見出し画像

紙スプーンのここの正体が知りたいんだ

 お久しぶりです。マジで。

 何日ぶりに書くことになるだろうか。前回の記事がなんだったかもあんま覚えてないぐらいなのだがまぁ忙しかったので致し方ない。

 受験の天王山などと謳われる夏休みに至り、まさに受験生の一人である私は日々勉強に勤しむべき時期なのだが、今日はどうにもやる気が出ない。なんだかスイッチが切れてしまったような一日なのだ。
 人生の勉強などと託けて『あざとくて何が悪いの?』を見ながら私はいつも通りバニラヨーグルトを食べていた。

日本ルナ社のうめーやつ。

 もちろん何で食べてもいいのだが、バニラヨーグルトは紙スプーンで食べるのが一番美味い気がする。スプーンの質感であったり、スプーン自身の無味たる味を通じて、若き日の給食の記憶が蘇るのだ。むしろ、バニラヨーグルトが給食で出たことなどないが、給食で出ていた気さえしてくる。
 今や日本中で安価なスプーンとして出回っているそんな紙スプーンは、自らに与えられたその絶対的なポジションで、私には計り知れないプライドで己の仕事をこなしているのだろう。

 当然ながら紙スプーンは無味である。それ故、我々はヨーグルトを当たり前にただ"そのまま"味わえている。紙スプーンはヨーグルトと私のたったひと時の中継地点でしかないのだ。でもきっと紙スプーンはその役目を果たすために生まれ、その事に誇りを持っているはずだ。かっこいいぞ、紙スプーン。
 (余談だが正直フグなんて私からしてみればあれはほぼ醤油の味だし、フグ刺しを食べるという行為は高いお金を払って醤油を味わう贅沢なんじゃないかとさえ思っている)

 冷えた一室でそんな紙スプーンの尊厳に思いを馳せていたら、ふとこんなことが気になってしまった。

この部分、要るのか?

と。

 紙スプーンはスプーンと呼べる限界体を目指したシンプルな形状である(ように見える)がゆえ、紙スプーンは完成されたものであって、無駄な部分などないと認識していたが、この部分、明らかに無駄ではないか?
 そうだ、俺はこれが気になって今急に勉強が手につかないのだ。だからこのnoteを書いているんだ。
 この疑問を解決するため、今度はこの突起の存在意義についていくつか仮説を立ててみた。

①そっから吸うため説

 一瞬思ってちょっと吸おうとしてみたのだが、もちろん全くもって吸えなかった。そういえば、何かの本でストローで飲み物が吸えているといつことは厳密には「息を吸っているから」ではないという話を読んだのを思い出した。

※とっても写実的なイラスト

 ストローで飲み物を吸うということは、ストローの端(口の中にある方)と液面との間にある"空気を吸う"ことであり、これはその部分の気圧を下げるということになる。マグマの吸い上げと原理は同じで、これをすることでコップの中の飲み物はストローの中に入っていくし、それを飲むことができるというわけだ。つまり、紙スプーンの突起からヨーグルトを吸えないのは、そもそも筒状になっていないせいで気圧の差を作ることができないからであるというわけだ。突起から吸える説は立証ならず。

②持ち手説

 この突起の部分を持て!という説だ。まぁスプーンの端っこの部分であるから、ここを持てば一番深いところまですくえるのは確かだ。でもそうなると胴(?)の部分があれほど持ちやすい太さである理由がよく分からなくなるし、持つにしてはそこは小さすぎやしないかな、、とか思っていたのである。そしたらこんな画像が出てきた。

うわ持ってる!!

 「紙スプーン」で画像検索すると確かにこの画像が現れるのだ。いやいや、そんなのこの業者がちょっと珍しいだけだろう。だって給食で使っていた紙スプーンの緑字のあの包装紙にはちゃんと真ん中を持っているイラストが付いていたはずだ。ほらほら、画像出てきた。

あれ…?

