見出し画像

食が細くなった父との外食風景

「好きなもの食べていいよ」。

子どもの頃、外食先でメニューを開くと決まり文句のように親からこう言われていた気がする。そして現在、私はおかげ様で30代半ばまで成長し、両親は還暦をとうに過ぎた。最近では、私の方が親にメニューを差し出し毎回こう言っている。「好きなもの食べていいよ」。

と言っても毎回親との外食費を奢っておりますという意味ではない。父・母の日や誕生日などは会計を持つが、出世のない仕事なので快く出してくれる時は未だおおいに親に甘えさせて貰っている。

年を重ねた両親が外食時にままならないのは、お金より胃袋である。

少食になった父。けれど外食が大好きで、色々なメニューをちょっとずつ食べたい父に合わせて、最近私は自分のぶんはあえて注文しないこともある。「もう食えん」と私の前に続々と回ってくる父の皿を片付ける余力を自分の胃に残しておかねばならない。私だってそんなに思うが儘食べられる20代の頃とは違うのだが、少食になっても食べたいものを父に食べさせてあげたいという思いで、毎回お腹がパンパンになっても頑張って食べ続けている。

高校時代、同級生に比べて私はいつまでも親と出掛けることに抵抗がなかった。むしろ友だちとの食事では「あまり食べ過ぎるのは恥ずかしい」「本当はこっちを頼みたいけど子どもっぽい感じがする」など、自意識が邪魔をしてちっとも外食を楽しめなかった。その点、親との外食は気楽で好きなものを好きなように食べられたのだから、回数が多くなるのも自然だった。

大学でひとり暮らしを経験し、食の好みが少しずつ変わった。自炊をするようになると食べられる食材が増えた。今思えば、父はともかく母はかなり好き嫌いの多い人だったので、自分を取り巻く食の世界がもともと少し狭かったのだと私はこのころ、気づいた。同世代の友人たちと珍しいものを食べたり、騒がしい居酒屋へ行ったり、食欲より居心地を優先するカフェでランチすることの楽しさに目覚め、帰省したときの親との食事は相変わらず気を使わないので楽ではあったが、だんだんと自分の食べたいもの=親の好きなものではなくなっていった。

ある時、母が10日ほど入院をした。年齢から来る病で静養すれば治るものと聞きほっとしたが、その間心配なのは家にひとり残される父だった。もともと料理が得意だった父は、退職後家の炊事を3食全てこなしていたが、それは喜ぶ母の為にやっていたことだったので、自分だけが食べる食事となると全くやる気を失ってしまう。父自身、数年前に大病をして体調には波がある。母の入院中に食べる楽しみまで失って、ガクンと気落ちされては困る。

というわけで、母の入院中はたびたび父を食事に連れ出した。入院当日は、病院で手続きをすませたあと近くのイオンに行き、「いちど入ってみたかった」と父が指さしたチェーンの中華料理屋に入った。母とふたりだと、なかなか新規開拓が出来ないのでいつも同じ店になってしまうとこぼしていたのでちょうどいい。ランチセットのチャーハンは多くて残していたが(私が食べた)、「なかなかうまかった」と父は満足気だった。

別の日、母に荷物を届けて病院から帰る途中、「なに食べよっか」と近くの店を何個か思い浮かべて私が候補をあげていると、
「あそこのとんかつが食いたいなあ。ちょっと遠いかなあ…」
と、助手席の父が控えめにつぶやいた。
「車だから全然行けるよ。じゃあ、とんかつにしよう!」と、ハンドルを握る私は張り切ってウインカーを点滅させた。

父はよく食べた。ロースとヒレと迷いつつ、おそらく父の皿(ロース)がいつものように回ってくるだろうと思いヒレを注文した私の思惑は外れ、父は自分のとんかつをぺろりと残さず、付け合わせのキャベツまで平らげた。おいしかったこと以上に、完食できたことが父は嬉しそうだった。

「好きなものを食って死にたい」と常々言う父の頭には、おそらくいつも、亡くなったばあちゃんの顔が浮かんでいる。

自分の母であり、私からみると祖母にあたる満子みつこおばあちゃんは、食べることが大好きな人で、昔の写真など見ると着物が丸太のように膨れた見事な体型をしていた。ところが、晩年はそんな姿が嘘のように病気で瘦せ細り、食事制限もあってほとんどものが食べられない状態のまま、透析だけで生きているような有様だった。
父はたぶん、そのことが本当に可哀そうだったと思っているのだろうし、自分自身も、好きなものを食べられないくらいなら無理な治療はしないと頑として譲らない。母も私も弟も、その気持ちは理解しているつもりなので、とにかく父の食欲があるときになるべく好きなものを食べさせてあげたいと願っている。

このご時世になり、外食の機会はとても減った。それまで月に2,3回くらいは近くに住む実家に顔を出し外食に付き合っていた私も、職場のこともあるし、2カ月以上両親との食事を控えた時期もあった。

けれど、状況が落ち着いたタイミングをみては、慎重に個室のところとか、スペースの広い店を選んで、両親の外食に付き合う。食の細くなった父や偏食の母だけでは限られてしまうメニューの選択肢を広げる役として。

これは正しい行動ではないのかもしれない。

でも、父が楽しみにしている外食の機会をひとつでも多く、豊かにしてあげたいと思う。

先日、父が珍しく王将へ行きたいと言い、またもや私のお腹ははちきれそうな状態になった。皿に囲まれる私の前で父は薬を飲み終え、満足気に「うまかったな~」と笑った。


noteおかず





今週もお読みいただきありがとうございました。早く気軽に外食が楽しめる世の中になることを願って。

◆次回予告◆
『美大時代の日記帳③』50円の耳パンに盛り上がる大学生たちの話。

それではまた、次の月曜に。


*原画展&次回ネコ似顔絵のお知らせはこちら↓







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?