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『パリには猫がいない』最終話

最終話「パリには猫がいない理由」


5日目の朝。ベッドから起き出し、歯を磨いて顔を洗って、化粧水をつけたあとに少し体操。そのうちRが「おはよ~」と起き上がってきて、ふたりで昨日買ったパンやマフィンを食べて化粧をする。滞在中、1日くらい朝食をカフェで食べたいね、と話してはいたが、実際には後の行動予定を考えると実現が難しく(朝一は美術館にスムーズに入場するための貴重な時間帯)結局ずっとホテルの部屋ですませた。

2度目のルーヴル。この日も、朝早くから行ったため我々は行列に引っかかることなく《モナ・リザ》前にたどりつけた。2度目のモナ・リザ。なんとなく、最初に観たときよりもじっくりと落ち着いて眺められて「2度目の方が、なんか、いいね」というふたりの感想。正面からだと反射がきついので最前列のサイドから観るのが良いことも学んだ。絵に添えられたキャプションに、音声ガイドの4桁の番号がふってあるのを見て「この番号を自分の暗証番号にしてたらかっこよくない?」という妄想をして楽しむ。

先日閉まっていて観られなかったフランス絵画の部屋へ。朝一でいきなりルーヴルの2階を訪れる人は少ないとみえ、最初の方はほぼ私たちの貸し切り状態。絵を眺めながら、毎日通った画塾の話や、とりとめのない高校生の頃の話を気ままにRと交わして、映画の一場面のような気分になる。
そういえば、美術館で会話するシーンて外国だと自然だな。映画007でボンドとQがイギリスのナショナルギャラリーで会話する場面が大好きな私。

ラ・トゥールの有名な《いかさま師》や《聖ヨセフ》など、代表作がこれでもかと並ぶ。実は今回、同じ名前の別作家が描いた《ポンパドゥール夫人》もぜひ生で観たくてリストに入れていたのだけど、想定した場所に見当たらず。近くの監視員さんに尋ねるも「ラ・トゥール」といえばやはり先ほどの「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール」が有名なので、私が下手な発音で
「ノン。モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール」
と伝えてみたが、やっぱりわからなくて断念。(のちに調べて分かったが、その絵はパステルだったので素描室の方にあるらしかった。)

けれど代わりに、事前に把握していなかった懐かしいジャン・バティスト・グルーズの作品がたくさん並んでいるのを発見して驚いた。私が中学生の頃、部活で初めて油絵を描いたころによく見ていた画家だった。

今回の旅で気づいたことがある。学生時代それなりに熱心に取り組んでいたとはいえ、卒業後、油絵の制作を辞めてしまった私は、制作を今も続けている知人たちに対してずっとある種の引け目を感じていた。けれど、こうしてパリで美術館を訪れながら、記憶に残る画集のページをたくさんたくさん思い出していると、自分にも過去、絵画に向き合っていた頃がちゃんとあったんだなあということを、再認識することができた。

ルーヴルは前回ゆっくり時間をかけて観ることができたので、この日は見逃した主要作品を見届けたらすぐに退館し、そこから徒歩で行けるシテ島を目指した。島、といっても傍目には他の街と繋がっているので、どこからがそうなのかも実際歩くと気づかないほどだ。
ハムとチーズのクレープと、コーヒーを持ってノートルダム寺院の前で休憩する。観光の団体客が大勢いて、沢山おやつをもらえるのか足元を歩き回る鳩はだいぶ太っていた。
平和だった。空は晴れ、寺院の中は荘厳で、薄暗い空間で仰ぎ見るバラ窓のステンドグラスが美しかった。

旅から帰国して数か月後、ノートルダム寺院が火災で焼け崩れる映像をテレビで見て驚いた。同じ名前の寺院はフランスに沢山あると知って、すぐにネットで調べてみたけれど、やはりあの時訪れたノートルダム寺院に間違いないとわかった。言葉もなく、私はテレビを消した。

