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人生を変えた電話《美術沼にはまりました・後編》ーArtとTalk⑯ー

皆さんこんにちは、宇佐江です。

今週は前回の続きで、美術館勤務10年目を迎える私がいかにして「美術沼」にはまったかの経緯を振り返る、後編になります。
(前編はこちら↓)

【前編のあらすじ】
中学生までは漫画家志望だった私は、ある時自分の描く「漫画絵」とリアルな「美術絵」との境界に気づき、美術の世界に足を踏み入れた。しかし、当初はただ描くことだけが目的で、美術作品を鑑賞することにはほとんど興味がなかった。

…そんな私を真の美術愛に目覚めさせた伝説の番組。そして一度社会に出て美術から離れた私を、再び沼へと誘ったある友人の言葉とは…?!

それでは続きに参りましょう~。


『美の巨人たち』にハマる。

テレビ東京系列で2000年にテレビ放送がスタートした美術番組『美の巨人たち』。毎週土曜夜10時からというまったりした時間帯に、有名な美術作品から選ばれた「今日の1枚」をコンパクトに30分で紹介していく内容でした。

なにを隠そうこの番組に私はドはまりしたのです。

当初は、たまたま放送に目が留まり「勉強のために観とくか~」という程度だったのですが、ナレーションをされていた小林薫さんの渋くて色気のあるお声と、作品や画家に纏わるドラマをわかりやすく且つ魅力的にまとめた構成。そして、物語を見届けたあとに流れる(初代)エンディング『星に想いを』の荘厳なオペラの響き…!!!
それらに、まだ柔らかな感受性を持っていた女子高生時代の私は虜になりました。

ヒエロニムス・ボスもマグリットもデ・キリコもフランソワじゃなくジョン・エヴァレットの方のミレイも、すべてこの『美の巨人たち』に教わりました。毎週観るうち美術史の時系列もなんとなく頭に入り、退屈だった美術鑑賞が俄然楽しいものになって、美術館へも積極的に足を運ぶようになるのです。

(※現在の番組はタイトルも変わり、大幅にリニューアルされています。)


現実問題、状況的な沼

ところで、先週から何度も用いている「沼」という言葉。実際はそんな甘っちょろいモノじゃないですよ…とご気分を害された方がいらしたらすみません。私が美術に感じている「沼感」は、心情的な意味に加えてなんというか、構造的な意味も多少含んでいます。

美術科の受験対策を始めた中3の時、画塾の先生に「鉛筆削り機の使用禁止」を教わって(デッサンで使う鉛筆はカッターで削るのがマスト)、美術界への扉が開いたことをあらためて感じました。
そこからはまさにノンストップ。
高校ではほぼ毎日午後は実技(美術)。放課後も課題に追われ、部活をやっているクラスメイトは少数。美術科は1クラスのみだったので3年間クラス替えもなく、進路先の情報や選択肢も自ずと似通ってきますし、環境的にも物理的にも、美大へ進むのがほぼほぼ既定路線。その流れに、「今よりもっとうまい絵が描きたい」とだけ考えて始めたはずの私も、気づけばすっかり飲み込まれていました。

そもそも、美術科の生徒は実技に多くの時間を割いていた為、普通大学を受けるための授業数が足りていないのです。美術系大学なら、「国・英・その他得意科目1つ」の3つだけで受験は通るので、それでも問題ありませんでした(注:大学や学科によります)。
クラスメイトにはごく一部、美大以外の進路に進んだ子がいましたが、本当にすごい…。どうやって勉強していたのだろうと、恐れ入ってしまいます。

皆が当然の如く目指す美大も、(国公立や有名私大などに拘らなければ別ですが)3浪くらいは全然珍しくない世界。このあたりで、人生における時間軸がだいぶフリーダムな感じになります。
「絵がうまい奴がすごい」の世界で生きていると、年の差とか皆あまり気にしなくなるのです。

そして、美大に進んで、そのあとは?

私の周囲はこんな感じでした。

①その美大の院に進む。
②他の美大の院を受験する。
③教員になる。(美術の先生か特別支援教育が主)
➃バイトをしながら制作を続ける。
⑤一般企業に勤める。

美大を出て、いきなり制作だけで生活できている知人はたぶん、いなかったと思います。作品制作にはどうしても時間がかかるので、続けたいなら、仕事は非正規雇用を選ばざるを得ない状況(よほど融通の利く仕事でない限り)…。
そして制作を続けるにしても、全くのフリーで活動するのか、ギャラリーやどこかの画壇に所属してチャンスと気苦労を同時に背負うかの問題がつきまといます。どちらも私は経験していないのであくまで知人を介した一般的な話ですが、それぞれ実情は大変そうです。

