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『パリには猫がいない』第1話


2018ー2019の年末年始、私はパリを旅した。
私は旅先で、必ず猫の写真を撮る習慣があった。
けれどパリではなぜか一度も猫に出会わなかった。
これは、私がパリで出会った
猫以外のあらゆるものたちの記録である。



第1話「パリに着くまでの出来事」

夜明け前に到着したシャルル・ド・ゴール空港に、人影はまばらだった。

昨夜成田を出発し、上海の乗り換えを経てすでに17時間近くを空の上で過ごしたことになる。北海道までの飛行機すらこわい自分に、果たしてこのような長時間フライトが耐えられるのだろうかと心配していたが、実際は有り余る時間をやり過ごすことの方がよっぽど難儀だった。狭い座席に縮こまり、機内食を食べて映画を観る。うつらうつらし、気づくとまた機内食が配られるのでそれを受け取って口に運び…を義務のように繰り返すうち、無心のまま私はパリに着いていた。



「今年の年末年始、パリ行かない?」
と、誘ってくれたのは中学時代からつるんでいる友人のRだった。

東京で仕事をしている彼女が夏休みを利用して帰省し、私のアパートに泊りに来た翌朝。お互いが別々の鏡を使ってそれぞれの化粧にいそしむなかで、そのせりふが出た。
2018年から2019年にかけての年末年始はカレンダーの都合上最大9連休をとれるRと、まもなく勤め先の美術館が改修工事のため休館になり、時間が自由になる私。ふたりの人生のタイミングがピタリと重なったその年の年末年始。
人生がどれくらいの長さかはわからない。けれど気心知れた友人と美術館の聖地・パリへ旅行できるチャンスなど、おそらくそうはないだろう。
「うん、いこう」
私は眉毛を描きながら快諾した。



12月は準備に追われた。
旅行慣れして海外の経験も豊富なRに比べ、私の海外経験は高校の修学旅行で行った中国と、数年前の台湾旅行くらいのもの。フランスどころかアジア圏すらまだ突破できていないのである。
ありがたいことにこの時代、知りたい情報はネットでいくらでも検索できる。しかし、逆に情報が多いと考え込んで、不安ばかりが日ごとに増えた。寒さ対策、スリ対策、買い物は現金かカードか…などなど、海外初心者の悩みは尽きない。
旅のプランや航空券はRがすべて手配してくれたが、旅の目的である現地美術館の情報に関してだけは、私が任されていた。夜なべして資料を作り、また年末年始という時節柄、年賀状も早めに書いて投函まで終えねばならない。買い物、調べ物、荷造り、換金と、まさに師走のごとし日々である。

日本を発つ朝、終わらない準備の末に一睡もせずシャワーを浴びて、よろよろと私は名古屋からRの待つ東京駅に向かった。

*

東京駅はパニックになっていた。12月29日。帰省ラッシュのピークである。人の海の中からRを見つけるのもやっとで、挨拶も省略し、とるものとりあえずふたりでキャリーケースを転がして成田エクスプレスの乗り場へと走った。空港に到着後の出国及び搭乗手続きは、スムーズに終えられた。

今回は旅費節約のためパリ直行便ではなく、上海で一度乗り継ぎをするプランである。
「上海までの飛行機はJALになりますが、上海で一度お手荷物をピックアップしていただき、再度お預けいただくことになります」。
バッチリメイクのグランドスタッフさんにそう言われ、私は、
「中国の航空便と思ってたけど、途中まではJALに乗れるんだ。ラッキー」などと呑気に受け取ってしまったが、数時間後の上海で少々痛い目に合う。

エコノミーの座席は狭い上にど真ん中の席だったため、居心地はよくなかった。しかしさすがはJAL。機内食は普通のレストランで食べるものと同じくらいおいしくて、カトラリーもちゃんと金属製。デザートは機内限定のハーゲンダッツと至れり尽くせり。
映画の種類も豊富で、さんざん迷った挙句タイトルで選んだ『15時17分、パリ行き』という映画がちょうどエンディングにさしかかるころ、あっというまに上海空港に到着した。

*

上海で飛行機を降りる前、Rはしきりに時間を気にしていた。

「フライトが30分くらい押したから、乗り継ぎ時間が1時間半しかないんだよね、ちょっと急ぐよ」と念を押され、「わかった」と返事をし、我々はパリへの中継地点、真夜中の上海空港に降り立った。

ロビーに出た瞬間、当然ながらあたり一面漢字オンリーの世界である。
日本人だって日常的に漢字を使うが、本場中国での漢字が全て理解できるかというと勿論そんなことはなく、順路が分からなくて焦った。そもそも、空港内の乗り継ぎなのに出国手続きは必要なのか?そして、再度入国手続きが必要なのか?実はそれすらもわからずに右往左往していた。
さらに、ここでアクシデント。中国では指紋認証検査が多いのだが、これにRがたびたび引っかかるという謎の現象が起きる。機械に手をかざしても、指紋が読み取りされず毎回エラーになってしまうのだ。

「むかし、指紋を消してみたくて指の皮あぶったからかな?」

などと一人ごちるRの過去につっこんでも、今のピンチは解決しない。
身振り手振りで職員さんに説明して、何とか認証機械を通さず勘弁してもらった。美人だけど雰囲気が怖いスタッフのお姉さんに走り寄り、搭乗券を見せると顔色を変えて「早く早く!」と急かされて、あわあわと手荷物を再度預けなおして搭乗口までダッシュする。そしてギリギリ間に合った。

「良かったー!」と胸をなでおろす二人。

後から振り返れば、この上海空港でのドタバタが今回の旅で一番焦った瞬間だったと思う。
気をとりなおし、ここからいよいよパリに向かう。

フライト時間は約12時間の長丁場。先ほどに比べて座席は少し広くなったけれど、機内食の味は微妙だし、カトラリーはプラスチックだし、日本語映画の選択肢は3本のみというストイックな環境…。
しかし、実際はたいして問題ではなかった。
なぜなら私はすでに、35時間程もまともに寝ていない。時差ボケも意識しないうちに心地よい眠りの世界にひきずられ、私は目をとじていた。

(つづく)



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一番美味だった最初の機内食。/写真by宇佐江みつこ



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