圧倒されるのは嫌いですか
経験から何かを学ぶには、経験したことを整理し、そこから何を学んだのかを把握しなくてはならない。
しかし、稀に何を経験したのか分からないほどに心揺さぶられる出来事とか、情報量が圧倒的過ぎて何を教えられたのか分からない対話とかがある。忙しすぎるという時もそうかもしれない。こうした類いのものを放置しておいても、何も学べない。何を学んだのかということが整理できないからだ。
でも学べないから経験しなかった方がよかったかというと、そういうことでもない。学び取れないほど圧倒的な経験をしたということを一つの経験としてストックしておけばいい。井の中の蛙とか世界では良く分からないことが起きているとか、大変な状況に置かれている人もいるとか、そんなことがぼんやりと心の片隅に刻まれることも有意義である。
圧倒される経験が多すぎるのは疲れますけれども、すべてがコントロール下にあるのが良いというわけでもないでしょう。
最近、聞くための音楽が遠い存在になってきています。頭の中が静かになる時間が少ないので、BGMをかけたくないです。主張のある音楽が聞きたくない。思考を深くするための、ホワイトノイズの役目を果たしてくれる音楽が必要なのかな。
知らないジャズを小さくかけると心がほぐれる時があります。
心地よく無音で過ごせるならそれも良いです。
でも自分で音楽を奏でる時間は別です。没頭は救いです。