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#53 前言撤回を恐れては発信なんかできない。

僕が1年前にnoteを書き始め、早くも1年が経ちました。

この間、本業でキャリアアドバイザーとして働く傍ら、複業での活動を始めるなど、個人的に多くの変化がありました。

思ったことを地道に書き連ねる日々を通して、「自分の意見」が多少なりとも変わっていく実感があります。

また、意見を言う際には、
本当にこう言い切っていいのだろうか?
将来的に意見が変わっちゃうんじゃないか?
と、不安になることもあります。

そんな時には、「将来どうなるかはどうでもいいからまずはポジションをとれ!」と、自分に言い聞かせているものです。

これは仕事上の会議や、家族、友人との会話でも常に同じ気持ちで、
そんな「発信時の心がけ」について書いてみようと思います。

ポジションをとらなければ、自分が何者か?はわからないまま。

僕が著書を愛読している、社会派ブロガーのちきりんさんの新刊でも、同じ話題を取り上げています。


詳しくは本書を読んでいただければと思いますが、
世の中は答えのない問題に溢れており、そんな中で我々一人ひとりが「自分なりの答え」を導き、1つの意見を持つ必要があります。

そうでなければ、いつまでも「自分らしさ」が醸成されず、「社会が正解とする姿」を求め、常に他人の意見を気にするといった生きづらさに繋がってしまいます。
(ちきりんさんはこれを「学校的価値観という呪縛」と呼んでいます。)

僕が扱うキャリアの話題もまさにそうで、
・転職すべきか?現職に残るべきか?
・大手か?ベンチャーか?
・引っ越すべきか?とどまるべきか?
といった、人生における重要な選択には、明確な答えは存在しません。

日々、自分の意見を持つことに慣れていない人にとっては、いざ来たる決断のタイミングで即座に自分なりの答えを導くことは難しく、
他の人はどういう決断をしたのだろうか?と、答え探しをスタートしてしまいがちです。


しかし、重要な問題ほど、すぐに答えを出す必要に迫られることがほとんど。

そんな時に迷わないためにも、常日頃から「答えのない問題にポジションをとり、意見を表明する。」という練習を積んでおくことが大切なのです。

「自分の意見が変わるかもしれない」という足かせ

自分の意見を言う際に感じがちなのが、
「今後変わる可能性のある意見は表明しないべきでは?」という不安による足かせです。

僕もそうですが、そもそも思考量が足りていなかったり、適切な情報収集ができていなかったりと、
時間的・技術的問題により、目の前の問題への意見が固まり切らないことは多々あります。

そんな我々にとって、揺らぐことのない意見をすぐに表明するのは非常に難しいもの。
ある程度固まった自分の意見を作るには、それ相応の思考の量と技術が求められるのです。

それなのに、揺らぐことのない意見しか表明しちゃダメだとしたら、一気に意見を言いにくい社会になってしまいます。

意見には正解が存在しない以上、その多くは変化していくものです。

稀に、「あなた以前はこう言っていたのに、今は違ってませんか?」というように、矛盾を突くことに熱中する人もいますが、こういった反応はノイズでしかありませんので、無視すべき存在です。

「今後変わるかもしれないけど」という前提を元に、ポジションをとる。

自分の未熟さや、将来意見が変わる可能性があるという足かせを外した上で、
まずは暫定的にでも「●●については●●の理由でこう思う。」と、ポジションをとることが非常に重要です。

そこで初めて、「いや、○○の理由でそれには反対だ。」などといった意見が集まり、議論のスタート地点に立つことができます。

そうやって壁打ちをしていくにつれ、
「最初はこう思っていたけど、今はこう思う。」と、多少意見が変化しながらも、ある程度固まった「自分らしさ」が醸成していく過程は、非常に素晴らしいもので、そこにその人なりの人間の深みが生まれてくるとも思っています。

僕が普段しているカウンセリングでも、
クライアント自身の、カウンセリング当初から徐々に変わっていく意見と、一貫して変わらない意見を、対話を通して紐解いていきます。

変わった意見は、新たな気づきをもたらし、
一貫して変わらなかった意見は、自分が大切にする価値観を再認識させてくれます。

このような、答えのない人生の課題に立ち向かう思考の変遷を通じて、より自分の意見に自信を持てるようになります。

そうなれば自ずと、自分の他人にどう思われようと、社会の思う正解と外れていようと、全くもってどうでもよくなります。

前言撤回上等です。是非自分の思ったことを意見しあえる世の中になればなあと思っています。

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