私は学校にいけなくなった。

小学1年生。
新しいランドセル、新品の帽子、知らない友達先生。
私は全校集会で、上級生に声をかけられた。

「あなたは、芸能人と全く同じ名前なんでしょ?」

多分女の子だったと思うが、それ以外にもなにか言われていたのか、言ってきた人たちはどんな顔をしてたのか、何人だったのかは思い出せない。覚えていないのか忘れようとしたのかもわからない。
私はそれ以降、学校にいけなくなった。

辛かった記憶があるわけでもない、学校に行かなかった時何をしていたのかも覚えていない。いじめられた、と言っていいのかどうかもわからない。
今考えたら、いじめられてしまうんじゃないかと思ったのかもしれないが、実際に言われた言葉で覚えているのはその言葉だけ。
でも私は現実、1~2年、行けなかった。

その後小学3年生ごろから、また小学校に行けるようになった。
これについても私は何も覚えていない。
小学校に通えるようになった時、近くに住んでいたおばあちゃんが一度だけ泣きながら私のことを抱きしめて「偉かったね」と言ってくれた。
その時おばあちゃんの腕の中が少し窮屈で、痛いと感じたということだけは鮮明に覚えている。

私はそこから強くなった。
ふざけてくる男子には怒鳴り散らし、いじめている女子には暴力を匂わせ、性格的にきつくなったと自分で思うほど変わったと思う。

舐められたくなかったのかもしれない。
漬けこまれたくなかったのかもしれない。
近づかせないようにしていたのかもしれない。

中学校、高校でも名前について言われることはあった。
それでも跳ね飛ばした。
自分でも笑って面白がって話をすることもあった。
でも卒業式、病院、面接。
フルネームで呼ばれることがものすごく嫌だった。
先生に冗談で名前の話をされた時、自分でも笑っていたけど本当は何も言ってほしくなかった。お父さんもお母さんも恨んだ。

そんな私が幸いにも、良きパートナーに出会い、2人の子どもに恵まれた。

私が、名前をつける時が来た。

本を買った。
インターネットで調べた。
あ~わまで順番にたくさん書いた。
夫と何日も考えた。

子どものことを想って。
子どもの成長、子どもの健康、子どもの将来、子どもの幸せ。
全ては子どものことを想って名前をつけた。

私は自分の名前が嫌で、一時期は父のことも母のことも、何処かで私の幸せを蔑ろにして名前をつけたんじゃないかと疑っている部分があった。

これから未来にどんな事が起こって、子どもと同じ名前の芸能人や犯罪者が出るかもわからない。

自分でやってみて初めて、もしかしたら父と母も今の私と同じように、周りがどうだろうと関係なく、全ては子どもを想って名前を考えてくれていたかもしれないと知れた。父と母が私を想ってつけてくれた名前が嫌だと泣いていた私を、二人がどう見ていたのかを想像するに至った。

私と夫が考えた、娘2人の名前。
その由来どおりにならなくてもいい。
ただそれぞれ、自分が幸せでいられる場所を見つけてほしい。
作っていってほしい。
そのための手伝いができるような親になれるように努力しようと思う。

名前の由来は、親の愛情である。



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