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学校の広報をアップデートする #1 情報が届かない現状を知る

この記事は、元理科教員で現在は科学技術の情報を伝える仕事をしている私が、学校の広報をより良くするために考えたことをシェアします

この記事を執筆している2020年4月、新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言発令によって、休校している学校も多いはず。ただ、私が今回のテーマについて考察したいと考えていたのは2019年の11月です。

休校によって、学校の情報発信が以前よりも難しくなっているという現状を踏まえると、この考察はもっと早く書いて議論の叩き台になったら良かったのにと、悔いる気持ちがあります。少々遅いかもしれませんが、ぜひこれを読んでいるあなたが、学校の関係者であるかないかに関わらず、考えるきっかけになればと願っています。

第1回の今回は、学校の広報のあり方を再考しようと考えたきっかけについて整理し、問題意識を共有します。

学校の広報のほとんどはド素人という現実

はじめに、この記事は比較的小規模な幼稚園や保育園(認定こども園含む)、公立の小学校・中学校・高等学校あたりを対象に、学校の広報について話します。学校の広報はどういう状況におかれているのかを整理します。

上記以外の学校に含まれない、私立の小学校・中学校・高等学校、専門学校、大学等には部署として広報部が存在し、教員ではなく広報に精通している職員が配置されています。広報業務の知識や経験に長けていること、また私立の場合の広報は生徒募集が最も重要な業務であることを踏まえると、学校の情報を保護者や地域に伝えることを主とする話とは目的がやや異なりますので、今回は除外します。また、特別支援学校の場合は児童・生徒だけでなく保護者にも障害や病気等の特別な事情と配慮が必要な場合があるので除外します。

小規模な幼稚園や保育園、公立の小・中学校、高校には、校務分掌として広報が割り当てられていることはあっても、一つの部署として存在することはほとんどありません

そして、それを担当するのも大抵は教員であり、広報の知識がありません

まず、教員養成課程で学校の広報について学ぶ機会が与えられてません。似たようなものに部活動もそうですが、研修等で指導方法を学ぶ機会があるだけ幾分かマシです。広報の研修は、あったとしても質や量が根本的に不足しています。

さらに、学校の広報がどれくらい積極的かは、校長の経営力に大きく依存します。ものすごい頻度で学校だよりを出す人もいれば、学期に1回出る程度の人までいます。あとは、学級担任や養護教諭、PTAなどの各担当教員の問題になってきますが、その人の性格に依存することが大半です。どの程度情報を出すのか、そういったきまりはありません。大概、その教員が過去にどのような同僚に出会い、どんな便りを参考にしてきたのか、そういった経験の違いで決まっていることが多いのではないかと思います。

要するに、学校の情報発信には実は決まったルールがちゃんと存在しているわけではないのです。学校保健法と強いつながりのある養護教諭の業務はともかく、学校だよりや学級だよりについては、それが存在している理由が曖昧です。保護者や地域との信頼関係を築くのは経営上重要であることは当然ですが、そのために「たより」という形で情報発信しなければならないというわけでは決してないのです。

なお、学校の情報発信は各種の便りのほかに、WEBサイト、学校連絡網、SNSなどが一般的です。WEBサイトのドメインは設置されている自治体の教育委員会の所轄になっていることが多く、更新するためには申請が必要だったりとあまり自由には更新できなかったりします。また、SNSについてはTwitterやFacebookページなどがありますが、更新頻度は校長に依存することが多いです。校長が入れ替わったときにアカウントの更新頻度が一気に下がることも珍しくありません。学校連絡網は、最近は個人情報保護の観点から電話番号を共有することは減っており、代わりに自動メール配信サービスを利用する自治体が多いです。サービスによっては自分のLINEでも情報を受け取れることがあります。平たく言えば、メルマガと同じ役割です。

以上が主に公立学校が置かれている、学校広報の状況です。1)広報知識がなく、2)実は根拠も曖昧のまま、3)担当者によってばらつきがあり、4)しかし情報発信方法は時代の変化で多様化してきた、という4つの特徴があります

最大の問題はもちろん1)です。社会におかれている状況を正しく認識した上で、広報の知識を持って情報発信しなければ、どんなに有用な情報も伝わるどころか届きすらしません。その状況をまずきちんと整理し、理解する必要があるでしょう。

保護者は学校から教育を学びたいとは思っていない現実

ところで、学校が発信する情報は、どの程度子どもや保護者、地域や社会に届いているのでしょうか。

近年、教職員は学校の家庭教育が低下していると考えている人が多いです。理由はとても簡単で、学習指導要領を発行している文部科学省がそういう認識だからです。そしてそれは統計上、概ね正しいと思われます。ですから、学校は家庭教育にも力を入れてもらうために、保護者に対し「教育上の情報」をより熱心に発信しようとする傾向があるかもしれません。教員という立場からしてみれば、学びを促し人間を成長させたいという気持ちはとてもよく分かります。

しかし、保護者が求めている情報というのは、得てして「教育上の情報」などではないし、自分が先生から学びたいと思っている人はまれです(というか、教育を学びたいと思っている人は独学で学び、学校の教育方針には否定的な場合の方が多いくらいです)。

例えば、4月の最初に保護者が知りたいのは、年間スケジュールと月間スケジュール、提出物、給食費やその他物品の支払いについてです。学校だよりに校長の話が丁寧に書かれていても、最初に読みたい情報ではありません。むしろ、知りたい情報が散らかって整理されていないと、それだけで読む気が失せ、悪印象です。

