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脱・夜行性生物ー雑事記⑤ー

あの音を、最近聞いていない。

シンと静まった真夜中、締めきったカーテンの内側で煌々とした蛍光灯のもと、筆記具を置く音と紙が擦れる音だけがひそやかに響く室内。
「ガチャン!」
いきなりの音にビクッ!!思わず肩を強張らせ、私はそ~っと玄関ドアに目をやり、次に時計を見て「ああ」と思う。
朝刊が配達された音である。


ウチのエリアは順番が早いのか、午前4時40分くらいに朝刊が届く。しかもアパートだから直接玄関の新聞受けに届くため、ドアを隔てて約3メートルという近距離にある仕事机にかじりついている私は、毎回その音にビビらされる。配達員さんが足音を忍ばせてくれるぶん、前触れもなくいきなり投函の音が響くから余計怖い。
ていうか、そんな時間に起きている…いや「まだ寝てない私」が悪いのだが。

「絵を描くために夜更かし」を始めたのは、中学生になりひとり部屋を与えられた頃からだ。それまでは弟と共同のこども部屋で寝室も別だったので、基本的に午後9時、休み前でも10時くらいには「もう寝なさい」と親から言われ、描き途中の絵をそのままに強制的に机を離れられた。ところが、ベッドを内蔵した自室という理想郷を手にした私は徐々に夜更かしへの道を辿り始める。翌日友だちに見せると約束した絵を描き上げたいから…と机に向かう夜がだんだんと長くなり、授業中に眠たくなるほど睡眠を犠牲にするよくない生活習慣を身に着けてしまった。

大学生になりひとり暮らしになるともう、生活時間なんてめちゃくちゃである。寝る時間も起きる時間も自由気まま。誰にも怒られない時間軸の中で好きな小説を読み耽り、「ごはんよ」とも呼ばれないので食事のタイミングも逃し、ああしまった明日提出のエスキース描いてない…と夜中の0時に気づいたときにはすでに徹夜するしか道がない。こんな事なら日中小説なんか読まずに描けば今眠れたのに!!と歯ぎしりしながら半日前の自分を恨むが、しかし一心不乱に作業する長い夜を明かした朝が不思議と爽快だったのも事実で、
「友の誘いにもテレビにも食事にも惑わされない夜という空っぽの時間こそが制作には向いている!」
と本気で思っていた時期もある。
しかし、そんなのは所詮翌日作品を提出後、昼の講義をさぼってアパートに直帰しベッドに倒れ込むことが出来た大学生だからこそ成り立つ理論だった。

会社勤めを始めてからは絵を描く間もなく働いた。休みの日はひたすら寝ていた。社用車で事故(駐車車両に幅寄せしすぎて擦った)を起こした始末書と報告書を書くために会社で夜を明かしたことはあったけれど。

だが入社して3年目くらいに、私は久しぶりに徹夜した。
営業部の先輩から、クライアントに見せるデザイン案を描いて欲しいと頼まれて、その日仕事から帰宅すると、私はすぐ机に向かった。納期は焦らされていなかったはずだが、自分が美大卒だからと期待され声がかかったのも嬉しかったし、久しぶりに描く絵があまりにも楽しすぎて、あっという間に夜が明けた。一睡もしないまま出勤するのは初めてだった。完成した絵と共に迎えた朝は充実感に満ちていた。

「私も制作をしているんですよ」

という人と出会うと、私はすごく「いつも何時に、何時間くらい制作してます?」と聞きたくなる。
実際は生活に関わることをおいそれと聞き出すのは不躾な気がして口に出せないが、例えば作家さんのインタビュー記事で「いつ描(書)いてますか?」という質問を目にするとハッとしてその返答を食い入るように読む。
兼業している人なら、「出社前の朝4時から書いてます」というすごい人もいる。専業なら夜中に書いて朝方5時頃寝て13時に起きますという生活の人。また、会社勤めのように平日9時ー5時で執筆して土日は絶対に休みますという人。本当にさまざまで興味深い。