最後に訪れた美術館はポンピドゥー・センターだった。噂に名高い外観は確かにパリっぽくはないけれど、なんだかこれはこれで馴染んでいる気がする。これまでの美術館と違い、コレクション自体も近現代のアートなので、中の様子もだいぶ異なる。建物に入ってすぐのインフォメーションはまるで空港のようだった。展示では、カンディンスキーがたくさん観られて嬉しかった。
ポンピドゥーは建物自体が目的だったのであまり下調べなく行ったのだが、ふたつだけ、出来たら観たいと思っていたのがピカソの青の自画像と、デュシャンの有名な《泉》だった。結果的にこれらは観られなかった。何となくそんな予感はしていたが、ピカソは先日訪れたオルセーで企画展がやっているためそちらに貸し出されているらしい。(私たちは企画は見ずに常設展示だけを見たのだ。)デュシャンの居場所もわからなかった。インフォメーションのお兄さんはものすごく親切に私たちの質問に答えてくれたが、丁寧すぎて、長文の英語がまったく理解できず親切を無駄にしてしまう私たち…。

ポンピドゥーで一番印象に残ったのは、こどもたちだ。大人の鑑賞者たちにまじって、床に直接座り込んで作品を観たり、宿題なのか、なにか用紙に書いている様子をたびたび目にした。その様子がとてもナチュラルでいいなあと思った。

最後の夜は、夕食を初めてレストランで食べた。私が勤務する美術館の西洋絵画担当の学芸員さん(パリにも何度も出張されている)から教えてもらっていたお店で、
「私もまだ行けてないんですけど、地元の人に評判のおいしいお魚料理のお店らしいですよ」ときいていた。
しかも偶然にも、そのお店は私たちの泊まっているホテル・マロニエのすぐ近く。外食はお金がかかるからと控えていたが、最後の夜だからちょっと贅沢。おそるおそる、店の扉をあけると、マスターがカウンター席を案内してくれた。

素敵なお店だった。困ったことにメニューが全く読めなくて、シャンパンを頼んだつもりが白ワインだったり、お魚料理が有名なお店なのに、勘で選んだアラカルト4皿のうち半分はお肉料理だったりと、愉快な失敗はたくさんしたけど、どれもとってもおいしかった。味付けもどこか家庭料理のようでやさしい。マスターは食事中の私たちと目が合うと「セ・ボン?」ときいて微笑む、気さくな人だった。
日本だと、お店の人から「おいしいですか?」って聞かれることはなかなかないけれど、パリで何度か「おいしい?」って聞かれたのは、なんだか嬉しかった。家の食卓でお母さんに「おいしい?」ってやさしく聞かれている心地良さみたい。(実際、パリの人からは我々がこどもっぽく見えたのかもしれないが…。)他の席もすぐに埋まってしまって、あとから何組も扉の鐘を鳴らして覗いては、マスターに「ごめんね~」という感じで断られてしまっていた。本当に人気店のようだ。早い時間に来てよかった。

かなり長居をしてお店を出ると、夜の街が賑やかに華やいでいた。今日で最後。まだまだゆっくりふらついていたい気持ちが押し寄せるけれど、最後まで気を抜かず、君子危うきに近寄らず。
深酒に繰り出すこともなく、明日の早い出発にむけて私たちはまっすぐ、マロニエに帰っていった。

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翌朝。

来た日と同じように、午前8時なのにまだ暗いパリ。空港へと向かうシャトルバスの待合場で、Rに言った。

「まだ早いかもしれないけどありがとう。おかげで無事に楽しくすごせた」

速攻で「まだ早い」とぴしゃりと叱られる。「海外旅行は、たいてい終わりがけに嫌なことがおこる。特に帰りの空港とか。」
肝に銘じます…。

早めに出発したかいあって、シャルル・ド・ゴール空港ではのんびりできた。手持ちのユーロの残金を確認すると、ふたりあわせて3ユーロと少し。計画的にお金を使っていただけあって流石である。その小銭すらもほぼ使いきり、Rは日本でなかなか買えないというシナモンを見つけて買っていた。私の残りは小さい5セント硬貨1枚。これは記念に持って帰ろう。
帰りはあっというまだった気がする。成田に着き、それぞれの帰るべき場所へ戻るため「じゃあね」と手をふり東京駅でRと別れた。

2018-2019の年末年始、私はパリを旅した。
旅先で猫の写真を撮るのが私の習慣だったが、パリではなぜか猫に出会わなかった。
帰国して少し経ち、Rから教えられた。
パリには猫がいない理由。パリでは、猫をとても大事にしているから、飼っている人は決して危ない外には出さないようにしており、野良猫の保護も徹底しているのだそうだ。
聞いてみればファンタジーでもなくて切実な理由だが、素敵だ。

もし、もう一度パリに行けたら。

窓からじっとパリの街を見守る猫に、今度こそ出会えたらいいな。


(おしまい)



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