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ウイバナ考 番外編

「ウイバナの楽曲考察をする」とはじめてみたものの、まだ2編。筆が進まないうちに番外編を急遽書くことになった。

ことのはじまりは今日の特典会でのサキマルさんからのお話。
「(4月1日の新曲発表にむけて)どんな曲が好き?」
という質問の答に窮し、時間切れとなったのでここで返答を試みる。

結論を先に言うと、
「女性が作る曲」
である。

ここでやたらとくどい前置きを入れるが、現在のウイバナの世界観になんの問題も感じてはいない。確かに同じ世界観の楽曲が数多くなってくると、「変えなければいけないのではないか?」という考えが浮かんでくるのもわかる。
ただ、それにはあまりこだわる必要はないと思う。アイドルソングに限らずJ-POPをみたって、最初にそのアーティストの鮮烈な個性が出て、そのあとはみんな同じ曲である。ミスチルだって、宇多田ヒカルだって、同じような歌で長々とやっている。最近のYOASOBIだってそうだ。

今のウイバナが歌う「終わらない青春」の世界はメンバーのスキルと個性にぴったりだし、これに勝るものがあるとは思えない。だから、「あえて」違うものを歌うなら、という答え、「あえて」である。

なぜ「女性」が作る曲なのか

今のウイバナの楽曲は今までの「ウイバナ考」でも述べたように、描かれている「青春」というものがまるで下北沢の演劇のような世界、それは昭和に育った私の世代でも経験したような普遍性を持っていると思う。それは今を歌うメンバーにも響くところがあり、自らのものとして我々にとどけてくれているのだと思う。

でも、それは又吉直樹の映画の原作小説のような「男の」青春になっていないだろうか。歌詞の中に「青春」というtermを入れて女性が歌を作るだろうか?そして女性を取り巻く世界は昭和とは共通語を持っているのか危ういくらい壮絶に激変している。「終わらない青春」は今のメンバーを歌っているだろうか?ふと思うことがある。

私は自分の母親が働くことに悩み、葛藤している様子を見て育った。そして、私自信が働き始めたら、同じ職場の女性職員たちが若い情熱と時間をつぎ込んだ仕事が自らのキャリアとして積み上がっていかない難しさを見て、その解決法を模索している。

アイドルの推し活もある意味、その一環である。ややもすると疑似恋愛を売り物に、業界と客になんの見返りもないまま消費されてしまうアイドルが、つぎ込んだ情熱と優れたスキルをどう本人のために還元させられるか、というテーマを持ってライブハウスに足を運んでいる。そんなこともあってnoteに書かれたサキマルさんの記事が刺さったのだ。https://note.com/webana_saki/n/n7991dcd9cd5a

だから、今の女性の声を歌にして聞きたい。
なにを感じ、なにを求めているのか。
それは必ずしも女性が書く必要はない。ジツカワさんがそれを書けるならそれでいいと思う。

今の女性はなにを歌にするだろうか。アイドルには疑似恋愛的側面があるが、おそらくラブソングは歌わないだろう。女性の本音は「恋愛どころではない」から。音楽シーン全体としてラブソングは少なくなった。そしてもっぱら「自己愛」が歌われ、それはやはり若者には反響が大きい。Hony Worksの「可愛くてごめん」、ややラブソング要素をひねっているが、やはり自己愛を歌ったFRUITS ZIPPERの「わたしの一番かわいいところ」などは記憶に新しい。

ある意味、「終わらない青春」というのも自己愛的テーマである。自己実現の内容がほとんどで、「恋愛」は副次的である。本当に「他者愛」の難しい世の中になったと思う。

正直、私のような昭和育ちとしてはむさぼるような恋愛を歌ってほしい。サキマル節でそれを聞きたい。そんな気持ちもある。
でも、今は令和だし、サキマルさんもマクマキさんもシグマさんもユラァさんも令和を生きる女性。彼女たちの本当に表現したい思い、歌を聴いてみたい。

蛇足にはなるが、苦しいアイドル業界、どこもかしこも売れ線で男ウケ狙いの「清楚系」に突っ走っているが、これだけはやめて欲しい。そんなのばっかりで、私のような年寄りには見分けがつかない。


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