そんななか、私がした決断は⑤、「一般企業に勤める」でした。


「脱・美術沼」だった数年

就活情報の掲示板が常にスカスカな美大の4年生にあがった私は、6月に、ある企業から内定をもらいました。
それを担当教授に報告に行くと、

「えっ。もう内定決まったの、早いね!!」

……私は、バイトを通じて普通大学の子とも多少交流があったので、教授の反応に「やっぱり美大って特殊だなあ…」と驚きました。今の就活事情はわかりませんが、当時は、その時点での内定は「もう」でなく「やっと」の時期だったのです。
その上教授はいそいそと「僕、その企業さんにご挨拶に行こうか?」と、気のいい親戚の兄ちゃんみたいなトンチンカンなことまで言ってくれて(多分そんなパターンの生徒に慣れていなかったのだと思う)。

この、優しくて閉ざされた世界から私は出ていくんだなと、その時は少ししんみりしました。

なぜ卒業と共に美術の世界から抜け出したかは、以前の記事に書いたので省略しますが、↓

一般企業に勤めていた4年半は、ほんとうに美術沼から「出た」生活を送っていた気がします。職場はまったく美術に興味ない人ばかり。環境としても地元に帰り、美大の友人とは疎遠になってしまったので、私の日常に美術が介入する機会がまったくといっていい程失われました。

世界には、美術など存在していないかのように暮らす生活の方が当たり前なのだな。一般の人にとって、美術なんて、なくたってどうとも思われないものなんだな。

最初は新鮮だったその感覚も、仕事に忙殺されてゆくうちに、「美術のない世界で生きる」ことの違和感が私自身も薄れてゆきました。

ところが、久しぶりの美大の友人との電話で、私は急転直下、「美術のある世界」に逆戻りするのです。


人生を変えた電話

「ええええ!?今ってそんななの?!」

突然私が叫んだのは、卒業後、中高生を教える美術教員になっていたMちゃんからの電話で聞いたこの現状のせいでした。

「今は美術の授業って1時限しかないんだよ」。

私が学生だった頃(もちろん高校は除いて)、図工や美術は時間割の中で2コマ連続になっているのが当たり前でした。作品をつくるには時間がかかるものだし、画材を出したり片付けたりするのも結構時間がかかります。それなのに、たった1時限でどうやって子どもたちが美術に親しんでいるのかが謎で仕方ありませんでした。
「教材もなかなか買ってもらえんし。自治体にもよるけど、先生の中でも美術なんかどうでもいいと思われてること多いよ」とMちゃん。

な、な、な、なんだと~!?

Mちゃんの話を聞いて、沸々と込み上げた怒りの感情。成長したおとなが選択するのならともかく、まだ子どものうちから美術と出会う機会を減らされてしまったら、このままだと、本当に日本の世の中から美術が失われてしまうのではないか?
それでも、学生時代からマイペースながら芯の強かったMちゃんは、孤軍奮闘して、生徒たちに美術の面白さを伝えようと努力している気持ちが、受話器越しに伝わってきて私の胸を熱くしました。


私も、美術のために何かしたい。


とっさに浮かんだその思いが強烈に私を支配し、その後の人生が大きく変わってゆきます。


美術沼への帰還

会社を辞めて制作がしたいとは常に心の隅で考えていたものの、再び美術に携わることは全く考えていなかった私が、Mちゃんとの電話を境に変わりました。たぶん、あの電話であれほど沸騰したのは、自分の心の中に、美術に育ててもらった恩があることに気づいたからだと思います。

舞い戻った美術の世界は、今まで数年を過ごした会社とはあらゆる意味で別世界でした。もちろん綺麗事だけではなく色々と煩雑なこともありますが、美術が好きな人たちと仕事をし、美術が好きという気持ちを隠さず解放して生きていける世界は私にとってかけがえのないものです。


そういえば、先日その電話相手のMちゃんと久しぶりにオンライン通話をしてこの話をしたら、
「そんなこと言ったっけー!いや、教材なんてそうカンタンに買えんわ」と、今は立場も変わり酸いも甘いも経験した貫禄で笑い飛ばされました。

彼女の言葉に影響を受けた私は現在、美術館勤務、10年目です。





今週もお読みいただきありがとうございました。且つて志した美術への貢献がどうしたら出来るかは未だ手探り中ですが、こうした拙い経験談や漫画を細々と描き続けることにより、お目汚しかとは存じますが、ひとりでも多くの皆様の心に「美術」が届くことを願っています。
カモン美術沼。

◆次回予告◆
『美大時代の日記帳➃』大事なものをひとつにまとめた嵐の夜と、野球実況8畳一間の話。

それではまた、次の月曜に。


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◆今週のおやつ◆
近所のケーキ屋さん:苺のショートケーキ



*あなたを沼へと誘う?宇佐江のアートの話。その他はこちら↓













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