 やっぱそうなのか、そういうことだったのか?まだ分からない。これの理由を書いている核心を突くウェブサイトが見つからないから分からないぞ。これは実際に紙スプーンの業者に尋ねてみるしかない。しかし、よく観察する人ならお気付きだろうが、この紙スプーンの包装紙には何故か製造会社が記載されていないため、どの会社に尋ねれば良いのか分からない。とにかくめちゃくちゃ調べた結果、紙スプーンを作っているアオトプラス株式会社という会社を発見した。

アオトプラス株式会社(ストリートビューより)

 この謎を解明すべく、私はアオトプラスさんの公式ホームページに行き、問い合わせフォームでこの突起の真相について問い合わせてみた。いやー、こんなくだらない質問、答えてくれるはずもないか、、

来てるー!!!

 ついにこの突起の存在意義が明かされることになる。皆さん、予想はできましたか?もう答え出ちゃいますよ?

では、アオトプラスさんの回答をご覧頂こう。

お世話になります。アオトプラス㈱企画営業部の國分と申します。この度は弊社HPへお問合せを頂き誠にありがとうございます。
 
スプーン後部の突起ですが、製造上の都合によるもので特に意味合いはございません。
持ち手部分を持ってご使用下さい。

事実
《  突起は持ち手じゃない  》

 …ということで、製造上どうしてもその突起の部分が発生してしまうということだった。あの突起の部分を持っているあらゆる画像は全てガセだったというわけだ。あぁ、スッキリした。

ところで、このメールには続きがある。

え謙虚すぎない?

 なんで僕がこんな記事で2000字も書いているかというとこの文面でなんだか心が揺さぶられてしまったからである。前述の通り、紙スプーンは日本中の学校給食やお店で絶対的なポジションを確立している。だからこそ紙スプーンは「俺こそが紙スプーンだ」的なキャラクターだと思っていたのだ。しかし、紙スプーンは実はプラスプーンにちょっと引け目を少し感じていたのだ。紙スプーンはいつもより若干深めに折り曲がって、つぶやく。

「プラスプーンはすごいよ、あいつは疑いなくスプーンの形をしているし、俺よりも丈夫で、あいつにはハーゲンダッツをすくうポテンシャルがある。俺は紙だから、あいつよりも安いと思ってたんだ。でも、あいつの方が実際単価は安い。もう、俺なんて必要ないのかな…。」

俺「そんなこと言うなよ。お前が高いのはお前なりの価値があるからだろ。」

「でも、君だってプラの方がいいんだろう?君、100均でプラスプーンは買うけど紙スプーンは買わないじゃないか。」

俺「いや、それはそうかもしれないけど、、」

「やっぱ俺はもう要らないんだよ。捨てちまえよもう。その折り目の所からちぎってしまえよ…」


???「お前を安くはできない!!」


「、、、誰?」

アオトプラス「お前の父さんだ。」

俺「アオトプラス株式会社!?」

「父さん!?」

アオトプラス「確かに本来紙製品はプラスチック製品に比べてコストが段違いに高い。
だがお前は忘れちゃならないお前自身の"価値"を忘れている。
お前はな、『環境に優しい』んだよ。
お前は森林の管理や伐採が環境や地域社会に配慮して行なわれたことを証明する指標である『FSC認証紙』で出来ている。
お前を選択した人は、原価や強度よりも、世界の森林保全を優先した人たちなんだ。
お前はそんな素敵な人たちのために、お前だけの役目を果たさなくちゃならないんだ。そうだろ?」

「父さん、、、」

「、、、俺、頑張るよ。俺は紙スプーン。プラに比べ強度もない。単価も高い。でも俺は環境に優しい。そうだ。俺こそが紙スプーンだ!!!




私は今日もバニラヨーグルトを食べる。いつものように、私は紙スプーンを手に取った。いつもの緑の包装紙。そこにアオトプラスの名はない。アオトプラスは名乗らない。

 かっこいいぞ、紙スプーン、アオトプラス。そう呟いて、包装紙のまま折り目をつけ、包装紙を破った。紙スプーンの突起は、いつもより、少し大きい気がした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?