日本の美意識 ~長谷川等伯「松林図屏風」より~

余白の美は、長谷川等伯の松林図、と暗記した気がする。等伯は南宋の牧谿の画に影響受けたらしいので、牧谿画の受容が室町時代だから、余白の美は桃山時代に意識化された美意識なのかな。

長谷川等伯「松林図屏風」

長谷川等伯が私淑した、南宋時代の牧谿の水墨画は、室町時代に茶掛けとして人気だったらしい。好んで日本に輸入された理由は、独特な霧の中のような表現が好まれたとか、死後中国での評価が下がったので輸入しやすいかったとか。

牧谿の画は、”見るものに湿潤な大気を実感させる水墨画”と説明されるが、なぜこれが日本で好まれたのだろう。

印象派のモネの絵画が日本で好まれるのと、牧谿の水墨画が好まれたのと似ているのかも。空気感の表現が好まれるのかもしれない。

だとしたら、なぜ空気感の表現は日本で好まれるのだろう。うーむ、余白の美の源はどこだ。

余白の美、が言語化されるのは、江戸時代の絵師土佐光起(1617~1691)の『本朝画法大伝』のようだ。(以下抜粋)

"白紙ももやうの内なれば心にてふさぐべし"

"何にても十分に残さず書くをきらふ、事少なにして意一ぱいなるをよしとす。下士の画たるは意いたらざるが故十分に書ても却て足らぬやうに見ゆ。良工書たるは事少にて意模様調はざるがよし、添物も三分一ほど書たるがよし。詩歌の心をかくともみな出すべからず。おもひ入を含すべし"

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