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ただ生きてくれてありがとう

わたしは自己啓発が好きで、10年前からいろんな人の本やセミナー、動画を見たりしています。今は、1人に絞って暇があればYouTube動画を見たりしていますが、

そんな中出会ったのが、この言葉です。

『大変な時代を生き抜いて、命をつないでくれて
 ありがとうございます』


これは、ご先祖様に向ける感謝の言葉です。

(ちなみに、普段のわたしは
 特定の宗教を信仰したり
 スピリチュアル系が好き
 という訳ではありません)

ドラマみたいな出来事があったわけではなく、
ただただこの言葉を知った時から、
心がスッと軽くなる不思議な感覚がありました。



全てが腑に落ちたような、、、
人生色々ある中、この言葉を思い浮かべれば
おおかた納得できるような、、、


ただ、
日々の忙しさに翻弄されていた私は、
しばらくこの言葉が頭から抜けていました。


そして昨年は、

人生に対する不安が込み上げてきた年でした。

精神的には変わらないのに、
身体の衰えを感じるようになり、
今まで1ミリも感じてなかった、
病気に対する不安や恐怖がでてきました。

健康面だけでなく、
将来についても不安になってしまいました。
自分はこの歳になって人に自慢できる実績もない、

やりたいことはたくさんあるけど、
そんな贅沢を味わえないまま、
やらなきゃいけないことに追われて
30年ほど過ぎてしまった。


きっとこの先もこのままかもしれない、、、


今まではこんな気持ちになったことないのに、
30代半ばになった昨年は、
急にナーバスになり始めました。


どうしてこうなったんだろう、、、


生きる気力が満ち溢れてる人は、
年齢なんか関係なしに輝いているのに、、、


そんなとまどいを感じながらも、
自分がナーバスになってしまった
はっきりとした要因がひとつあるのは
分かります。


それは、母親が認知症になったことです。


わたしの祖父と祖母は
2人とも晩年まで元気でした。
わたしも兄弟も
大きな病気や事故に遭うこともなく、
そういったこととは無縁の環境で
今まで育ってきました。

そのため、
まだ認知症になるには早いはずの母が
認知症と診断され非常にショックでした。



母親は、本当に苦労して生きてきました。

父親である『農家の長男と結婚』したため、
新婚のときからずっと
義父母を含む大家族の中で生活し、

農業の手伝い、
家事、
育児まで、

本当にひと時も自分の時間など持てずに働いてきました。


お父さんは仕事から帰ってくると、
ずっとTVを見てくつろいでいるのに、


母親は、

大家族の掃除、
洗濯、
料理、
洗い物、
子どもの世話

で座ることさえできない上に、
義母の目を気にして、
リビングでくつろぐこともできませんでした。

昼間は昼間で農業の手伝いがありますし、、、


おばあちゃんが寝たあとに、
リビングで横になっていても、
おばあちゃんがトイレに起きてきたら、
慌てて起き上がったりしていました。


子どもながらに、

(家だからおばあちゃんの目なんか気にせずゆっくりすればいいのに、、、)

と思ってましたが、
今思えば、
義両親がいて嫁の立場で、
好きなように振る舞うことができない
気持ちがすごく分かります。


もし自分だったら、


『仕事を全部任されて、
ゆっくり休憩することもできない、
誰もねぎらってくれない、
むしろ、ひとときでもゆっくりしてたら
小言を言われる。』


そんな生活耐えられません。


ましてや、
(ゆっくりくつろげるはずの家なのに、、、)
と不満たらたらになります。

しかし、母親は不満など言わずに、
献身的に家に尽くしてきました。


農業の間の休憩時間も、
嫁だからということで、
みんなのお茶やお菓子を用意して
振る舞わないといけませんでした。

正月も、
親戚が一同に集まって
泊まっていったりするものですから、
いつもより大人数を相手に
料理などのもてなしを
朝から晩までしていました。

だから、
正月ゆっくり帰省することも
許されませんでした。



外で働いて、
家に帰ってくれば
ゆっくり自分の時間を過ごせる。


そんな人生だったら、
母親は幾分も人間的な生活ができたでしょう。




若いときの母は本当に容姿端麗でした。
周りの人からの評判もそんな感じでしたので、
実の子どもだからと
色眼鏡で見ているわけではなく、
それは間違いないと自信をもって言えます。

