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新日本プロレスは、タダで起き上がらないぜ!!

お世話になっていた業界が、イケイケで調子がいいみたいだ。

東京ドーム大会を2日間連続で開催し、6万人近く動員し、去年行われたマディソン・スクエアガーデン大会はチケットが19分で完売するほどの人気がある。

それが、業界内ぶっちぎりの新日本プロレス!!

しかし、ひと昔前のプロレス業界は、時代の変化と共に娯楽が増えたことにより、すっかりマニアックなジャンルになり業績は下降傾向だった。

そんな状況からどのような戦略で復活したのか?

今回は新日本プロレスをマーケティングトレースします。

①会社概要

商号:新日本プロレスリング株式会社
設立:昭和47年1月13日
資本金:9,250万円
年商:54億円 (令和1年7月現在)
役員
取締役会長    菅林 直樹
代表取締役社長兼CEO ハロルド・ジョージ・メイ
取締役      三雲 薫((株)テレビ朝日 役員待遇)
取締役      西澤 道昭
監査役      森瀬 教文((株)ブシロード監査役)
監査役      小林 直治((株)テレビ朝日 経理局長)
従業員数:83名(令和1年7月現在)

特徴:
●メジャー団体だけあって、プロレス業界の中では従業員数が多い。
●親会社は去年、株式を上場したブシロードが付いている。
●テレ朝が放映権を持っている。

②暗黒時代

過去10年を振り返ると新日本プロレスの業績はギブアップ寸前だった。

若くてカッコイイ選手が総合格闘技・K-1に登場して、ブームを巻き起こしたからです。

当時の人気は強烈だった
●大晦日は格闘技というイメージが定着。
●イケメンでカリスマ的な選手の登場。
●敬遠されがちだった女性客の取得に成功。

プロレス業界は、すっかりリングの外に追いやられてしまった・・・

エンターテインメントも多様化したことにより、一部のコアなファンが見るものになった。

●個人的な考察:
実際にやっている身として肩身は狭く感じたし、お客さんの入りもだいぶ悪くなりました。

会場を小さくして椅子の数を減らしたり、招待券を配ったりと試行錯誤してお客さんを何とか呼び戻そうとしていました。

当時のプロレス界にはカリスマ性のあるスター選手が不在だったのも大きな要因だと思います。

●業績で見ると

著者:長谷川博一氏の『新日本プロレスV字回復の秘密』から引用しました。

新日本プロレスが、これまでに最も大きな売上高は1996年度の約40億円です。

その後は、格闘技の弾頭により、ゆるやかに下降して行きました。2004年度には約30億円まで減少。

驚くのは次の年、わずか1年で売り上げが半分の14億円になった!!

その後も、10億円~15億円の間で低迷を続けていた。

数字で見ると深刻さが浮き彫りになりますね。

まさに、ギブアップ負け寸前だったわけですが

ボロボロになりながらにも、ギリギリで耐えていました。

相手の技を受けてもカウントを跳ね返す

まさにプロレス!!

③起死回生を狙う

そんな状態でしたが、2012年以降の業績はドンドンと右肩上がりになってきます。

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新日本プロレスリングの売上推移
*数値は非公開、創業(1972年)から10年間のデータはなし
                     出所/新日本プロレスリング


・2012年度 16億7000万円
・2013年度 22億6000万円
・2014年度 27億6000万円

このように毎年右肩上がりで伸びている。

大きなターニングポイントは親会社にブシロードが付いたことです。

ここから、新日本プロレスの反撃が開始します。

根底からビジネスモデルを変えて行った。

従来のビジネスモデル

・選手が社長をしていた。
・どんぶり勘定
・時代に合っていない考え方
・戦略を持たない経営方法

特徴:
ザ・昭和という感じでしょうかね。
マネダイズが出来ておらず、いい加減な印象です。
昔はそれでよかった時代かもしれませんがね。
欠点として、
・体制が昔のままで変わらない。
・経営者としての経験がない素人。
・時代に合わせた戦略を打ち出せない。

この体制を代表取締役社長兼CEO ハロルド・ジョージ・メイ氏が
メスを入れていきます。

簡単にメイ氏のプロフィール

1963年オランダ生まれ。8歳から13歳まで父親の仕事の関係で横浜で生活する。その後、インドネシアへ移り、大学からはアメリカへ。ニューヨーク大学修士課程修了。ハイネケン、日本リーバ(現ユニリーバ・ジャパン)、サンスター、日本コカ・コーラ副社長、タカラトミー代表取締役社長を経て現職。

経歴がすごいです。プロレスが好きで、たまに売店に立ちお客さんと写真を撮ったり、コスプレをして楽しませてくれるお茶目な一面もある方です。

●新しいビジネスモデル:

・経営のプロによる運用
・マネダイズの管理
・コンテンツの充実を図る
・マーケティングに力を入れる
・選手がSNSでファンと繋がる。
・試合日程の管理

戦略があるだけでも会社としての機能が格段に高まった。

④ターゲット層&ポジショニング

1.ターゲット
イケメン選手やスター選手の登場により、新規のお客さんも増えた。

最近では、会場を見渡すと若い女性のファンが本当に増えた。
なにやら、プ女子と呼ばれているらしい・・・
*プ女子=プロレス好きな女子のこと

おおよその内訳
女性:3~4割「20~30代」
子供:1割
男性:5割「30~40代」

グッツも可愛いモノから、日常生活で使えるような商品ラインナップになり、女性層を中心に売り上げを上げている。

ありがとうプ女子!!

2.ポジショニング:

★コンテンツ力
・動画の配信
・選手のブログ、コラム、YouTube
・グッツの充実、商品のコラボ(例、しまむら)

マーケティング力
・テレビ出演
・広告宣伝
・CM
・SNSの活用

*他の団体は、まだ昭和モデルの所もあります。ここまでコンテンツが充実しておらず、マーケティングも弱く手が回っていない状態です。

⑤どん底から這い上がった成功要因5つ

昭和から続く興行会社が、上場している親会社の指導を得て健全な組織に変わっていった。

これが功を奏した!

1.マーケティングに力を入れた

交通広告やインターネットを中心にした大掛かりな広告キャンペーンを展開し「今、プロレスが流行ってる感」を演出。

具体的には、
・大会の宣伝CMをテレビ地上波で大量にオンエア
・山手線一編成11車両に出場選手の写真をプリント。
・関東と首都圏のJR各線全車両に1枚、計9000枚の車内ポスターを掲載。
・東京メトロほぼ全線(各一編成)に中吊りのポスターを展開。

2.SNSの活用

・所属選手がブログやツイッターでファンと繋がる。
・プロレスへの接触頻度や選手との距離感がより身近に感じるようになった。

プロレスに、興味・関心を持ってもらうための手段の一つになった。

3.スター選手の登場

さらに2012年、当時23歳の若き天才レスラー、オカダ・カズチカが登場し、一気にメインイベンターに駆け上がる。

また、選手たちが精力的にプロレス以外の活動にも力を入れるようになり、テレビやCMを通して、団体をアピールしていった。

ブシロードは「バディファイト」というカードゲームのテレビCMキャラクターにオカダを起用。子供たちがオカダの周りに集まり、名前を呼び捨てにして騒いでいるとオカダは「オカダさん、なっ!」とクギを刺す。この「オカダさん、なっ!」がヒットフレーズとなり、新日本プロレスの会場にはちびっこファンが多数押しかけるようになった。まるで1982年頃の初代タイガーマスクのブームを彷彿とさせるような勢いだ。

4.徹底した管理

年間の興行日程、特に大会場については慎重になった。同じ広さの会場を使う必要があるのか、観客動員数はどれくらい見込めるのかを過去の実績から、より現実的な判断をするように変えた。

5.一丸となって目標達成する。

自社でやれるところは、自社でやりコストカットを徹底した。
外部に発注していた携帯サイトや公式ホームページ、選手の紹介映像など。

お客さんを楽しませると同時に、お客さんを不自由にさせてはいけないと、試合会場も、ワクワクするような環境づくりを心がける。お客さんを不快にさせないためにも、キャストである新日本の社員は、会場でしっかり声を出さないといけない。会場で迷っているファンがいないようにしないとダメだ、といった現場指導も積極的に行っている。


まとめ

プロによる戦略と時代に合わせた方法で、ファンを獲得してきた。

もちろん、コア部分であるコンテンツが充実したことも大きい。

イケメン選手・硬派な選手・外国人選手等の個性的な選手も増え、選手1人1人が、それぞれのキャラを確立してきた。なにより、スター選手の登場にで、他の選手の士気も高まり、よりリングが華やかになった。

それから、時代にニーズがマッチしたのも見逃せない。消費者の傾向として、モノよりコト消費するようになったことが、追い風となっている。

プロレスは生モノなので、観戦することによって体験欲求を満たすことができる。会場の雰囲気はファンが作り上げるモノだと思います。

ファンが楽しめる空間作りに力を入れること、ファンを一番に考えて行動することで、ファンから信頼されて愛される。

ファンから愛されることがビジネスでは大切なことだと学びました。

ちなみに私は、新日本プロレスの所属だったわけではありませんよ。




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