2022.06.03(Fri) の記憶

体育祭の前日準備。
快晴だった。

小さい頃,何かのきっかけでピストルや花火,風船の割れる音が聞けなくなった。ビックリする,というのとは少し違って,言ってしまえば拒否反応に近い。

「位置について,ようい,」の合図で先生はピストルを掲げ,私はそのタイミングに合わせて耳を塞ぐ。
耳を塞いでいてもどうしても体が反応してしまって,とてもじゃないけど体育祭の一日を平穏な気持ちのまま過ごせたことなど一度もない。

母に相談したら,一部の聴覚過敏の可能性がある,と言われた。

数少ない友人はそのことを分かってくれていて,ピストルが鳴った後すぐ,冗談混じりに「終わったよ~,もう大丈夫だよ笑」と,声を掛けてくれる。

でも,やっぱり学校という集団社会の中,全ての人が分かってくれる筈もなく,大半の人が私と話しながら非難めいた視線をこちらに向ける。

その視線を直に浴びているのが辛くて,その視線から逃げるように曖昧に笑い返す。
毎年のこと。もう慣れた。

でもどうしても毎年,体育祭という行事が近づく度に憂鬱になる。
ピストルの音は耳を塞いでいれば良いけれど,大人数,しかも後輩もいる中でずっと耳を塞ぎ続けることも出来ない。
不意打ちのようにピストルが鳴って,私は泣きそうになりながら,耐える。

耳栓を持っていくことを思いついたけれど,担任に駄目だと言われた。
ショックだった。

こちらは我慢しなさい,という次元の話をしているのではない。それなのに,何故。

同じ学年にもう一人,私と同じような人がいるけれど,その人もいつもとても辛そうにしている。
耳栓をすることでこちらの精神状態も良くなるし,何も問題はないと思ったけれど,言えなかった。
私はやはり弱い。

いつまでも耳を塞ぎ続けることも出来ない。でも本当に本当に辛い。
体育祭を楽しめない理由がたった一つ,ピストルだなんて。

そういう人もいるということを,理解は求めないが認知しておくぐらいしてくれても良いのではないか。

こちらの声を掻き消すかのように駄目と言われたことが,とても悲しい。

とても疲れたし,明日の体育祭も出来ることなら行きたくない。
ピストルの音さえなければ,心の底から楽しめるのに。

悲しい。




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