頭も良く、勉強もよくできました。
結婚前の母親の写真を見ると、
キラキラと輝いていました。




でも結婚してからは、
母はいっさいお洒落はせず、
遊びにも行かず、
家のために尽くしてきました。

そのうち、
おじいちゃんおばあちゃんの介護が始まると、
全て母親が担いました。
それに加えて、
自分の両親の介護もしていました。


結婚してから30年以上、
家族のために働き続ける人生でした。



介護も終わり、
子どもも独り立ちし、
これからやっとやっと
ゆっくりできるかなと思った矢先に、
母は認知症を発症しました。



(母の人生とはなんだったんだろう)


と絶望しました。


わたしもまだ子どもたちが小さく、
実家も遠いため、
物理的に献身的にサポートできる状況ではありません。

余裕ができたらもっとたくさん旅行に行ったり、
家のことを手伝ったり
親孝行したりしようと考えていました。


でも、
思っていたよりも時間は限られてしまいました。

もちろん、
孫の顔を見せに行く、
頻繁にLINEをするなど
できる限りのことを今もしていますが、
元気なうちに
もっともっと贅沢をさせてあげたかった、、、
美味しいものを食べさせてあげたかった、、、


もどかしい思いが溢れてきました。



そんな思いを巡らせていたある日、
YouTubeで第二次世界大戦のときの
ある家族の話を
目にしました。

赤紙が届き出兵することになった男性には、
奥さんと幼い子どもたちがいました。
出兵の際に
ただただ名残惜しそうに、
幼い大切な我が子を
ぎゅっと抱きしめる男性。

奥さんは、
出兵した夫に一度会うことができますが、
夫は、
まともにご飯も水も口にできない
過酷な環境にいました。


結局、
その男性の奥さんは
終戦後、
子どもとずっと夫の帰りを待つものの、
夫が生きて帰ってくることはありませんでした。



小さな子どもを持つ親として、
もしわたしがその立場だったとしたら、、、
と考えると胸が張り裂けそうでした。


わたしのお母さんも
この戦争の中を生きたご家族も、
どうしてこれほど大変な思いをしないといけなかったのか、、、


と悲しくなりながら、
そのYouTube動画に寄せられていたコメントを
つらつらと見始めました。


すると、
誰かが書き込んだコメントに目がとまりました。


(あれ、、
 この言葉知ってる、、、)


『大変な時代を生きて、
 命をつないでくださって、
 ありがとうございました。』


ふとこの言葉にもう一度出会い、
涙が止まらなくなりました。


ただただ生きて命をつなぐことが、 
どれだけ難しく尊いことだったか、
ハッと改めて気づいた瞬間でした。


母は、
今よりも自由のない環境で、 
必死に働きわたしたちを育ててくれた。


それが、とてつもなくすごいことだった。

そして、
母が産まれてくれて、結婚しくれて、
一生懸命生きてくれなければ、
わたしはここに存在していないし、
わたしの愛する我が子たちも存在しなかった。


そう思うと、

母が、
『ただ産まれてくれただけで、
 存在してくれただけで、
 すごいことなんだ』
と思うようになりました。


『産まれてくれてありがとう』という言葉は、
親から子どもへ言う言葉だと思っていましたが、

子どもが親へ言うべき言葉でもあったんだと、
気づかされました。


あなたが産まれてくれなかったら、
わたしはここにいなかった。


今の
自分の立場に置き換えると、

この先の人生、
うまくいかなかったり
失敗をしてして
冴えない人生だったとしても、
『ただただ産まれてこの世を生き抜くことが、
 大切で価値があることなんだ』

と思うと、
スッと心が軽くなりました。

自分が死んでお墓に入ったときに、
自分の子どもや、
まだ見ぬ孫やひ孫、
そのまた子孫が、
『生きて命をつないでくれてありがとう』
と手を合わせてくれるような人生にしていこう。


『産まれてくれてありがとう
      命をつないでくれてありがとう』


今できることは少ないかもしれないけど、
この言葉は絶対、
母親に伝えていこうと決意しました。

この言葉に出会うことができて、
本当に良かったと感じた昨年の出来事でした。


《 おわり 》





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