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バえる言葉

 Yahoo!ニュースのコメント欄が好きだ。誰かに対する罵詈雑言やうさんくさい政治思想に溢れ、もう日本はおしまいだなどと自虐を装いつつ実は他責的で独善的な言説が幅をきかせる、あのしょうもないコメント欄を読むのが好きなのだ。

 ヤフコメ欄で嬉々としてご高説を垂れ流しているのは、主に中高年のネット民である。彼らにとってあそこは手軽に書き込め、運が良ければバズることのできる自己表現の場なのだ。多くの若者が利用するInstagramやTwitter等のSNSでは、それなりのセンスとフォロワー数がないとバズることは難しい。しかし、Yahoo!ニュースなら元記事自体に情報としての価値があるため、記事が配信されてまもなくコメントを書き込むことができれば、孤独な中高年の偏見やイデオロギーに満ちたしがないコメントでも、バズる可能性が十分にあるのだ。

 そんなわけで、日々の暮らしで溜まったストレスを発散し承認欲求を満たすため、今日もヤフコメ民は最新ニュースの記事を読みあさり、あるいはそのタイトルのみに目を走らせ、我先にとコメントを書き込んでいく。彼らの言葉は、現代社会において市井の人々がどのように日本語を使用しているのかを知る上で、大いに参考となる。

 また、ふだんはいわゆる「言葉の乱れ」を鬼の首を取ったように非難しがちな中高年が、実は自分たちも「乱れた言葉」をつかいまくっているというサンプルがうじゃうじゃ見つかるので、それに内心ツッコミを入れながら読むのも面白い。

 たとえば、上述した「鬼の首を取ったように」という慣用句を誤用して、「鬼の仇を取ったように」と書き込んでいるヤフコメ民がいた。なんで鬼の味方してるんだよ、とツッコみたいところだが、「親の仇のように」と混同したのだろう。「天下の宝刀」などと書き込んでいるやつもいた。それを言うなら「伝家の宝刀」だ。

 その種の明らかな誤りの他にも、元は誤用であったが、今では言葉の変化ととらえられるほど広く使われるようになった表現も散見される。たとえばそれは「至上命題」のように、「命題」を「課題」や「問題」の同義語として扱う表現だ。命題とは本来、真偽を判定すべき文のことを指すのだが、「題」に引きずられ似た単語と混同されたのだろう。

 他にも、「安全対策」や「防止対策」のように、元来は「〜に対抗する策」という意味を持っていた「対策」が、単なる「策」として用いられている例もよく目にする。「安全策」「防止策」で十分なのに、わざわざ「対」が付けられてしまうのだ。「感染対策」のことを「感染防止対策」などと言われると、おまえはウィルスか、とツッコみたくなる。

 自分の言説を装飾するため、言葉の「過剰包装」に走ってしまうヤフコメ民も多い。よく目にするのは、「方法」を「方法論」と書いてしまう誤用だ。「方法論」とは本来「方法に関する考察」のことである。にもかかわらず、自分の言説に箔をつけるため「方法論」を濫用するのだろう。

 思うに、中高年の言葉の誤用はたいてい、他にもっと易しい表現があるにもかかわらず、自分に年相応の見識があると見せかけるため、あえて難解な、身の丈に合わない表現を用いることによって生じるのではないか。

 ヤフコメ民がしばしば「すべからく」を「すべて」と混同したり、「最高学府」を「最難関大学(=東京大学)」の意味で誤用したりするのも、小難しい言葉をつかって自分を賢く見せかけたい、という浅ましい下心のせいだろう。常日頃から若者の「盛った写真」や「インスタ映え」をコケにしているヤフコメ民が、自らの言葉を盛り、映えさせようとするとは、なんとも滑稽な話である。

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