usagi51

この世にあったかもしれないお話しを書いていきます。少しづつ。あとラーメン好きです。起承…

usagi51

この世にあったかもしれないお話しを書いていきます。少しづつ。あとラーメン好きです。起承転結にはなりません。

最近の記事

何でせめてもの機会を奪っていくんだろう。私は人と関わる事が苦手で、お酒の席が唯一の人と関われる機会だった。悔しい。もう日本に住んでるからしょうがないけど、辛い。

    • 顔パックしたら人生変わった。 なんかずーーーーーーっと辛くて辛くてお金返してばーーーーっかりの人生だったから、自分が自由にやっていいよって言われたら家でゴロゴロしたいいままでと反対の生活だった。けど、顔荒れてて美容も服もほぼ全て捨ててきたのに顔パックしたら顔変わって人生変わった。

      • 私がいなくなった世界でも、地球は廻る。♯5

        どうやら私は、本当に執念深く。 怨みつらみがあるようだ。 ちなみにこのタイトル記事に関しては絶対に酒を飲んでいる時に書くと決めている。 だって忘れたかった記憶や忘れたいことこそ酒を飲んだ時にしか思い出せないから。 だから私は進んで苦しみに行っている、と言っても過言ではない。 思い出したくはない。普段思い出せないを記憶を普段は封印している。 思い出すのは酒が入った時。 いつももおぼえているんだけど。 と、思っているのだが。思い出せない。覚えている風でしかない。記憶にないの

        • 私がいなくなった世界でも、地球は廻る。#4

          ところどころ記憶が無くなっている。、 浅い記憶から順に追っていけば昔にたどり着くかもしれないという今、遡っている。 祖父が笑って亡くなったのは本当に不気味であった。祖父は生前怒ってばかりいて、今生の恨み妬み嫉みを体現した人だったから。 ただ、晩年は自分に縁がある人、つまり、支援はしないが本当に会いたかった人にだけ、連絡をしていた。 私もその1人。 昨年夏、これが最後かもという電話を受け取った。しかし私は出なかった。 かけ直したが。 けどこれが最後になると分かっていた。

        何でせめてもの機会を奪っていくんだろう。私は人と関わる事が苦手で、お酒の席が唯一の人と関われる機会だった。悔しい。もう日本に住んでるからしょうがないけど、辛い。

        • 顔パックしたら人生変わった。 なんかずーーーーーーっと辛くて辛くてお金返してばーーーーっかりの人生だったから、自分が自由にやっていいよって言われたら家でゴロゴロしたいいままでと反対の生活だった。けど、顔荒れてて美容も服もほぼ全て捨ててきたのに顔パックしたら顔変わって人生変わった。

        • 私がいなくなった世界でも、地球は廻る。♯5

        • 私がいなくなった世界でも、地球は廻る。#4

          現在進行形一味唐辛子が好きへの思い

          これは余談だが、私は凄く辛いものが好きだと思っていた。何故かと言うと長野の七味が好きだったから。凄く。有名なやつ。それは今でも大好き。 七味のクコの実がすごく好きだった。当時好きな七味には入ってるけど大きくなかったから。 でも市販の買ったら実が大きくて私には。 なんかつまんなかった。 正体がわかった気がした。そう。今まで分からなかったけど、正体だ! だから一味に変えた。つまんない幻想を追い求めるならひとつの鷹の爪の粉砕でいい。 でも違うんだけど。ローリエ初めて使った日も、

          現在進行形一味唐辛子が好きへの思い

          私がいなくなった世界でも、地球は廻る。#3

          思えば沢山書きたいことがあったのだが、文に起こそうとすると途端に言葉が出てこない。 まだ、色々言いたくない羞恥心があるからだと思う。 そういえば前回は弟について話したが、次は祖父について話してみようと思う。 実はこの話は順番が逆なんだ。 思い入れが浅く、日付が浅い順になっている。 祖父は、昔工場で工場長を勤めていた。 日本の高度経済成長を支えた大企業だった。 それはそれは昔ながらの頑固親父と、私は祖父が無くなる6年前まで思っていたのだけど、実はそうでなかった。 祖母が亡

          私がいなくなった世界でも、地球は廻る。#3

          私がいなくなった世界でも、地球は廻る。#2

          あぁ、そうだ。33歳になって記憶なくしてたとこからでした。 33歳になったからじゃない。 今日は私のお金の話について。 あれは小学2年生の頃、家を買ってウッキウキだった両親、弟も生まれてまもなくで、昔からの慣習で、母は仕事をやめろと言われていた。 仕事を辞めた母は不本意だったのか、弟の子育てに熱心になっていった。 弟は体も弱くて手がかかったように思う。それが全ての間違いだった。私が20歳の時、弟は13歳、私が18歳で家にも寄り付かなくなった時、弟は11歳。ほとんど暮らし

          私がいなくなった世界でも、地球は廻る。#2

          私がいなくなった世界も、地球は廻る

          これを考え始めたのは小学4年生の時。 初潮が始まった頃だからよく覚えている。 今鮮明に覚えている記憶はゴミ屋敷の元実家の2階、小学校2年生の時にスニーカーの踵を踏んで逃げた家と嫌いだった父方の祖母の家、父の生業だった油臭い下町の工業油の染み付いた工場と父の生家。あと次はやたら綺麗な元実家の2階。母が、好きな弟の保育園のママ友と中学生の時のアメリカのテロ事件。 2階が軋む母方の生家、母の妹の旦那が弾いてくれたウクレレ。 年代と共に忘れたわけではない。 私は17歳から18歳の

          私がいなくなった世界も、地球は廻る