お通夜に何人きて笑ってくれるかなぁ
はじめに
どうもうるおの中の人です。
はじめましてのかたははじめまして。
少しばかり経営や団体活動・運営をかじった37歳です。
そんな中で出会ったすげー人から学んだこと、じぶんなりにつくりなおしたことを残そうとふと思いました。
あー、なんかわかる
これ今度の朝礼で使ってみよう
部下の指導にいいかも
うるせーばかやろう
コーヒーでも飲みながら流し読みしてもらえると嬉しいです。
ぼくの生きる目標
はじめはこれだなぁと
なんで生きてるんだろってひともたくさんいてるでしょう。それって分からないんじゃなくてまだ出会ってないか気づいてないだけです。ぼくが生きる目的を決めたときのはなしです。
社会人になる
むかしむかし、ぼくは地元の高校から父の取引先である大阪の企業に就職することが決まってました。ですが就職前に倒産。父が亡くなってからぼくは知ったのですが多額の金銭を貸していました。そりゃこどもが就職する先ですから。
それはさておき、大学受験の時間もなく推薦で大原という専門学校に入学します。大阪のなんばにその年にできる建物で左衛門町も近い。ここしかないと思いました。
そんな気持ちで入ったものですから遊び7割です。国家資格は運よく合格。日本橋が近くオタクまっしぐら。美少女ゲームのサイン会では常連でした。
そんなぼくにも就職の時期が来ます。
そのときに担任から肩を叩かれそのまま教員採用となりました。
なんとなーくで進学した学校で就職。
毎日夜遅くまで働いてたまの休みは日本橋。
ただただ日が過ぎていくだけでした。
業務のなかで学生の就職活動をみるのですが、そのとき聞くんですよね。
「夢はありますか?」
学生はきらきらした夢を語ってくれます。
いや、ほんとにじぶんが恥ずかしくなりました。
あれ?ぼくってたまの休みのために働いてるだけじゃない?
何したいんだろう。
そう思ったぼくは働かされてるだけと感じる職場から去ることにします。
家に帰って父の仕事を見て手伝うなかでゆっくり見つけようと田舎に帰りました。
父とのわかれと生きる目的
故郷にもどりゆっくりと流れる時間のなかで、家業の営業を手伝います。
はじめはお客さんの御用聞きでしたが、父も68歳。
取り扱うメーカーの会議や社長さんの集まり、祭りの責任者など代役として動き回ることになります。
父が会社に出てくるのも少なくなりはじめたころ、癌が再発。あれよあれよの間にこの世を去ってしまいます。
ぼくはひとりっ子、母は家業に触らせてもらえてなかったので通夜の段取りなどじぶんですべて行いました。死ぬときは家がいいと生前に言ってたので実家で通夜をしました。
新聞にも載せずひっそりと。
ですが、通夜のはじまるまえから家のまわりに車が増え急遽近くのコンビニやスーパー、銀行に駐車場を借りることに。
銀行頭取、市長、経営者の方々、メーカー重役など弔問は400名にのぼりました。
何も案内もしていないのに遠方からはるばる来て泣いて笑ってくれている
父がこのひとたちに何をして何を残したのか
あぁ、そんなひとにぼくもなりたいな
漠然としたぼくのいきる目的が持てたときです。
あいついないとダメなんだよな
あのときはあいつがいたから
あいつのおかげで
あいつはええやつだったんだ
どれだけのひとと関わりがもてて、どれだけのひとになにかをしてあげることができるか
ぼくはそれだけを人生の理念として掲げてます
みなさんの夢や目的がみつかりますように。
みつかっているひとはそのゴールが達成されますように。
このはじめたnoteもそのひとつ
うまく文章書くことできませんがだれかの役にたてばうれしいです。
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