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アンデス、ふたりぼっちを観ました

とは言っても、観たのは五月のゴールデンウィーク真っ最中のときでした。
もう半年くらい経ってしまいましたが、なぜいまさら感想を書いているかというと、ここ最近ペルー映画祭が開催されているからです。
(来週何日か鑑賞させていただく予定です)。
ちなみに、この映画は上映されていないようです。
半年前も記事を書こうと構想を練っていた形跡がノートには残されていたのですが、なんだかなかなか文章化へと進んでいませんでした……、胡蝶蘭のせいではないけれど、胡蝶蘭があまりに魅力的なので……? まあいいか……。

あらすじや背景などは、こちらをご覧ください。

まず、この映画を観たいと思ったのは、プーノに何回か行ったことがあったからでした。そもそも、南米の音楽が好きで、プーノの曲もとても好きで、ユーチューブを眺めたりしながら、こんなところへ行ってみたいなあ、行けたらなあと憧れていた時期がありました。
そうして実際行ってみたら、おそらく多くの人はこういうふうに感じると思います。生粋のプーノ出身の人が、プーノの大学を出て世界各国で上映されるような映画を作るというのは、想像の域を超えているといっていい出来事でしょう。
プーノは標高3700メートルくらいの山の奥深いところにあり、プーノの人たちは主に観光や農業などで暮らしていて、十代に見えるような子たちも普通に子供を抱えたりしていて、失礼な言い方ではありますが、なんというか、あまり映画を撮ってみたくても実行に移せるだけの経済的余裕(教育や、時間やお金など)があるようには見えないところでした。
ボリビアからタキーレ島へ行くためにプーノへ向かう高速バスに乗ったときに、大雪が降って家畜が死んだり農作物に被害が出たりということで、途中の村でストライキが起きて足止めを食らったこともあり、ようやくたどりついたプーノのホテルで、「日本ではストがないの? 日本ではみんな政府に満足しているんだね」と言われたこともありました。
そんな表面的な状況だけをさっと見ただけでも、アイマラ語の映画が珍しいだけでなく、「プーノの映画」と聞いたら、ちょっとどんなものなのか観に行かずにはいられないし、監督がどんな人なのかもとても気になるところなのです。
お金持ちの親戚がいてリマに入学する、など特別な事情があれば別なのかもしれませんが、どうもこの監督はそういうわけではなく、本当に自分の力でやってきたようです。最初のころなんてパソコンを持っていなくてネットカフェに通って製作していただとか、かなり苦労されたようで、そうして映画の撮影中に34歳で亡くなられたそうです。

ここからネタバレを含みます





この映画は、老人の放棄を描いたものとのことです。
ペルーの田舎のほうでは、若い人は仕事を求めて都会へ行ってしまうので、老人が取り残されることが問題になっているそうです。
なんとなく、牧歌的な雰囲気の漂う朗らかな映画なのかなと想像してしまいがちなのですが(そういう面もないわけではないですが)、山から若い人は出て行ってしまって、取り残された老人たちが徐々に生活できなくなっていき、やがては自ら山へとかえっていく、そんなお話です。
一概には言えないけれども、すっかり文明の恩恵に浸かって生きていると、なんだかこういう生き方もいいなと思うのは私だけではないと思います。
いろんな世界を知っていろんなことを考えられるようになって、しかしそれは雑音がありすぎたり余計なことで思い悩んだりということにもつながります。
自分がこういう立場(マッチ箱一つ買いにいけないことが死につながるような)に実際に陥ったら、なんと不運な、と思うでしょうが、映画の世界だからフィクションではあるけれど、世の中にはこういう生活をしている人がいるのだ、あるいは日本もちょっと前までは多かれ少なかれこういう生活をしていたんだなあと思いながら観ることもできます。私の祖父母の家も、年を取ると片付けができなくなってきて、衣類がそこら中に置いてあったような気がするのですが……、お年寄りだけで暮らしていると、ちょっと気を抜くとそういうことになりがちなのか……。
祖父は山の中で暮らつつ先になくなり、祖母は数年後に我々の住む都会の施設に入ってもらって、最期を迎えました。祖母はずっと山へ戻りたいといいながら亡くなりました。環境も本人の状況も独居できるような状況ではなく(交通の不便さとか、冬は寒すぎたり)、家族の誰かが何年も同居してつきっきりで過ごすこともできず、施設では周りの方々も親切にしてくださり、周りの目もあるから本人も一人で山のふもとで暮らすよりもしゃきっとしていたとは思うのですが、何度も住んでいるところを変えている私と違って、生まれてから八十年も同じところに住んでいた祖母にとっては、故郷や家への思いは、私たちのがどんなに想像してもわからないものがありました。

クスコからプーノの町へ行くときに、バスの中からぽつりぽつりと家が見えて、こんなに人里離れたところに住んでいる人たちはどんな暮らしをしているんだろうと思っていました。(ガイドさんが、こういうところは学校まで歩いて何時間もかかるし親は子供に仕事を手伝ってほしいから、子供たちは学校へ行かなくなる、というような話をされていました)。
今回の話は、そんな道路沿いではなく、さらに奥まったところに住んでいる人たちのお話でした。
ものすごい大自然の中で生きていて、先祖や山の神々に見守られていという、周りの環境との一体感のようなものは、実際そういう暮らしをした人でないとわからないと思うので、うらやましい気もします。こういう暮らしに憧れて、一時期だったら暮らしてみることもできるかもしれませんが、一度現代の生活に慣れててまった人は、完全に戻ることはできないと思います。
監督は幼少のころアイマラ語しか話さない祖父母の元で育ったことがあるようで、子供のころにそういう環境を見ていたから、自分の中に祖父母が見ていたものや暮らしていた感覚を取り込み、完全ではないものの、そういう世界を内面に抱え、映画で再現することができたのでしょう。また、どうしてもこれを撮って残さねばという思いがあったから、どうにか実現した映画だと思います。
(どんな映画でも、そういういろいろな要素が重なってできるものだとは思いますが)。
欲を言うなら、監督の生い立ちを映画にしたものも観てみたかったです。

ペルーの大自然というか、マチュピチュなどの観光地とはまた違ったすごい景色や、そういうところで暮らす人たちの様子を見たいという人にもお勧めです、って、お勧めしても今はどこで観られるのかはよくわからないのですが…(すみません)。
というわけで、ペルー映画祭、楽しみにしています。


プーノへ向かう道路より。こんな景色がずっと続いています。
映画の舞台はもっと山の奥でしたが。



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