見出し画像

【4/19観劇記録】東のボルゾイ ミュージカル「ガタピシ」(ネタバレだらけ)

はじめに

この世界の、正解の道を生きようとしちゃう哀れで愛おしい私たちに向けた先生からのメッセージ。

東のボルゾイの作品は過去にも何度か拝見したことがある。
毎回、
こんな世界観どうやったら築けるんだ?
どんな稽古をしたらキャストに意図が伝わって客席にも伝わるんだ?
難解なのに置いてけぼりにしない音楽を作り出せるんだ?
と信じられない気持ちになる。

東のボルゾイ主宰の演出・脚本・音楽の3名の天才が織りなす想像力豊かな舞台に毎度圧倒されてしまう。

今回は、特にそれが爆発していた…。

通常そういうクリエイティビティが爆発しすぎると舞台にアンバランスが生じて独りよがりになるか、爆発して客席がポカンになるのを恐れて"大衆"に寄りすぎるかのどちらかだと思うが、今回は受け取り手がギリ把握できるかできないかの爆発をされており、客席にどでかい問いを投げかけ試されているようだった。

作品の根幹にあるもの

今の世は、なんでもやっていい豊かな世界になった。なにをやるのも自由、選択するも自由、どんなふうに生きるのも自由、自由…
生きているかぎりどんな愚かなことを行ってもいいが、人に迷惑をかけてはいけないことが条件。
これを「愚行権」と呼ぶらしい。
この作品はその愚行権を取り巻く恐怖と、悦楽、葛藤を描く。

「愚行権」は一見自由の象徴のように捉えてしまうが、迷惑をかけないというのがなかなか難しい。
確かに今の世の中迷惑をかけることへのジャッジが厳しくなり、失敗をしづらくなったし失敗を許容してくれる社会ではなくなってきた。

「人生は失敗の連続さ」と人は明るく言うけれど本当にそうなのだろうか。
スマートに、さも失敗していないように生きて抜いてみせることがこの世界の正解であり価値観になってきてしまったように思う。
そんな現代社会への風刺がピリッと効いているのが「ガタピシ」だ。

物語の内容について

そもそもこの作品、だいぶおかしい設定からはじまる。
先生が亡くなり久しぶりに葬儀に集まった生徒たち、火葬を待っている間「先生は丸付けが遅かったよね」なんて言いながら故人を忍んでいる。
しかしどうやら火葬の途中、機械トラブルで火が消えて遺体が半焼けになってしまったらしい。
(脚本の方に訊きたい、何を食べたらこんな設定が思い浮かぶのだろうか)

卒業生たちは、不謹慎ながらも先生の半焼けの姿の想像をしては、
その先生がかの日卒業式で語った「愚行権」について思いを馳せ、今一度自分に問う。

「何をしても良い、でも迷惑はかけないで。」

この劇を通してとりわけ主人公・イトはこの問いと対峙することになる。
卒業式の祝辞で「愚行権」について説いた先生はおそらくそこまでの他意はなかっただろう。しかしそれ以来イトは先生が放った言葉の真意について納得できずにいるし、違和感(よりも傷つくに近い?)を感じている。

そんな主人公が先生をはじめとする様々な登場人物の考えや環境に触れることで少しずつ他者の考え方を許容できるように変化していく

6人の生徒と先生。魅力的な登場人物

・イト
主人公の女の子、魔女の宅急便キキみたいな見た目。明るい、イマジナリーフレンドのキュートなおばけを脳内に飼っている。(お守りのような盾のような存在でイトの臆病な部分が隠されている)卒業式での先生の言葉にずっと納得できずにいる。本当は映画監督になりたかったことを思い出す。迷惑をかけないこと、本当のやりたいことの問答を続けている。本人は椎名林檎の「人生は夢だらけ」みたいな人物像を求めていそうだけど、多分割り切れない感情を色々持ちながら生きている。

・キヌ
お色気担当。自分の社会活動圏にもいる、モテてしまう女、考えているのかいないのか、社会的規範とはまた少し違う時間軸でいきている。「堕ちていこうよもっともっと」の歌詞、まじで堕ちていきそうになる。ああいうモテとかメンヘラとか上手く使える人間って刹那で生きている、後先をあまり考えない危うさは余計に輝きを増す。
最後「正しい人生を生きる土俵」から降りるか否か迫られるシーンで他の人が降りたのを見て「ださ!」と吐き捨てるが、その表情にはどこか羨ましさが滲み出ている。多分メンヘラであるのは他者がいて初めて自分が成立するから、自分一人で選択できる勇気を持っている人に対しては嘲笑いつつも羨ましいんだと思う。

