私がいなくなった世界でも、地球は廻る。#4

ところどころ記憶が無くなっている。、

浅い記憶から順に追っていけば昔にたどり着くかもしれないという今、遡っている。

祖父が笑って亡くなったのは本当に不気味であった。祖父は生前怒ってばかりいて、今生の恨み妬み嫉みを体現した人だったから。
ただ、晩年は自分に縁がある人、つまり、支援はしないが本当に会いたかった人にだけ、連絡をしていた。
私もその1人。

昨年夏、これが最後かもという電話を受け取った。しかし私は出なかった。
かけ直したが。

けどこれが最後になると分かっていた。
だから出なかった。多分、祖母とおばへの復讐だったのであろう。
だから、祖父が亡くなった時、通夜の夜ににこやかになり始めたのには本当に合点もいかなかったし恨みが増幅した。

母は、祖父の葬式に来ていた。
妹は、Gotoトラベルで来ていた。

私は、普通に切符を買って、葬儀場まで直接自分でタクシーで来て、政府から貰った10万円で全てやりくりしていた。

妹は、祖父の葬式だからと会社から金を貰ってきていた。けど手伝いも、寄り添いもしなかった。
会社への返礼は、おばが気を使ってお菓子を帰る前に買っていくよう進め、連れて行っていた。まるで帰省のお土産を買って帰るようにしていた。

私はそんな気分になれなくて、帰りに新幹線の最寄りの駅で会社へ休暇を取った返礼を送った。別に返礼などは要らなかったと言われた。
仕事を代わってもらった上司には、気を遣いすぎだと怒られたが、気が済みますのでと伝えた。
でも妹はそうではなかったのを見ていて、なんだかお骨上げは妹としたくなくて。

祖母と祖父を看取ってくれた従姉妹とさせてもらった。
私も何も出来なかったが、看取ってくれた従姉妹には感謝の意を伝え、負担をかけぬよう法要の間振舞った。
せめてもの、感謝を理解してもらえ、私は妹とも話すことなく、お骨上げは1番の最後まで看取った孫とさせてもらった。
何も言えない。でも有難かった。だから孫の席の1番の上座座ってもらった。(葬式に上座があるかしらないが)

私がいなくなっても廻るが、苦しいことは続いて、継承していかなければいけないのが現実。

#私がいなくなっても 、地球は廻る
#祖父の葬式
#30代の昔日記

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