先日まで岐阜県美で展示をされていた工芸の作家さんたちは、時間の使い方も個性豊かだった。ある人は家事やご家族の介護があるので、空いた時間にさっと取り組める素材だからこそ長く制作を続けられたという。別の作家さんは真逆で、素材的にどうしても土が乾燥するまでに一気に作品を完成せねばならず、1週間ほとんど寝ずに作り続けるとおっしゃっていたそうだ。

私は今のところ昼の仕事があるので、学生の頃のように常に真夜中にしか描かないような生活はできない。監視員という、「寝不足で挑むと地獄を味わう職業ランキング」の5位以内に入るであろう仕事に従事している以上、最低限の睡眠は確保しようと日々心掛けてはいる。

しかし、企画展がなく休みが増える時期などは危険だ。私の中の夜行性スイッチがいつのまにかオンになる。

(例)連休の前日夜更かし。→昼に目覚める。ご飯を食べる。→猫を抱きながらソファでうたた寝。→夕方から机に向かう。そのまま徹夜。→昼に目覚める。以下略。


美術館が工事で1年休館だった時期、ちょうど『美術館にいってみた』(埼玉福祉会)のカラー原稿の締め切りに追われていた8日間は自分史上最高に節度のない生活をした。世界を揺るがす感染症もまだ登場前の世でありながら、1日1回コンビニかパン屋に出掛けるのみでひたすら机に向かい続け、眠くなったら18時とか20時に布団に入り、5時間後に起きる。そこからまた夜通し描いて夕方寝る。最終的には朝9時から翌朝の11時まで描き続け、夜中に2時間仮眠を取っただけでフラフラに目を回しながらJRに乗り豊橋のデザイナーさん宅まで原稿を届けに行った。
世の中の作家さんたちはこんなのお茶の子さいさいでこなしている屈強な方も沢山いるのだろう。しかし私はもうあんな無茶は出来ればしたくない。

今年に入り、私の制作時間帯は大きく変化した。noteを毎週書くようになり、貴重な休日をソファと一体化して消費してしまう回数が劇的に減った。何より、夜から描き始めることが減った。
出勤日の帰宅後に描くことはよほど切羽詰まった状況でない限りしない。疲れと眠気でちっとも集中できず、ネットを開きながら描いたりして結果的にズルズルと制作が長引いてしまうことに気づいたからだ。それならいっそ潔く寝て、朝5時に起きて出勤前の2時間で制作する。この方が時間が限られているぶん作業スピードが上がるし、早く描く訓練にもなる。

カタリ。

えっ?まさか。


時計を見る。
午前4時ジャスト。いつのまにかさらに早くなっている…。

連休に乗じてこの記事を書くため、久しぶりに夜行性に舞い戻っている私のもとへ朝を告げる新聞が届いた。





今週もお読みいただきありがとうございました。24時間を上手に使える人になりたいと思い続けて幾年月。性分的にこまめに制作するのが苦手で、一度集中すると長く描いていられるのですがエンジンを切っちゃうと再び点火するのにものすごく時間がかかるのが悩みです。せめて何か意識以外の方法でスイッチを入れられないものかと、最近、制作をするときはちゃんと部屋着から服を替えて、化粧をするようにしています。「自分の仕事はデスクの前こそが本番で、その時に一番自分がステキに見える服を着て書くんだ」という向田邦子さんの言葉を実践されているという、脚本家・大石静さんのそのまた受け売りですが、結構効果がある気がします。

◆次回予告◆
『ArtとTalk⑦』展示室で飲食をしてはいけない理由と、花を持ち込んではいけない理由。そのふたつの答えは1つで、ヒントは「私が出勤前コンビニでお昼を買うときは、袋をくださいと必ず言います」。

答えはまた、次の月曜に。


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◆今週のおやつ◆
さくらんぼ



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