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働く と 働かない のグラデーション

ピンピンコロリ。

昨日まで元気だったのに、
今朝見たら亡くなっていた。

昔はそういう言い方をしていたらしい。

今読んでいる本の中で、
昔はこのような生から死までが一瞬で、プツリと切り替わるような概念が良いされたと書いてあった。
今でも、老後に迷惑をかけるくらいなら心臓発作でぽっくり逝きたいと、父も言っている。


その一方で、
昨年祖父が亡くなったが、祖父は90歳を超える中で、緩やかに認知症になり、
激しく頑固な時期もあったが、
本当に直前は、溶かされていくように忘れていって、
現実からすうっと消えていくように思えた。

そういった現象を、
本の著者は生と死のグラデーションと表現していた。


周りに仕事が嫌すぎて、最近は出社すると身体に蕁麻疹が出るという知り合いがいる。

私は会社というものに限れば、ぷっつり辞めてきた。
だから、その知り合いにも身体の方が大事だし、そのように伝える。

でも、そんなことしたら社会復帰できないと嘆く。

そんな社会は幻想で、目を向ければ色んな社会がある。
戻る必要なんかない。違う社会に出かけるべきだと説いても、なかなか納得しない。

考えてみれば、
私も会社は辞めたけれども、
元々属していた働くという概念から抜け出すには様々な時期があり、まだ途中だ。

そんな急に、
清水の舞台から飛び降りるような決意では難しい。
ぽっくり死ぬ時みたいに、お迎えが来てくれるわけではないのだから。


働く と 働かない の間に、
もっとグラデーションをつけられないだろうか。

もちろん、それは一人ひとりが感じていくことなのかもしれないけれど。

会社を辞めるまでのグラデーション、
会社を辞めて、働くことを辞めるまでのグラデーション、
働くことを辞めてから新しい働きを始めるまでのグラデーション。


未来のことは、まるで前後が関係ないように出来事を起こすように見えるけれど、
今月と来月の間には毎日が、
今日と明日の間には時間が、
いまとこれからの間には気持ちが、
本当はあることに目を向けてほしい。


できることなら、
その間にできるだけなめらかな、やわらかな、グラデーションをつけてあげたい。

最後までご覧いただきありがとうございます!