似ているような
似ているような気もするし、全然似ていない気もする。
自分は相手の気持ちを分かっていると思い込んだり、相手は自分の気持ちを分かってくれていると思い込んだりすると、関係はこじれやすくなってくる。余裕がある時は小さいことを気にしないで済ませられるのだが、余裕がなくなると「遊び」がなくなる。車のハンドルやブレーキには必ず「遊び」があり、多少の動作が即座には本体の動きに影響が出ないようになっている。人間関係もお互いに余裕があれば、この遊びの範囲で微調整が出来る。だが、少しずつ積もり積もった変化もあり、一気に変わっているものもあり、遊びがなくなってくると意図せず急ハンドル急ブレーキになっていることがある。「あれぇ、なんでこんなにぶつかるかなぁ」ということになる。
多少の我慢や妥協は当然必要だけれども、不穏な空気が頻繁に生まれるのは良くないので、言葉で認識をアップデートしてみる。
感じ方や考え方の変化はあるか。
余裕がなくなるタイミングや原因は何か。
対処法は何か。
どんな状況でどんな気持ちになるか。
そんなことをふわりふわりと尋ねてみて、微調整を重ねる。締める所を締め、緩める所を緩める。
お互いの願いや、限界や、視点を伝え合う。
余裕があまりないということ自体に変わりは無いので根本的な解決は無さそう。でも、とりあえずお互いに余裕がない中で何とかやりくりしているらしいという相互の認識は深まった模様。
なお、息子は絵本を食べたりちぎったりしています。
以上。
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