新しい春は君のいない春

久しぶりに、noteを書いています。
酔った勢いで大好きな人に向けて書いたはずのラブレターも、もう届くことはないのでインターネットの海に放流することにします。

元気ですか。
まだ仙台にはいますか、ちゃんと眠れていますか。
貴方があの日の夜、泣きそうな声で「死にたい」と洩らしたこと、今でも思い出します。そして、私はどう返すべきだったのか、どうしたら貴方を繋ぎ止められたのか、今でも考えてしまうのです。

はじめて出会った年の、春の話をします。
”恋人”と呼べる相手ができた1年目の春は、幸せで眩しくて、でもどこか落ち着かなくて、貴方と離れてはじめてああ夢じゃなかったんだって気付かされるような、そんな春だったように思います。
世界でいちばん好きな人が、わたしの事を世界でいちばん好きで、それがどんなに尊くて幸せなことか、その渦中に居るわたしはすぐには気づけなかったけれど、”この日々を失くしたくないな”ってずっと思っていました。
貴方がわたしをいちばんに愛してくれていたのは、きっとこの年の春なんじゃないかな。
愛されることのよろこびを知れて、幸せでした。


2度目の春の話をします。
この時、わたしは貴方に出会えた大好きなこの街を去って、地元の小さな町に戻ることを決めました。
理由はごく単純で、再就職ができなかったのです。一人で生きていけなくなったら、両親に迷惑をかける前に一人で死のうと決めていたのに、貴方のおかげで死ぬことはできませんでした。
そして、貴方が「生きていてほしい」と願ったせいで、わたしは貴方が「死にたい」と思ってしまうような夜に、隣にいることができなくなりました。

この選択が二人にとって正しかったのかは、今になっても、全然わかりません。


遠距離恋愛が始まってからも、わたし達は毎日連絡を取り合いました。連休があれば会いに行って、ご飯を作り合って、色んな所に出掛けました。
1年目は”恋人としたいこと”だったのが、2年目は”貴方としたいこと”になりました。
距離はうんと離れていたけど、起きてから寝るまでずっと頭の中には貴方が居てくれていて、わたしは間違いなく”貴方の恋人”だという自覚があって、それが誇りでもあって心の拠り所でもあったのです。
だから、6月に入った頃から”無視できない気持ちのズレ”を感じることがあっても、また会える時には前の、いつもの感じに戻るんだって信じて、毎日連絡を待っていました。
いつでも、わたし達はあのはじめての春に戻れるんだと、本気でそう思っていました。


それなのに、
夏の終わりに突然電話で「もう別れよう」と告げられ、それが最後になりました。
「どうして」「まだ好きなのに」「わからない」「会って話したい」「これで終わりなんて嫌」
貴方の話を聞きながら、言いたいことは沢山あったけど、涙がとめどなく出てきてうまく伝えられそうにありませんでした。なにより、電話越しの声からはもうわたしの気持ちを理解しようとすることも、話し合いで解決することさえも諦めているのだな、とわかってしまって、それがたまらなく悲しかったことを覚えています。

死にたくて堪らない夜から救い出してくれた、わたしの神様。
今わたしがここに居るのは、貴方が自分の気持ちを殺してまでわたしを生かしてくれたからだから、これからは自分のためだけに生きてほしかった。
わたしだって正直全然大丈夫じゃないけど、いつか絶対大丈夫になるから。神様がいなくても死のうなんて思わないくらい、自分のために生きるから。
だから、貴方も生きることを選んでほしい。
最後のお願いだから、生きていてください。

そう精一杯伝えて、泣きながら電話を切って眠って、次に目が覚めた時には、世界でいちばん好きだった筈の恋人は、もう一生会うことのできない人になっていました。


それから、3度目の新しい春が来ました。
別れてからまた新しい出会いを探したり、異性から告白を受けたり、遊んでみたり遊ばれてみたりと、色んなことがあったけど、貴方がすべてだった幸せな日々のことは未だに忘れられずにいます。

また来年も同じように春が来て、その次の春も、その次も、春が巡って来る度に、どうせ貴方の事を考えるのだろうけれど。いつかちゃんと大丈夫になるはずと祈って、今年は少し痛くて愛おしい春とともに、このラブレターを書き殴っています。

今日の仙台は晴れだとか、今週の水瓶座の運勢は最高だとか、そんなことで嬉しくなる自分がいて、我ながら結構未練がましいな、とも思うけれど。


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