと。
このコメントをする奴らも、投稿者を神格化しているので、投稿者の「悪い所」が(見たくないので)見えないのである。
これも①と同じく芸人さんの動画に多い。
③おじさんにかわいいと言ってしまうコメント
これも①や②と似通ったところがあるかもしれない。
これは投稿者に対してなんでもかんでも、かわいい・愛くるしい・きゅんとした、というカロリーの高い言葉を投げつけてしまうコメントのこと。
そもそもかわいくない。これは自分が男だからかもしれないが、男に対して「かわいい」と言うその感性があまり理解できない。
僕は「現代人の「かわいい」は「自分より弱そう」という意味」論者なので、相手を見下した自分の心をかわいいという万人受けする表現を使って隠しているのではないかと邪推している。
かわいいコメントは個人宛とコンビ宛の2つのパターンがあり、上のは個人宛のパターン。
コンビ宛のかわいい、というか「二人のやり取り微笑ましい」の類のコメントは、①と通ずる気持ち悪さがある。
つまりはそんな1,2回のコミュニケーションだけでどうしてその人たちの関係性まで予想できるのか、という話である。
このコメントもYoutube上では数多あり、特にどこということはなく普遍的に存在している。
④長い自分語りコメント
これは重い題材の動画に多い。
例えばいじめに関する動画の、「私も○○された経験があって云々」というようなコメントである。
これに関しては「長い」というのがポイントで、1行2行程度の自分語りの上で動画の内容につなげるようなものであれば何も問題はない。
ただ、長い上に特にオチもないコメントは僕的には無理だ。
もちろんそのコメント主の経験談を嘘だとは思ってない。しかしその経験をコメントで曝け出すという行為によってあなたの経験やその時の感情の価値が落ちてしまうぞ、とは思う。
どうしてかというと、僕が「誰かに伝える」という行為に対するハードルをめちゃくちゃ上げているからである。コメント主が曝け出したその「悲惨な経験」を、結局は話せるくらいには「悲惨ではなかった経験」だと感じてしまうのだ。
だからその経験の価値が下がってしまう、と述べたのだ。
それに、その経験をコメントしたとてあなたの過去の経験を改善させるようなことは起きないのだ。
そこまで嫌いじゃないコメント
⑤喧嘩コメント
よくある「動画への批判に対するリプ、に対するリプに対する……」のこと。
投稿者や大勢の人にとっては「うわ……」と嫌な気持ちになってしまうこのコメントだが、個人的にはそうでもない。良い気持ちにはもちろんならないが、見ていて極めて不快だ!ということもない。
彼らは彼らなりに自分の感情や考えを一生懸命コメントとして相手に伝えようとしているのだ。その姿勢が何だか自分には不快に感じなかった。
とはいえ、彼らの批判には特に大した根拠がないものが多いので、そこはマイナスポイントである。その点が彼らの必死さと伯仲してプラマイゼロといった感じである。
⑥スパムコメント
2024年現在はまるっきり見なくなってしまったが、一時期大量に溢れていたリプ欄にしか登場しないエ〇コメのこと。
偶に面白いのがあって好きだが、うざいという気持ちも分かるので好きでも嫌いでもない。
⑦繰り返しコメント
コメント数の少ない動画やショート動画でよく見るコメント。
「うおーすごい」とは思う。がべつに不快感はない。
好きなコメント
⑧『もう赤』系コメント
大好き。ただ投稿者や一部に人にとってはかなり不快だとは思う。
対して褒められた行為でもないのにどうして好きかというと、彼らが自分のプライドを捨てて感情を曝け出してコメントをしているからだと思う。それか、そのコメントをしてもコメ主になんの良影響がないから。単純に面白いというのもあるだろう。
ただし、もう赤というコンテンツが著聞した結果、質の悪いとりあえずもう赤コメも大量生産されてしまったのは少し悩ましいところではある。
⑨タイムスタンプコメント
これは有能。当たり前かもしれないが、基本的に10分程度がそれ以上のの動画につくコメントで、その動画の面白かった/見所であるタイミングをクリック1つで見ることができるので、非常に助かる。
特に、昨今のVtuberの切り抜き動画は動画タイトルの場所が最初に来ないことがほとんどなので、動画タイトルやサムネに惹かれて(それを見たいという目的だけで)動画を開いた時の、「○○:○○(タイムスタンプ)サムネ」などのコメントは最高である。
おわりに
もう一度言うが、これらのコメントは別に悪いことではないし、そもそも悪いことだと決めるのは投稿者であることは念押ししたい。
ただ”僕が”気に入らない/普通/気に入ったコメントをあげていっただけである。
今回自分が何故不快に感じたのかということの言語化が難しいので、また同じ内容をあげるかもしれない。
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