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2022/08/30

なんとなく、残しておかないといけない気がした備忘録

好き(だった)、応援していた対象が自分の思ってもみない人だったり、思ってもみない変化を辿っていたら、もう今は直接関係なくても傷つくなあと。それが悪い方向である場合。
でも、人や物事を全部まるっと見る事や理解することなんて不可能だし、良くも悪くも自分が見て(見えて)いるものはその対象の側面でしかないんだとか、所詮見たいとこしか見てないんだろうなとか思うとしょうがないのか・・・と悶々と考えてしまう。そういうもんだよなというか。
誰かもツイートしていたけど、「自分が属している小さなコミュニティが良くも悪くもすべてで、メタ的な視点で俯瞰できない」という言葉も刺さる。メタな~。

・・・いや、過去に自分が応援していた対象が、実はやばかったていう話です(にっこり)
でも何度も考えてみたけど、当時応援することをやめる、っていう選択肢はなかったし(知らなかったので)、やめる理由も当然なかったので、どうしたっていつか傷つくことを避けられない運命だったんだろう。
対象がずっとそのことを隠し通せていたらよかったんだろうけど、それも相手の気持ちを考えると無理だったんだろうな。対象も相手もお互い様な気もするけれど。


この話の落としどころはないです。
ひとつ自分の中で教訓とするなら、自分が見て(見えて)いるものはその対象の側面でしかない、その側面を思いっきり愛すということ、その日がもし来るときが来るまで。
どれだけ傷ついても、生きている限りは誰かを好きだとか愛おしいとか、依存する感情を自分の中から消すことは不可能だもんな。 という特に救いのない話。ただ、頭の整理としてアウトプットしておかねばと思った。

お酒のみたいけど、明日から連勤なので今夜はしらふでベソベソします。画像は思い出。

おわり


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