情報の受け手が、知りたい情報がアクセスしやすい場所に、端的に、整理されている。教員が伝えたい内容と、保護者が知りたい内容は違うという点を常に意識した情報が必要です

情報発信が適切でないと、信頼関係の構築にも悪影響を与えます。それどころか、物理的に届いても読んでもらえず、伝えるべき重要な事項が伝わらなくなります。それは保護者の家庭教育の能力とは別問題です。

なぜ情報の受け手をより意識する必要があるのか。それは社会と情報の関係の変化とも大きく関係のある話になってきます。

ほとんどの情報は届かないという厳しい現実

学校に限らず、今世の中の情報のほとんどは、届けたい相手に読んでもらえません

【理由1】世界の情報量が爆発的に増加している

総務省によると、2010年から2020年のたった10年の間に、世界のデータ流通量は8倍に増加しています。しかし人間が1日で使える時間は24時間と変わらず、脳の処理能力も進化していません。リソースに対して晒される情報量が増えている。これがまず前提にあります。

【理由2】ターゲットによって届く情報は最適化されている

凄まじい情報量の中で、私たちは何を見るか、常に選択を迫られます。そこで、特にネットが得意なのがターゲティングです。過去の検索や閲覧の履歴からユーザーの趣向や性格等の情報を予測し、アルゴリズムによってその人に最適化された情報を優先的に提示します。例えば、SmartNewsに自分の関心のあるニュースが多く表示されたり、Amazonで商品をおすすめされるアレがそうです。しかも、これが結構便利なので、知らないうちに最適化された情報ばかり収集してしまうということが起こります。

これは逆に言えば、そもそも注意を引かない情報や、自分が好まない情報は届くこともなく認知すらされないことを意味します。しかし、教育や学校のニュースは保護者にとっても社会にとっては注目度が高い方です。むしろ、だからこそ、分かりやすく簡潔に伝えることが他の業界よりもはるかに求められていると考えた方が良いでしょう。これは、万が一不祥事が発生した場合のリスクヘッジとしてもとても重要な発想です。

【理由3】情報流通の主導権はもはや一般の人の方が強い

正しい情報や役立つ情報は、過去これまでにないほど届きにくくなっています。最後の理由として、そもそも情報流通の主導権が今は一般の人が持っているいう認識が必要になってきます

例えば、新型コロナウイルス感染拡大の際には、パンデミックよりも前に「インフォデミック」と呼ばれるデマや誤情報の拡散に対してWHOが警告したことはまだ記憶に新しいでしょう。人々の負の感情や共感が、SNSを通じて伝播しやすくなっており、相対的に正しい情報が届きにくいという状況が生まれます。

この議論をする場合注意したいのは、だからSNSの利用を制限すべきだとか、デマを削除すべきとか、情報リテラシーを向上させるべきという意見は、どれも正しいかもしれないが実行性が根本的に欠けているという点です。前者2点は自由の侵害に当たるかもしれないし、後者は正しくてもすぐに現状を変えるような即効性を持ち合わせていません。これらの問題はプラットフォーマーによるアルゴリズムの改善を待つのが現実的でしょう。

むしろ留意すべきは、正しいとか間違っているとかという話ではなく、情報流通の主導権がもはや情報の送り手ではなく、情報の受け手にあるという事実です。インフォデミックのように情報の受け手が事実すら歪める力があることを前提として捉える必要があります

学校だからこそ「信頼」が最大の武器になる

今回は、学校広報が置かれている現状について書きました。やや長い話になりましたが、まずは学校だけでなく社会全体がおかれている情報の変化を正しく理解することが、学校広報をより良くするための近道だと私は考えています。

そもそも私が学校広報について考えるようになったのは、2019年10月4日に報道された、神戸市立東須磨小学校の教師による同僚いじめがきっかけでした。

職場のいじめが報道されるまで悪化したことも問題ですが、さらに問題を大きくしたのは取材に対する対応の仕方だったと考えています。取材に対する準備がなく、あまりに無防備でした。学校が社会から叩かれる時というのは本当に酷いもので、当該の教師はもちろん、児童・保護者・地域に至るまで取材の手は伸びます。ネットでは個人情報が晒されます。

学校の広報のあり方がより良くなれば、抜本的とまでは行かないまでも、そのような不幸はもう少し減らすことができるでしょう。

先述したとおり、学校の情報は、社会の情報の渦の中に晒されています。ただ、素人ながらの広報でも、多くの人はまだ学校の情報をよく注目しています。実の子どもの人生に関わりますし、そうでなくても教育に関心の高い人は多いです。なんだかんだ言っても、学校は世の中的にはまだ信頼されているのです。

その「信頼」こそが、学校最大の武器です。これまでは、子ども、保護者、地域の人という世界観で学校の信頼関係を対面のコミュニケーションで積み上げてきたと思います。しかしこれからはそれだけでは成り立ちません。学校の教職員も、保護者も、地域も、ネットの情報を頼りにしています。リアルとネットの2次元で、メディアをミックスさせながら情報を発信していく必要性が増加しています。2020年4月のように、学校が休校せざるを得ない状況では尚更です。

次回からは、もう少し個別具体的なシチュエーションを想定しながら、どのような改善ができるかを考えてみます。もし、こんな話を聞いてみたいと言ったご要望があれば、コメントいただけますと幸いです。

最後まで読んでくださってありがとうございます!