見出し画像

運命の人は、コロナだった。

その日も、「いつもの朝」のはずだった。

2023年7月21日、午前5時40分に起きた。いつもバイトのある日は、この時間に目覚まし時計をセットしている。
ベッドから起き上がって、まずトイレに行ってから、お弁当作りをする。
・・・のだが、なぜか体が動かない。
そう、動かない。トイレには行けたのに、そこから体が動くことを拒否して、動いてくれなくなった。
「あかん、これ、また来たわ。」と思った。
私は肩こりが酷くなると、頭痛と吐き気が止まらなくなる症状が出る。
それが、また来たと思った。
だから、会社に連絡して、お休みを貰った。一日休めば、体は元に戻ることを長年の付き合いで分かっていたから。
お休みは貰ったが、そんなレベルのものではなかった。でも、その時はまだ、この原因を肩こりだと思っていたので、甘く考えていた。


バファリンを飲む。

休みの連絡を入れた後、本格的に頭痛が始まった。ガンガンというよりズキズキという頭痛が、内側からトンカチで殴られたようにやってきては、治まるを繰り返す。
そして、待ってました!とばかりに、吐き気をもよおす。
時間が経って、横になっていれば、楽になるかと思ったが、一向に楽にならず。だから、最後の手段、バファリンを飲んだ。私は、普段からあまり薬を飲まないようにしている。本当に辛いとき、効き目が悪くなるからだ。
でも、その時は、限界だった。だからバファリンを2錠飲んだ。
30分後、スーッと体が楽になった。
朝食も、納豆も白ご飯も卵焼きも食べられた。台所に立って、卵を焼けたのが楽になった証拠でもある。
「バファリン、神~♪」と思った。
でも、悪魔は去っていなかった。


地獄が始まる。

バファリンを飲んだのが、9時過ぎ。9時26分には、楽になったとメモに書いていた。
10時には、今からでも、仕事いけるかもと思ったりした。
でも、12時を回った辺りから、また体がだるくなった。
しんどい。体が動かない。ただただ、しんどい。
ソファから立ち上がることさえ出来ない。ベッドに向かう気力さえない。
15時過ぎに、その日、二回目のバファリンを飲んだ。
30分経っても、楽にならない。全く効かなかった。
そして、物凄い寒気が襲ってきた。クーラーをつけられない程の寒気。
「これ、違う。」これは、肩こりから来る症状じゃないと思った。
それで、姉と母にラインで、「助けて。これいつもと違う」と助けを求めた。
母が来てくれた。体温計と氷枕と冷えピタとお粥とリンゴとスイカとアクエリアスを持って。
この家に体温計がなかったから、持ってきてもらった。実家から。
熱を測ると、38.5度。
「マジか・・・・・・。」
この時、全く頭に浮かばなかった、コロナの文字。
姉にラインで38.5度あったわと言った時に、姉に「コロナかどうか調べな。」と言われて初めて気づいた。
心の中で自分がかかるわけないと思っていたのだろう。
どこから来るねん、その自信は。
冷えピタをしたら、生き返ったみたいに「ふや~」ってなったので、
夜にお粥一人前食べられた。デザートにリンゴも食べられた。
時間が経って、体を冷やすためにスイカも食べた。
スイカ、凄いわ。体の熱が下がっていくのと同時に水分補給にもなるから、体が楽になるのが、分かる。
そして、大好きな玄米茶も、美味しく飲めた。
でも、22時11分、熱が39.5度まで上がった。
夜、22時30分過ぎに、仕事を終えた姉が簡易検査キットを持って、来てくれた。
姉は、介護施設で働いているため、検査キット山程支給されるそうだ。
結果は、陰性。
なんじゃ、コロナ、ちゃうんかい!
じゃあ、これはクーラー病か?
その日の夜中、熱でうなされて、1時間ごとに目が覚める。寒気もある。
寒気があるということは、まだ熱が上がりきっていないということ。
まだ、これ以上上がるのかと思ったが、39.5度を維持したままだった。


コロナを甘く見るなってことか?

