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オケの好きなとこ、嫌いなとこ

オーケストラのコンサートで好きなのは、弦セクションがシルクのような滑らかな響きを聞かせてくれるところ。いいオケは、トップの熱量と最後尾の熱量が変わらない(ように見える)のだ。トップはある意味オーバーリアクションでザッツを出しているけれども、それでも最後尾に至るまでの弓遣いや体の動きがシンクロしている。そういう弦セクションは熱い。
これは、後ろにいる人もやる気と緊張感と余裕をもって弾いている証拠。そのやる気が楽譜かじりつきではなく、ちゃんと前と横を見る余裕を保ったうえで熱く弾いているからそうなるのだ。
冷静と情熱の間で弾くことが、全員にいきわたっていること。これはプロアマ関係なく、いいオケは弦が前から後ろまでが一つの波のように弓と身体が動く。そういう演奏会に出くわすと幸せになる。

また、金管のハーモニーが完璧だったり、木管のソロの吹き回しが絶品だったり、旋律の受け渡しがシームレスだと幸福感に満たされます。

あと、ティンパニとコントラバスがうまいと最高。土台というか、外枠というか、音楽の外観がしっかりとする感じがある。

交響曲って4楽章もあるし、実際長い。でも楽章ごとに情景が見えて、そして一曲全体も、さらにはコンサート全体の流れをも構成されていると、「これはちゃんとプロデュースされているな!」と感服せられる。そこにはいろんなタイミングがあるのかもしれない。まるで一本の映画を見終わったような、ストーリーを味わったような達成感を与えてもらえる。

元気に頑張って弾いていればいいというのではない。メリハリと全体の構成が明瞭なのがいい。引くところは引く、出るところは出る。そして、それが全体として意味ある構成になっている。

そういう演奏会に行きたい。

この逆がね、残念な気持ちになります。
各パートは頑張っているけれど、一つの音楽を作りあげられていない。
弦の前は頑張っているけれど、後ろが控えめにしか弓が動いていない。一体感がない。
包み込むような低弦の支えがない。
金管のハーモニーが濁っている。旋律の受け渡しが微妙にずれている。
楽譜通りに弾こうとしているのはわかるけれど、だれも音楽の全体像を思い描いていない(感じがする)。

だからね、いつもは室内楽の方が好きなんです。一人一人の肩に載っている責任が非常に重たいから、気の抜きようがない。

でも、たまにオケの素晴らしい演奏会にも出会うので、たまに聞きに行く。

残念な演奏会に行くと悲しくなるのは、音楽に浸れなくて冷めてしまうのが悲しいのと、あと「自分の演奏もこんなふうに聞こえちゃうのかな…」と妙な自己投影をして落ち込んでしまうから。

いい演奏会に行くと幸せな気持ちになるのは、音楽に浸れるからというのもあるけれど、自分も音楽をかじっている者として「こんな演奏に自分も近づきたい!!」という夢をもらえるから。

夢を見たい。音楽のなかに溶けて、自分の存在を忘れさせて欲しい。
弾くにしても、聞くにしても、そういう音楽による没頭というか昇華というか、没我状態まで行きたいのだ。
そして、そうならないならば、大変寂しい気持ちになる。

最近聞いたコンサートは、なぜかアンコールが絶品だった。なんでやねん。メインでちゃんと満足させておくれ。
音楽は生き物。ましてオーケストラは有機体だ。一期一会。

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