・アサ
正直このキャラが一番わからずだったかもしれない。M7キヌの歌とM8のアサの歌はどこか対比しているように感じる。キヌの歌の方が独りよがりの快楽主義という感じがして、アサの方が自分の本当の姿を吐露するシーンだと思った。強烈な音楽が多い中アサの曲は少しバラード調、客席に聴かせる歌。アサはキヌとともにハリの父親役も兼任しているから恐ろしい演技も見られるのだけれどアサ自身はとても素直でチャーミングな男の子なんだと思わせる。そして共感指数が高い役だし、パーミッションエクスタシーを求めていて、先生の祝辞の今後の展開に繋げる重要な役割を果たしている。

・ワタ
最初はお化け。イトのイマジナリーフレンドだから、イマジナリー、想像ということで人から認知もされていない(それどころかイトからもほぼ認知されていない、大変悲しい状況)。
その虚しさを歌い自分の存在意義を問い続けているが、どこかチャーミング。ワタの歌には中毒性がある。
最初のシーンは一人だけ白いシーツのお化け姿であるから、異物感が半端ないけど、そのシーツがはがされてからは繊細な女の子で苦しさに寄り添いたくなってしまう。

・ハリ
葬儀屋の仕事から和尚、喪主まで?全てをワンオペで頑張っていて完全なキャパオーバー。ポクポク→おくりびと→アカデミー賞のもっくんのシーン大好き。ハリの原体験・両親の「危なくない人生を生きろ」「迷惑をかけるな」の言葉に縛られている。一生懸命に生きてきたというのが冒頭一曲だけで分かるが、両親が過干渉?気味で潜在的に「良い子で生きなきゃ」と思っていそうだ。ハリの葬儀屋ワンオペソングから、劇の進行が始まっていくと言って良いだろう。ちょっとマゾっ気もあってキヌと続きのストーリーもありそうでとても気になった。

・ニット
何にも考えていない愛されアホキャラに見せかけて、それぞれのキャラクターが悩みや葛藤を歌う時なぜかいつも近くで寄り添ったり能天気に笑って見せたりする。こういうキャラがいるだけで観客としては色々な意味で救いになる。飼い主が落ち込んでる時横でにかにかしている柴犬みたいな可愛さがある。差別用語だけれどやや脳たりん、でもそのキャラがいてくれることでこの劇のバランスは保たれている。
ニットだけが、いろんな人の味方であり(味方と言っても有効なアドバイスをできる道標ではないが)自分の思うままに生きていける人間。

・先生
上記の生徒たちの元担任。緑のジャージがチャームポイントの明るい女の先生。先生にしてはどこか勝手で威厳があまりないので生徒からは舐められがちだが、問いかけている内容は芯があり、グサッと刺さる言葉ばかり。
亡くなった人間だが、劇中のあらゆるシーンで生徒たちの思考に介入しては強いメッセージを投げかける。
ほとんどがジョークや上部の言葉だからかそう見えないけど…そこのバランスが絶妙。最後のイトとのシーンはグッときた。

このキャラ濃いメインキャストにアンサンブルがシーンを盛り上げたり引き立てたり鮮やかにしたり増幅させたりする。それぞれの役に名前がついていて、人によって違う衣装だけれど統一感があってPerfumeみたい。最高。

印象的なシーン

「愚行権」について問答しては答えになかなかたどり着けないが、終盤にかけての畳みかけが非常に鮮やかだ。とりわけ最後のシーンは圧巻だった。
黒・赤・青を基調とした不穏な雰囲気の舞台から一転、輝かしい青空のような広がりが見られるシーンになる。
今までになかった黄色や鮮やかな赤、緑の色を使ったフラフープ、リボン、傘が出てくるだけでなく、天井からはカラフルチップがやりすぎなくらい大量に降ってきて、子どもから見た桃源郷のような世界が広がる。
アンサンブルはやけに明るく「あ〜らららんは〜ららら」と歌うし、解決に導くピアノ・チェロの響きなど…とにかくこれまでのいろんな感情をざーっと洗い流してくれる。

この作品で伝えたいことは何だろう?