闘病2日目、まだ、コロナ陰性で、ただのクーラー病だと思っていた日である。
早朝4時24分、熱がやっと37.4度になった。
でも、その日から、リンゴとスイカのオンパレードとなった。
その日の朝、昨日の残りのリンゴを食べる。食べられた。
その日の昼、13時、お粥を体が受け付けなくなった。口に入れようとしなかった。右手が。体が全身で拒否しているようだった。
でも、リンゴは食べられた。昼もリンゴ。
吐き気は常にあった。でも、波があり、無視できるほどの吐き気などさほど気にも留めていなかった。
2日目の熱は、ずっと37度台で、上がることはなかった。
熱は治まってきたと思ったのに・・・・・・。
3日目、ほうじ茶が飲めない。玄米茶が飲めないというよりも、飲みたいと思わない。でも、麦茶は飲めた。味の薄いお茶は受け付けるようだった。
7月23日、3日目の朝、6時57分、熱は36.8度。あってないようなもんである。
なのに、その日の昼、11時42分、熱が38度まで上がった。
熱さまシートで、12時21分、37.2度まで下がった。
寒気はなかった。吐き気はあった。
この日も、食べたのは、リンゴとスイカ、そして、カルピスのアイス。
飲んだ物は、麦茶。アクエリ。
アクエリは、一口。濃くて飲めなくなっていた。でも、塩分を取っていないため、無理にでも飲むようにはしていた。
7月24日、4日目。
あまりのしんどさにこれは、プロに診てもらおうと、4日目で初めて病院に行った。
関係ないことだが、私は医者を信用していない。過去、救急車で運ばれたとき、30分以上ほったらかしになった挙句、そこにいた医者どもは、患者(私)を診ることは一切なく、パソコンの画面ばかり見ていた。馬鹿なの?
書こうかどうしようか迷ったけど、書いておきます。
そこの病院名は、尼崎総合医療センター。ヤブしかいませんぜ、ここ。気を付けなはれや。
8時21分、7.1度。
4日目のこの日、吐き気が無視できない程、襲ってきた。
そして、熱が38度まで上がっていた。
朝9時に、家から一番近いクリニックに、熱が出ても、診てくれるとホームページに書いてあったので、辛い体を引きづって行くと、一見さん、お断り。だったら、書いとけや!! 入り口にも、ホームページにも!!
あほか。
歩いて20分のところにある昔からある個人病院は、一見さんでも診てくれた。
コロナ陽性。
なんじゃ、そら。検査キットが、全く当てにならないことを思い知った。
病院から戻って、処方された薬を飲んだ。吐き気止めと熱が下がる薬。
いや~、医者が処方する薬は、的確ですな~。
自分の腕だけで何十年もやっているお医者さんは違うわ。
どっかの機械だけに頼って医者やとふんぞり返っている奴らと違って。
吐き気がみるみる治まり、14時19分、お茶漬けを食べることができる。
お茶碗に軽く一杯の白ご飯と、びっくらこんの塩昆布で。
お茶漬けって言っても、お茶じゃなく、お湯やけど。
その日の夕方、やっと下痢になってくれた。
私の経験上、下痢になったら、熱はもう出ないし、吐き気も頭痛も治まるの。下痢で体が元に戻ろうとするから。
あくまでも、私の場合です。3回目で水下痢になったときは、笑いが出た。
でも、これで終わらないのがコロナなのである。


本当の地獄が始まる。

7月25日、5日目。11時30分、35.8度。平熱になった。
リンゴとスイカ、そして、じゃこめしを食べた。
何か、頭に突然浮かんだ。じゃこめしが食べたいと。
普通に食べられた。
でも、ほうじ茶が飲めない。
麦茶を飲む。
まだ、濃いお茶が飲めない。でも、この頃から違和感がある。
何かがおかしい。
それに気づいたのが、発症から1週間目の7月27日。
ニオイが、鼻につくのに気づく。
初めはほうじ茶だった。沸かしたてのほうじ茶の香りを嗅いだ時に、ん?と思った。
何か、変だと。
鼻を通る匂いが、ほうじ茶のニオイではなかった。
何か、変なものと混ざったようなニオイがした。腐ったようなニオイに近かった。
その頃には、処方された薬が効いたのか、吐き気は完全に治まっていた。
その代わりに、ニオイが鼻につき始める。
そして、なぜか、熱の花が、出て来た。これは、5日程で治まった。熱の花のピークは出て来てから3日目で、何かを飲む度にしみて、厄介だった。
そのニオイの異様さがはっきりと分かったのが、7月30日。久しぶりの出勤の日、喫茶店の前を通った時に、いつもはコーヒーのいいニオイがするのに、その日からは、コーヒーのニオイではなく、腐った卵がコーヒーと混ざったような匂いがずっとするのである。
だから、昼休憩の時にコーヒーが飲めなくなった。
朝の喫茶店のニオイは勘違いだと思ったが、昼休憩の時に、隣に座った人がコーヒーを飲んでいた。そのニオイが朝のニオイと全く同じだった。
腐っているニオイ。
自分で確かめてみようと思い、コーヒーを手にした時に、分かった。
嗅覚障害が起きていることに。
香りが強いお茶が飲めないのも、きっとこのせいである。
買ってしまったから取り合えず飲んだ。
飲んだら、味覚に切り替わり、コーヒーの味がちゃんとする。
つまり、味覚障害は起きていない。
だから、食べ物の味に異常がなかったことに気づく。
前に、ニュースで、コロナにかかって、1年以上味覚障害になっていると言っていた女性がいた。
この嗅覚障害が一生続いたら、私は、命を絶つと思う。
大好きな玄米茶が、飲めなくなるなんて、地獄でしかない。
この世に何の価値もない。
そう思った。いつ治るんだろう? 治るんだろうか?
7月31日。出勤時のコーヒーのニオイはまだ腐っていた。
私は、水筒にお茶を入れて持って行っていたが、その日から水にした。
無味無臭の水。安心して飲めた。
それと同時に、今まで出てこなかった咳が本当に堰を切ったように出始める。一回出始めると、しばらく止まらなくなる。苦しい時間が続いた。
食べ物は、白ご飯も味噌汁も野菜炒めも普通に食べることが出来たので、それだけは助かったと思った。
でも、大好きな玄米茶のニオイが嗅げなくなったのが、辛かった。


