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新入社員の春、見知らぬ土地で1ヶ月ピンポンを押し続けた話

ピンポン。

自分が在宅しているとき、宅配の予定もないのに突然チャイムが鳴ったら。そして、うっかり応答してしまいそれが営業の人だと気づいたら。私は、なるべくきっぱりと、しかしピンポンの向こうにいる相手に労いの気持ちを込めて「ごめんなさい、結構です。ありがとう」と言うようにしている。

なぜかというとその辛酸を、私も過去に舐めたクチだからである。



以前勤めていた会社で私がまだ新入社員だった頃、いわゆる「飛び込み営業」の研修があった。朝、各営業所に出勤し、そこから先輩が運転する車に新人がまとめて乗せてもらい、それぞれの「担当地区」で1人ずつ降ろされて、その後は夕方迎えの車が来るまで、見知らぬ土地で住宅地図だけを頼りに、1軒1軒をピンポンしてまわる。

冠婚葬祭の会社だったので、研修ノルマは「互助会」という、結婚式やお葬式、その他イベント等々に使う費用をいざという時のために毎月少額ずつ積み立てる契約を1ヶ月の期間に最低1件獲得するというものだった。目の前にある商品ではなく、今すぐには使わないお金を貯めてもらう契約の売り込みは、つい先月まで学生をやっていたようなド新人たちにはかなり高度な内容だったと思う。当然、契約どころか、なかなか話すら聞いてもらえない日々が続いた。

しかし、個人的に私が恵まれていたのは、配属された営業所の所長がとてもいい人だったこと。定年間際のご年齢だったと思うが、いつもビシッとしたオールバックに鋼色のスーツ、小柄ながら驚くようなハリのある声で、給料を貰うことが申し訳ないくらいのぺえぺえだった我々新人にもきちんと朝「おはよう!」
と声をかけ、営業先から戻ると
「お疲れさん!!」
と迎えてくれた、カッコイイ所長だった。

そんな所長が、なかなか契約の取れない私たち新人を集めて、時々、営業とは何たるかのありがたい講習を開いてくれた。

「お客様に対して、自分の会社を『ウチは』と言うのは良くない。『私どもは』『当社は』『弊社は』という言葉を使うこと」

「口だけの情報は弱い!文字・印刷物のインパクト!必ず口頭だけじゃなくパンフレットを見せながらお話すること」

「最初から長い話は無駄。こっちが押しつけがましくても駄目。3分間で説明している間、もし向こうから1つでも質問が来たら、そこからは30分でも1時間でも話せばいい」

中でも圧巻だったのは、「自分の余命を言う」だった。私たちが新人なのは誰が見ても明らか。それを無理に繕ってうまい説明をしようとするよりも、新人であることを隠さずに、研修期間1ヶ月という「余命」を伝えた上で、契約ノルマがあることをうまく伝えて同情してもらう手段は「今の君たちにしかない特権だ」と教えてくれたのである。

この考えに対して異論のある方もみえると思うが、当時の私は正直、とても気分が楽になった。入社したての会社の実情などまだ知る由もなく、つっこんだ質問を受けてもうまく答えられない。そんなプレッシャーから解放された思いだったのだ。
それ以来、親切に玄関から出てきてくれた人とも無理に営業の話をせず、世間話をすることでいい雰囲気を作れるようになった。

研修期間も半ばを過ぎると、「見込み」のお宅が徐々に増えてきた。初見できっぱり断る人には私は食い下がらなかったが、とりあえずパンフレットを受け取ってくれる人や、立ち話に付き合ってくれた人には、帰り際に「また伺います」と告げて嫌なリアクションをしないかどうか、反応を見つつ何度か通った。中には、
「いつもはセールスを断るが、新人に免じて話を聞いてあげる」
と面と向かって言う主婦の方もいて、ちょっとビビリつつも名刺とパンフレットを渡し、「また伺っても…」と訊くと「こっちから返事するからいいわ」とピシャリと言われ、閉じられたドアの前で
「ううむ…」
と判断に迷った。

ひときわ印象が良く、私が最大の「見込み」と思っていたのがⅠさんだった。60代くらいの小柄な優しい雰囲気の女性で、きれいで大きなお家に住んでいたⅠさんは互助会にはどこも加入しておらず、「お金には困ってないので入る必要はない」と娘さんにも言われているという話だった。私がたびたび訪問することを迷惑そうにもせず、娘さんはキャリアウーマンで東京で表彰もされたこととか、今度、旦那さんの末妹さんの結婚式があるのだが旦那さんがすでに他界されているので行くのを迷っていることとか、かなり個人的な話も打ち明けてくれて楽しいおしゃべりをした。
けれど、結局、何度目かの訪問で契約は出来ないと断られてしまった。たぶん、娘さんに反対されたんだろうなあ…と、とぼとぼお家を後にした。

私の研修期間はまもなく終わろうとしていたが、ノルマの「契約1件」はまだ取れていなかった。

同期の中で契約が未だゼロなのは私だけではなかった。辛うじて1件獲得できたのが半数くらいだったろうか。しかし、中にはものすごいツワモノがいて、すでに5件くらいの契約を取っている上にまだ見込み客も10件くらい抱えていて、研修期間後には営業部の先輩にその「見込み」をあげる約束をしてちゃっかり奢ってもらったという話を同期の飲み会で聞いた。研修先の営業所も地区も違うとはいえ、これが能力差というものかと、空恐ろしく思った。

研修はついに最終日を迎えた。
同じ営業所に配属された他の2人は何とか1件ずつ契約が取れていた中、私だけがまだ未達のままだった。ノルマが達成できなくても、減給されたり研修を延長されたり等のペナルティはないので、まあいいか…と思いつつ、やはり気分は落ち込んだ。結局、その日も契約は取れず、最終日だからと所長自ら運転して迎えにきてくれた大型ヴァンに乗り込む際も、私は暗かった。

そのとき、車中で携帯が鳴った。

私の携帯だった。出ると、以前「新人に免じて話を聞いてあげる」と言ってくれたあの奥さんの声だった。
「契約したいんだけど、今から来られる?」
震える声で所長にそれを告げると、運転席の所長は「よくやった!!今からいくぞ!!!」と叫び、営業所へ帰ろうとしていたヴァンが大きくカーブして来た道を戻り始めた。車内では同期たちが「良かったね!」と一緒に喜んでくれた。

契約のため、初めておうちにあげてくれたそのお客様は、慣れない手つきで契約書の準備をする私に
「私の子どももあなたくらいの年だからね」
と、契約してくれた理由を明かしてくれた。

おもいっきり同情されての契約。少し情けない気もしたが、今ではあのとき、変なテクニックで契約を取るよりも等身大の自分に優しくしてくれるお客様に出会ったことの方が、何倍も価値があったなと思う。




この部屋に越してきて少し経った頃。不動産会社の営業マンが鳴らしたピンポンに、宅配を待っていた私はうっかり出てしまった。いつもなら冒頭のようにきっぱり優しく断るのだが、「アンケートだけ答えて欲しい」とたどたどしく言う、明らかに新入社員の子で、つい、少し答えてしまった。
しかし、こんな見た目からして安アパートの住人に、高級住宅購入についてのアンケートなんて聞いても意味なかろう、新人君……。

その気がないならきっぱり断るのも営業マンへの優しさなのだと思い出した、数年後の私だった。





今週もお読みいただきありがとうございました。
今の時期、同じ苦労をしている新人さんたちにどうか幸運がありますように。

◆次回予告◆
『接客業のまみこ』⑮⑯ 
まみこさんにも、新人時代がありました…。

それではまた、次の月曜に。













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