見出し画像

特上ひつまぶしとなぞの天ぷら【10万円で思い出ごはん①】


10万円の使い道

ある日、私の口座に10万円が振り込まれた。

全く身に覚えのない振込み、ではなかった。送金してくれたのは車屋である。
去年父が亡くなり、その後母が「最後の相棒」として買おうとしていた車があった。いつもお世話になっている販売店に赴き、メインで乗ることになる母の好みを中心に比較的きれいな状態の中古車をふたりで選んで、仮契約をし手付金を払った。納車は1週間後の予定だった。まさか、その納車日が母の通夜になるなんて、私も販売員さんも、もちろん母自身も、その時は知る由もなかった。

母の死を受けて私は納車をキャンセルし、検討の結果、車の購入は見送ることにした。生前の母の愛車はいったん私に名義を移したが、修理無しでは春の車検に通らないほどガタがきていたのでその後処分した。
そして、あの時母が支払った手付金の10万円は、事情を汲んだ販売店さんのご配慮によりそっくりそのまま、私に戻ってきた。


この10万円を、何気ない生活費としていつのまにか使ってしまいたくなかった。母の死後、あらゆる出費により我が家の経済は常にカツカツだったが、そういう問題とは別で、このお金には何か特別な意味を持たせたい。

考えた末、私が辿り着いた使い道がこれだった。
「10万円で思い出ごはん」。


特上ひつまぶしとなぞの天ぷら


名古屋市内にいくつか店舗のある、ひつまぶしの名店「Sら河」。平日の仕事帰りに訪れてみると、満席で30分ほどロビーで待つ。ひとりで来たのが初めてなので、なんだかソワソワした。

名古屋名物の王者「ひつまぶし」。観光客だけでなく、地元の人にとってもうなぎ屋はやはりちょっと特別な存在で、各家庭の「ご贔屓」がある。テレビでよく紹介される老舗や、行列のできる人気店などこれまでいくつか食べ比べてみたが、どこに浮気しても必ず食べ終わると
「やっぱり、Sら河がいいね」
という感想になるのが我が家のパターンだった。

2人掛けの席に通された。店員さんがたくさんいて、すぐ注文に応じてくれる。いつもなら、私は「Sら河のひつまぶし」という3,100円のメニューで、時折豪勢にいきたいときは隣の母を伺いつつ3,800円の「上ひつまぶし」にしてみるが、今日は、思い切って一番上等な「特上ひつまぶし」5,600円也をこわごわ注文。そして生中と、なぞの天ぷらを注文した。

父が亡くなって以降は、父の誕生日に一度だけ母と来た。1品料理のメニューがまた増えた気がする。「お品書きにうなぎしかない店」が嫌いな父が喜びそうだ。そんな父の定番は、肝焼のタレと、長焼と小鉢がついた御膳。母はいつ如何なる時もうな丼の「3切」だった(3切~5切まである)。
そういえば、一度だけ母がうな丼以外を食べたこともあった。家を建て替える時期に建築屋の社長がこの店でご馳走してくれたそうで(私は不在だった)、皆でうな重を食べたらしい。父や建築屋の男たちの平らげるスピードが速くて、焦って食べたと母が話していたっけ。

まず生中と「なぞの天ぷら」が来た。

この不思議メニューはその昔、まだ幼い頃の弟が、
「なんだろうこれ?」と指さして、保守的な我が家にしてはめずらしくその場のノリで「注文してみよっか」となった一品である。どんなものが来るんだろう?と皆でわくわく到着を待ち、現れたこんもりした山盛りの「なにか」を見て、おおおー?!と盛り上がった。
久々にみたその姿はかなりのボリューム。
ふわっと軽い衣の中身は「さきいか」である。天つゆも塩もつけず、シンプルにさきいかの味のみで成り立っているクセになるおつまみ。ビールが進む。
そして登場、特上ひつまぶし。


上ひつまぶしの1.5倍のうなぎが入っているという。いつも私が食べているふつうのやつよりも、切り方も大きい気がする。うなぎのしっぽ、父、好きだったなあ。
口に入れるとふっくら。でも皮はパリっと。タレがちょい濃いめなのがちょうどいい。やっぱこの味だ。
しかしふだんの倍近い値段か…うなぎ自体も上等なものを使っているのかもしれない。
最後の1杯の前に、店員さんを呼んでお出汁をもらう。
私がひつまぶしのシメでお茶漬けに使うこの出汁を、父も大好きでよく、お椀に注いで飲んでいた。今日は私も最後に出汁だけで飲んでみた。かつおベース(父の推定)のしっかりした味でおいしい。

隣との間には仕切りがあって声しか聴こえなかったが、おそらく大学生カップル。豪勢だなあと思っていたが、どうやら初ひつまぶしらしく、3杯に分ける食べ方がよくわからなかったのを食後に反省していたのが可愛かった。向かいのおじさんはカウンター席で一人、鍋のようなものをつついている。カップルと別の隣は60代くらいのご夫婦で、焼き魚などを注文した最後のシメにひつまぶしを頼んでいるのがおとなな感じだった。

なぞの天ぷら、おいしいが、決してひとりで注文する量ではなかった。おなかがはちきれそう。
はーーー満足。

お父さんお母さん、ご馳走様でした。


腹ごなしにぶらぶらと、歩いて帰った。いつも家族で来る時は必ず車だったが、その車ももうない。
せっかく車を買おうとしてたのに乗れなくて母が可哀そう、とは思わない。あの時の母は自分が乗りたい車を選んだ時点で乗ったようなものだと思うし、最後に夢を叶えて幸せだったんじゃないかと思う。

何度か引っ越しをしたが、結局今、色々あって私は地元に帰ってきている。幼い頃の家族の思い出も、母と水入らずで過ごした9ヶ月間の暮らしも、そこ此処に沢山残っている。外食好きな父の影響で、食べ物屋さんに関する思い出は特に強い。けれどそれらは、自分ひとりで行ったり、友だちと行ったりすることはない店が多かった。
それらは常に、家族と行く場所だった。

その思い出の店にひとりで行くのは淋しい気もするが、二度と行けないのはもっと淋しい。いや、連れてってもらうのだ。母の残した10万円で、父と母に奢ってもらおう。
リストを作ってみたら、我が家の行きつけの店は20軒以上あった。

これを少しずつ消化するのを楽しみに、これも私にとっておそらく必要な「喪の仕事」になるのだろう。


次はどこに連れてってもらおうかな。


思い出ごはん①
・特上ひつまぶし、なぞの天ぷら、生中
…合計7,200円(残額92,800円)
※金額は2024年現在のものです。

イラスト/©宇佐江みつこ




今週もお読みいただきありがとうございました。お店の名前は一部伏せてあります。興味のある方はネットで探してみてください。

◆次回予告◆
国・数・社・理・英。おとなになって、何に役立った?

それではまた、次の月曜に。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?