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発達障害の父に育てられました!?⑨中高生の子供暮らし

精神病で長期入院することになった父、当時私たち三姉妹はまだまだうら若き中高生だった。
故に私たちは保護者のいない状態で生活しなければならなかった。


小学生の子供暮らし

それ以前にも私たちが小学生の頃に父親がやらかして強制入院となり、さすがに夏休みなんかは親戚の叔母さん達が交代で家に滞在させてくれたりとお世話になったが
それでもその段取りが整う長期休暇以前は小学生の子供だけでかなりの日数過ごす事もあった。

子供だけで過ごすのに口を酸っぱくして叔母に言われたのは火の元について。
火を使い終わったらいちいちガスの元栓を締めるように言われてたなぁ。
当時の住まいはかなり古い家でネズミは毎日運動会。
風呂やトイレなんかは中庭に設置されてて子供ながらに夜そこを通るのは怖過ぎて結果、あろう事かおけに尿を足すという対策をしていたなぁ😂
親戚一同ドン引き。そうなっても仕方ないくらいの当時小学生の恐怖感を理解してほしい‥😂😂😂
と、まぁ子供だけで何日も過ごさせるとこんな突拍子のない事が起こりますよ。と。

こんな無茶苦茶な三姉妹をよくぞ滞在させてくれたなぁと親戚の方々には頭が上がらない。
借金まみれで狂った父の事なんて早々に縁を切りたかったろうに幼い子供がいる為、それができなかったらしい。
ほんとに巻き込んで申し訳なかった。
もし今、私の身の回りで起きたらそんな世話を焼けるか聞かれるとちょっとムリだなぁ😇😇😇😇
だからこそ親戚の方々の温情は計り知れない🥲


中高生の子供暮らし

そんな事があった小学生時代ですがもう中高生、本格的に子供達だけで暮らすことになります。
当時住んでた家は売ってお金にしなければならなかった為、できるだけ中高の登校に不便のないよう近いところに家を借りてくれました。
これがまた‥
築40年の平屋
古い平屋の長屋のようなところだったので昔から住んでる方が多くここでも毎晩のようにネズミの大運動会が開催されてるような始末だった。
もちろん全室畳の和式便所。
まぁあつらえてもらった身なので何も文句は言えません。←言いまくりまクリスティやん(と、言いたいラクリマ世代)

ここで叔母から毎月渡されるお金の中でやりくりしなければいけません。
長女の私が家計管理していたかというと違います爆
主に末っ子が管理してくれてました。
彼女は管理してるが故にその責任感から自分のバイト代から家のお金を補填したり、ここに実質の聖母が爆誕しておりました。

下2人は高校に上がるとバイトや部活で忙しそうでした。
皆高校生でしたが私はというとバイトもせず逆に勉強に専念して(大学行くお金ないので進学はしないし理数系が苦手なのに謎のガリ勉)神社から返さなくて良い奨学金を得てコンタクト代に充てたり🤣
皆高校はバラバラでしたが公立に通学していたので授業料の全額免除を申請したり奨学金を受けたりなんとかやってました。


2000年ケータイ小話

その頃はパカパカのケータイが主流で高校生なら半分以上は持ってるかなというケータイが普及してきた時代でした。
私は当時ケータイを持つとお金も払えないし試験勉強中でも電話で女子から彼氏と付き合いたてのノロケを聞かされたり、メールのやりとりが頻繁だったりが勉強の邪魔だし友達なら高校で毎日会うしという理由で持ちませんでしたが(卒業時会えなくなるので購入)
妹達はバイト代で支払う算段でもちろん持ちたい派。
ご自身で管理されるので私には何も言う権利もありません。
むしろ未成年がケータイを契約する際に必ず必要になってくる保護者の承諾問題ですがケータイ会社から家に確認の電話がかかってくると
野太い声を出して入院中の父親を演じ、未成年のJKがケータイを所持することに加担していたのでした。(絶対ダメだけど時効ということでご勘弁ください。当時だからできた技で今は通じないと思います😓)

子供暮らしのご近所物語

姉妹が住むオンボロ平屋のご近所さんは昔から住んでる方が多く、そんな中に突如訳あり子供暮らしの中高生がやってきたらさぞかし戸惑われたかと思います。
私だったら嫌だし笑

ご迷惑おかけしたであろうクセ強めなご近所さん達も良い思い出です。

お隣が中年の独身姉弟暮らし
隣には親ナシで兄弟で暮らす大先輩がいらっしゃいました。
足音がうるさいなどよく苦情を言われました。
よく苦情を言ってきた男性は近くに家を購入してるものの親と暮らした思い出の実家を主な住処にしてたようです。
姉は当時中年でしたが独身でかなり年上の彼氏がいたようです。

お向かいには肌着でうろつく老夫婦
豚のような鳴き声で通り過ぎる度に吠えかかってくるチワワをよく連れていました。
ステテコ姿でうろつくご主人は私の当時高校生の友人が訪れた時に住人かの如く我が家のドアをガタガタ開けようとしていたようです(友人達ドン引き)
いつもノースリーブのアロハワンピ姿だった奥さんは'喉に良いのよ'と家の前で育てた金柑を沢山くれました。

そんなこんなで悪い家庭環境で育った私たちはご近所さん達には決して良い印象を持たれていないだろうと自覚があった為それを払拭すべく'挨拶は必ずする'というのを大切にして守ってきました。

ゴリゴリのヤンキーに笑顔で挨拶されたら惚れると思いますがそれと一緒の効果を狙っております😇


オンボロ平屋からの旅立ち


こんな感じの環境でネズミやご近所さんに怯えながらも過ごした平屋ですが高校を卒業し働き出して数年の私たちを見守ってくれました。
私以外の妹達がそれぞれに彼氏と同棲するなどいよいよ1人でそこに暮らさないといけない状態になった時、ようやくその家を引き払う決心をしました。
もう大人ですから住む家は自分で選べます。
しかし3人で住む前提で探すのでワンルームではなく仏壇を置く部屋も欲しかったし3Kの間取りだったかと思います。
家賃の兼ね合いでユニットバスだったり妥協点はあるものの変なご近所さんもなくネズミに怯える事もなく割と快適に過ごせてた気がします。
ここに5年暮らしましたが入居当時は1人だったもののその間に妹が1人また1人と戻ってきて3人暮らしに戻ったりそして最終1人になりようやく一人暮らし用の物件で暮らすことになりました。

入院きっかけでずっと父親と別居してきましたが幸運にも彼が私たちの住まいに辿り着くような恐ろしい事はありませんでした。

わたし達姉妹は歳が近く父親との対峙で結束が強かったのだと思います。
私は長女なので当時から特に思っていた事ですがもし後に妹が生まれてなくてあの父親を1人でどうにかしないといけないとしたら‥とゾッとしては戦友さながらの妹達の存在に救われ
彼女達を遺してくれた母に感謝しておりました。

一緒に暮らしていてもお互い仕事が忙しかったり話す機会が無くても3人で交換日記をしてみたり振り返れば若さ故に楽しく宝物のような日々でした。

この記事を書くにあたり以前3人で住んでいた場所をGoogleで調べましたが
オンボロ平屋の長屋は当時の面影なくマンションに変わっていたり
その次に住んでいたハイツはまだ存在しているものの毎朝コーヒーのいい匂いを漂わせてたテナントの喫茶店が不動産屋さんに変わっていたり
だけど変わらず大家さんがバルコニーに出てる姿が映っててほっこりしたり😂

たまには昔住んでいた場所を検索しては思いを馳せることをしてみてはいかがでしょうか😁














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