ある日、突然。

8月5日、発症から2週間あまり。鼻をすすったときにまとわりつくニオイがなくなった。紅茶の香りは正常に戻った。紅茶の香りがちゃんとする。ウーロン茶も飲めた。コーヒーはまだダメだった。ほうじ茶もまだだった。
もちろん、玄米茶もダメだった。
でも、発症から3週間後の8月12日。朝出勤時、コーヒーの匂いがした。
コーヒーのいい香りがちゃんと、鼻を通った。
治ったかもしれないと思い、昼休憩の時にコーヒーを買ったら、ちゃんとコーヒーの匂いがした。鼻から抜けるコーヒーのニオイも異様ではなかった。
玄米茶も飲めるようになったのか?
家に帰ると、玄米茶も試した。
玄米茶が入っている急須にお湯を入れた瞬間、玄米茶の匂いがふわっと香ってきた。
「やったー!!」
勝った!! コロナに勝ったのだ!
それからは、精神的に落ち着いて、咳もあまり出なくなっていた。
コロナに、勝ったぞ!

ここで、言いたいことがある。
7月後半の占いで、水瓶座は、18日から23日の間に運命の人や物に出会うとあった。
コロナが運命の物(菌)だったのか?
嬉しくない。


あ、あれだ。

私が、なぜ自分はコロナにかかるわけがないと思っていたのかというと、強迫性障害の一つ、洗浄強迫を持っているからである。
何かのきっかけで、「手、洗わなきゃ!」と思うと、もうそのことしか考えられなくなり、手を洗っても、まだ洗えていないと思って、何度も手を洗うのを繰り返す。
手が洗えない状況のときも想定しており、常に除菌ティッシュを持ち歩いている。常にどこに行っても。
もし、手元にある除菌ティッシュが切れたら、パニックを起こす。前に一度起こした。その病気を持っているから、かからないと思った。
でも、何でだろう?って思った時に、ふと頭に浮かんだ場面がある。
仕事中、余りにも目が痒くて、いつもなら除菌ティッシュで手を拭いてから目を触るのに、その日は、痒さのあまり、そのままの手で目をこすってしまった。
その光景が浮かんだのだ。
きっと、その時、感染したのであろう。
一瞬の気の緩みが、地獄を招いたのだ。
それからはもっとさらに気を付けるようにしている。
水道代も上がっていることだろう。
生活はきつくなる一方だ。
休んだ一週間、時給暮らしは0円だ。
上司が有給申請していいと言ってくれたおかげで、何とかギリギリの給料が出た。それでもギリギリ。
でもこれに関しては、全部自分のせいだから、仕方がない。
勉強をせずに疎かにして、実家にいた頃はろくに働かず、実績もなにもない。資格もない。全部自分のせいであるから、仕方がない。
コロナで休んでいた間、考えていたのは、しんどいと、お金どうしようだけだった。
症状が楽になってくると、お金どうしようがさらに悪化してくる。
それは、コロナ発症から1か月経った今でも、変わらない不安である。
病気になると、時給暮らしは、収入が0円になる。
それを補うためには、さらに仕事を増やすしかない。
体を酷使する。体が壊れる。0円。酷使。壊れる。を永遠に繰り返す。
どこかで、どうするか考えないといけない。
それに年を取ると、働くことでさえきつくなってくる。
私は、死んでも国には頼りたくない。
自分が努力を怠ったせいでもあるのだから、なおさら、頼りたくない。
コロナになって、現実を思い知った。
私は、底辺にいる人間で、もっと酷いことが起こって、入院になったとき、貯金もない自分には、もう生きる術がないことを思い知った。
お金がないということは、こういうことなのだ。
もしかしたら、去年までコロナにかからなかったのは、お金がないという不安がなかったからか?
実家にいたから、衣食住の不安がなかった。
コロナは、不安につけ込んできたのか。
ちなみに、コロナ陽性となるまでの3日間、私の世話をしてくれた68歳の母親は、コロナを発症していない。
この母親、姉と私が鍋料理で古い白菜に当たって、胃腸炎になった時も、きょとんとしていた母親である。同じ物を食べているのに。
昭和前半生まれの適度に小汚い生活していた日本人は、コロナに強いのかもしれないと思った。
多分、昭和30年代の日本人なら、コロナにかかってないんじゃないかと思う今日この頃である。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?