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その長ずる所を貴び、その短なる所を忘れるべし

 この名言は、かつて老子が使った言葉されています。人には一長一短があることを認識し、短所には目をつぶり、長所を活かせるようにするべきという意味があります。もちろん、老子の生きた時代と現代では大きく社会構造が異なるものの、時代を問わず通用する考え方であり、とても教訓になります。誰でも長所と短所の両面を持っているものであり、だからこそ、短所ばかりを見るのではなく、長所を見ることが大切です。

 さて、私はこの言葉は、現代ならではの捉え方ができると考えています。

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 インターネットが普及し、情報社会とも言われる現代は、SNS等を通じて自分の意見や気持ちなど、簡単に世界中へ発信できる世の中になった。

 経済が発達し、都市化が進むにつれて、人々の生活スタイルは大きく変わった。眠らない街と呼ばれる繁華街も多い。

 知りたいことは何でも検索すれば分かる。漢字が分からなくてもパソコンで変換すればいい。お腹が空いたなら、どこにでもあるコンビニが24時間営業中だ。

 仕事に夢中になるうちに、ふと一方が入る。「母が危篤です。来てください。」

これは困ってしまった。お客様は神様だし、プライベートを仕事に持ち込むなと教えられている。しかし。こういう時ぐらいはいいだろう。

 車を飛ばし、急いで実家近くの病院へ向かう。高速を乗り継ぐこと三時間、ようやく着いたときには間に合わなかった。なんて親不孝なんだ。目から液体が溢れてくる。

 田舎の母を残して、妻と都会で暮らしているうちに、親のことなど忘れていた。仕事もあるし、それに妻は何かと気を遣うことが多くなると考えて、当然のように別居をしていた。友達も、職場の仲間も、みんな同じだ。核家族なんて言うけれど、もはや当たり前なのだから、今では死語なのではないか。そんな感覚がある。


 写真を見ながら、昔の思い出を振り返る。本当に優しい人だった。どうして置き去りにしてしまったのか。息子を大切に思うから、別居すると言われたら、止めようがない。親に選択権はないんだ。気が付かず、悪いことをした。寂しかっただろう。田舎暮らしの不便さ、親と同居することによる妻の疲労など、デメリットを嫌った。


 なんだ、いい所じゃないか。都会の喧騒は慣れてしまったが、山は鳥の鳴き声や葉っぱのかする音など、自然の音でいっぱいである。便利を追うあまりに、大切なことを忘れていた気がする。

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持続可能な開発という言葉がある。経済の発展に伴って、各国でもスローガンとして掲げている言葉だ。

 大量消費の現代では、例えば日本では一家に一台、それ以上の車がある。これを例えばインド人が同レベルで持つとしたら、どうなってしまうか。


 ヨーロッパ諸国と同じレベルで世界中で消費、浪費をすれば、たちまち地球は傷つき、あらゆる生き物だけでなく、私たち人間の首も絞めるだろう。しかし、経済が麻痺すれば、不況という怪物が人々を襲い、グローバリズムの進んだ現代では、一国の不況は世界に影響を及す。そうして、ますます消費が促されるという、消費を止められない、残酷な消費社会なのである。(わざと寿命の短い製品を作って消費をさせるということも多くある。) なんと物に溢れた豊かな世界でしょうか!!


 2020年、コロナウィルスの影響によって経済が麻痺した。今、世界はまさにかつてなき不況に襲われている。経済を大きく回すため、大量消費の道を進むのか。それとも、消費をコントロールするのか。便利になれば便利になるほど、それは豊かになると言えるのか。今こそ、我々の生き方を考える機会としたい。

かつて、2000年以上も前の時代に、哲学者エピクロスは次のように言いました。


「本当に貧しい人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、もっともっとと、いくらあっても満足しない人のことだ。」



#ゆたかさって何だろう

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