この作品を通して、伝えたいメッセージは「周りのことを気にしすぎず馬鹿なことも楽しもうよ!」ということな気がするが、それは表向きのカラッとしたメッセージにすぎず、裏にはもっといろんな想いが隠されているだろうと思う。

この失敗のできない、他者を気にして迷惑のかけられなくなった社会でどう生きていくか、まじめに向き合った生徒たちの顔はどこか凛々しく誇らしげだ。馬鹿なことをやるにしたって、本気で考えなければたどり着けない世界があるし、自分の人生を選択できるのは自分しかいない。
「自分にできる馬鹿なこと、自分が本当に求めていることを真剣に考えて、その上で弾けろ」と背中を押された気がした。
多すぎるカラフルチップも、幼稚園ぶりに見かけた遊具で遊ぶ先生も、破壊のエネルギーを持った現代的な動きから何事もなかったようにはしゃいで眠くなる登場人物たちも、どこかキテレツでおかしくて愛おしい。
やるせないこの世の中に生きる私たちだからこそ、今この瞬間を慈しんで、楽しんで、全力で生きることが大事だを教えてくれる作品だと思った。

演出、脚本、音楽について

舞台が好きな人がこの作品を観ると舞台の良さをもっと感じられるはずだ。視覚に訴える直感的な身体表現や演出のセンスが光っているし、脚本の中でも言葉の重要度にグラデーションがあるのが面白い。
重みのある言葉だけでなく、観客ボリュームゾーンであるZ世代が確実に理解できないであろう昭和歌謡のネタが相当長い尺で続いたり、ただただ筆が乗ってしまったであろう韻の踏み合いとか、現代社会への風刺をギリポップに包んだ感じとか、、無駄に思えそうなものもあえて残している所が余計この作品の脚本の良さを引き立てる。きっとわかる人にしか伝わらないのも見越した上で意図的に楽しんでいる。そういった時折のいじわるさがまた魅力だ。
映画撮影の設定や各々楽器を持ってサンバっぽい感じになったり、かと思えばヤンキー?の先輩と後輩の構図が見られたり、ミュージカル作品としての満足度も半端ないが、やはりこれは演劇作品なのではないかと思う。

音楽について、ピアノとチェロという最高な組み合わせを採用した方にお礼と感謝を伝えたい。チェロの多様な現代奏法(黛敏郎のBUNRAKUみたい…)を用いており、ピアノとチェロの相性が本当に良かった。
最初の音と最後の音がチェロのピチカートであらわされるところ、センスの塊でしかない。天才だ…
今後ボルゾイさまが発展していかれた際に楽器の編成が大きくなったりする?かもしれないが、ミュージカルにして「ピアノと楽器1本でミュージカル作れまっせ」という姿勢があまりにかっこよく、この作品の最適解と感じさせた。
楽曲について、全11曲ナンバーはどれも難しいが、癖になるテンポの良さとキャッチ―さがある。
例えばM2「糸おかし」とM11「糸わろし」の対比。
ストラヴィンスキーの春の祭典の冒頭みたいな尖ったリズム、メロディーでアンサンブルが盛り上げたと思えば客席にイトが「何をしたいか言ってごらん、思うがままにやってごらん」と客席一人一人に問う。M2は「迷惑をかけないことを推奨される人生」への問題提起とイトの葛藤、M11はイトが先生からもらった言葉をもって解決していく様子がほぼ同じメロディーで示される。M11で「燃え尽くした身体でやっと自由になる、何も残らないほど使い切ってしまえ」と歌われる。先生が火葬場で半焼けだった状態から、ようやく火葬が終了することの事実と、イトに先生の想いが伝わり安心して成仏できる?みたいなニュアンス、「今を生きろ!」というメッセージをトリプルミーニングくらいで感じ取った。まだ浅い感想で読み込めていないので今後上演台本と睨めっこしながらボルゾイの3人が何を考え何を伝えたかったのか考えていきたい。

さいごに

タイトルにもなっている「ガタピシ」は建て付けの悪い建物とか家具が音を立てて軋んだりしている音のことを表すらしいが、仕切り直した2回めの祝辞の先生の言葉はグッときてしまった。

卒業して社会に出ると色んな人がいる。
同世代の中でも若くして立派に活躍している人、成功しそうな見込みがある人、なさそうな人…
20代くらいからじんわりと"正解の人生"への答え合わせが始まるが、遠回りしたり他人に迷惑をかけてもいい。身体中に「ガタピシ」と音を立てる壊れかけの感情にも耳を傾けて、馬鹿で不器用な毎日をめいいっぱい過ごしたらいいんだと気づくことができた作品だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?