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手紙發⇒SNS行、だが伝えたい気持ちは変わらない

 みなさんに質問です。最後に手紙を書いたのは、いつだかおぼえていますか。 

 即答できるかたも、出来ないかたも、いたかと思います。

 🐇谷は、最近でこそ手紙は書かなくなった。しかし、はじめて韓国での長期滞在となった慶州では、ずいぶんと書いていた。なぜ、そんなに書いていたのか。

 それは慶州という環境がそうさせたに違いない。慶州は、韓国の南東部に位置し、ソウルからだと、最速の特急だったセマウル号に乗っても、4時間ほどかかった。

 新羅時代の都で、町の中には当時の遺物であるお茶碗をひっくり返したような古墳が残る、奈良のような観光文化都市てあり、ソウルから離れた地方都市でもあった。

 そんな町なので、日本人観光客も少しはいたけれど、🐇谷は何分、慶州の郊外にあった学校にいることが多く、町の中心部に出るには、バスに乗らなければならない環境だった。

 そんな環境で周囲の日本人は、🐇谷といっしょに交換留学生としてやってきた学生がひとり。日本語学科で教鞭をとっていらした先生がひとり。全員で3人しかいなかった。

 さらに1993年当時は、インターネットというものがなかった。こうして、SNSに日本語で発信できるようなことなど、当時は夢物語だった。

 韓国に住みたくて、念願が叶ってやってきたのに、実際には、韓国語の実力不足から周りの環境についていけず、その反動として、日本語に飢えていた心情が、せっせと手紙を書く原動力になったのだった。

 そして時は流れて、2000年以降、慶州から日本の友人などに、せっせと周りで起こったことを手紙に書いていた頃と、変わったことといえば、韓国語を理解できるようになったこと。インターネットが普及して、SNSなど新たな発信媒体が出来たこと。

 この変化で、2000年以降手紙を書くことは、少なくなっていった。その代わり、SNSで友人に周りで起こっている出来事や、学校で日本語を教えていたので、その仕事上の悩みや困りごとなどをe-mailで送り付けることが多くなった。

 手紙という道具は、もう使わない代わりに、SNSという道具を使うようになった。だが、やっていることは、まったくといっていいほど変わっていない。つまり、自分の周りで起きていることを、誰かに伝えようとしているのだ。

 この「note」を始めたきっかけも、X(旧ツイッター)で知り合った韓国ドラマや書籍を翻訳することをお仕事にしているかたから、

 「🐇谷さん、書いてみたらいい、洞察力あるよ、それに表現力もあるから」と、勿体ないぐらいのお言葉を頂戴したので、
 
 「じゃ、書いてみるかな」となった次第。

 慶州にいた頃、日本から手紙が来るとうれしかった。その手紙が何だが、海を越えてやってきたことを思うと、無性に愛しく感じられたりもした。友人からの手紙を読んだ時の気持ち。

 その時の気持ちが、時間と場所を超えて、「書くこと」を薦めてくれたかたからの「気持ち」と繋がったからこそ、🐇谷は今こうして書いている。

 慶州にいた頃から、30年余りの時が流れたが、相手が変わっても、何かを伝えたいという気持ちは変わっていない。
 
 🐇谷が、20年余り暮らしていた韓国の日々の営みで起こったことやその光景を、「note」という現代の手紙を読んでいただく「読み手」に韓流エンタメの世界とは、また違った韓国があることを、少しでも知っていただけると幸いである。


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