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朝晩のルーティーンをするとホッとするから。

今日は、頭に浮かんだことをそのまま書いていくMEMOのようなものだ。
なので、個人的なものであるし、興味のある方だけ見るようにして下さい。きっと、私の頭の中だけの話だから。

今朝は、ルーティーンという言葉についてずっと考えている。
訪問介護を利用することになったこともあり、朝のルーティーンは

起床▶︎トイレ▶︎血圧測定▶︎体重測定▶︎洗顔・スキンケア▶︎着替え

毎日毎日同じことをするようになった。すると、不思議と心は落ち着いた。私は、スピリチュアルにどっぷりハマってしまったことがあって、そこで出会った人はルーティーンみたいに毎日同じことをする人は少なかったように思う。
“その時の直感”に合わせて動くのが『正解』というように私は理解してしまったので、ルーティーンとは程遠い生活を送っていた。

それもあってが、本当にひどい気持ちの波の起伏だった。でも、外側には機嫌良くいなければならない。だって、私は、皆のお手本にならなければならないから。みんなが憧れるような生活にならなけれならないから。
私が、その時信じていた?熱心になっていた講師の皆さんはキラキラと輝いているように見えたから。私もそうならなくてはと、結局は、目に見える私をキラキラに見せるために「女性らしさ・幸せそうな雰囲気」という名の鎧をきていただけにすぎない。

中身の私といえば、「居場所が欲しい・すごい人になりたい」と当時の自分自身は「ダメだから」ってところからの行動をしてることにすら気づいていなかったように思う。

結局、講師までなったが、メンタルを病んで、今はその仕事とは縁を切っている。

が、決して、スピリチュアル自信は悪いものではない。ただ、本来のスピリチュアルというものは、「現実とスピリチュアルと分ける必要がないものだ」と私は考えている。この話をすると長くなるし、文字にするにはそんなにすらすらと書けるものでも、私自身が書いた言葉で私自身が納得できるものでもないもののように感じる。
ただ、この私たちが生きている日々は、スピリチュアルだーなんだーと考えるよりも、感じる方がいい。頭の中で考えて形にしたものはスピリチュアルとは違うと思う。


と、ルーティーンの話から、かなり話が逸れていった。朝のルーティンをするようになって、私は、スピリチュアルにどっぷりハマっていた頃よりも生きやすくなった。
そして、そのルーティーンが壊れる時、私の調子はあまりいいものではない。
昨日は、朝のルーティーンができなかった。そして、エネルギー過多なのを感じて、とにかく、エネルギー発散に力を入れた1日だった。

朝のルーティーンが壊れてしまった時、私は、その1日の調子が整わないことを実感した。


朝のルーティーンがあるなら、夜のルーティーンもある。
あるというより、最近、気がついたのだ。

戸締まり確認▶︎服薬▶︎トイレ▶︎布団に入る▶︎眠たくなるまでスマホ

寝る前のスマホはよろしくないというが、私は、スマホで決まったゲームをしていると眠気が来ることが多いので、眠れないと思った時はするようにしている。
服薬は睡眠薬も飲んでいるので、うまくいけば布団に入ってから1〜1時間半で寝ることができる。

夜のルーティーンの話をしたのは、

朝のルーティーンが壊れた時は、夜で取り戻せ!

を強く言いたかったからだ。

昨日の朝のルーティーンはボロボロに崩れていた私は、1日、なんというか、ちょっとハイになってエネルギー発散に費やした1日だった。
人に対して発散するという行動以外をするように心がけている。
以前は、自分自身がエネルギー過多の状態だとも気づくことができずに、夫にしこたましゃべっる、子供へのゆとりある接し方ができない、夜中まで眠れない、創作活動を始めたら気づけば朝・・・なんてことはザラにあった。

エネルギー過多の時、一番近くで生活している家族を巻き込むのはよくない。しかし、それに気づくためには、まず自分自身がエネルギー過多になっていると気づく必要がある。

そして、私は主婦だ。専業主婦。専業主婦だからなんだ?という話だったらいいのだが、主婦ということは少なからず、誰かと生活をしているということだ。私の場合であれば、夫、長女、次女。

エネルギー過多の時に、その家族に話を聞いてもらったり、または、自分の予想外の行動を取られるとパニックになるし、イライラの沸点もかなり低くなってしまう。ある程度は、その大切な家族ではなく、作品の制作や、訪問介護の看護師さんに話を聞いてもらうなどして、対処するようにした。

そうでなければ、大切な夫、長女、次女が疲弊してしまうのだ。

特に、夫は優しいので私の話を夜中まで聞いてくれることもあった。しかし、彼もうつ持ちなわけだ。我が家は夫婦でうつ持ち。

共倒れになっては、ダメだ。ましてや、私は、転職を繰り返し、社会の組織の中では、自分の首を絞めながら日々を過ごしている感覚になってしまうような社会不適合者(◀︎あえてこの言い方をさせてもらう)だったから、夫がダメになると我が家の生活は成り立たなくなってしまうのだ。

そうすると、長女、次女の生活も安定はしなくなってしまう。

また、話が逸れているが、そうならないためにも、自分が自分のペースを取り戻す術はいくつかあった方がいい。

それが私にとっては

戸締まり確認▶︎服薬▶︎トイレ▶︎布団に入る▶︎眠たくなるまでスマホ

という、なんてことない夜のルーティーンなわけだ。そして、夜ができなかったら翌朝に朝のルーティーンをするのだ。

これができると、安心するのだ。あまりにも、このルーティーンができない日が増えてくると、それは、私がどこかで無理をしているという証明にもなる。

こうやって、自分の調子を測るバロメーターをいくつか持っておくことは大切だと思う。


私は、ママ10年目でやっとASDという診断をもらった。
それまでは、自分自身が、ダメな母親だと思っていた。もっとちゃんとしなくちゃと思っていた。

夫がうつ病になった時、無力感を感じた。自分が代わりに働くこともできず、もちろん、身代わりにもなれない。ただただ、「生きて帰ってきますように」と願いながら朝の「いってらっしゃい」をいうのだ。

夫は、きっと社会人1年目から、うつ病の入り口に立っていた。長女が1歳半の時に1度目の休職をすることになった。あの時は、私が頑張って支えなきゃと、そこに過集中した。結果・・・私は、夫の回復を待つということができずに、手取り足取り、色々なことをしすぎてしまった。
復職はできた。

しかし、再発をして2回目の休職をした。ここでは夫婦共倒れだった・・・。

ただ、2度目の休職は共倒れになったからこそ、よかったのかもしれない。渦中はもちろん、辛さしかない。うつ特有のダルさ、自尊心の欠如。自己肯定感ってなんなの?自己否定し感しかない・・・

そんな中、夫を気遣うことは、できなかった。
私の方が、症状は軽かっただろう。ただ、自分もしんどかったので、1度目の休職よりも、夫が回復するための諸々をすることはなかった。

だから、夫は、自分の足で、自分の手で、自分の心と体で這いあがろうとしたのだろう。

だからこそ、自分の調子というものを大切にして、今のところ、3度目の休職はきていない。ただ、毎年のように、どこかの時点で服薬を再開している。でも、それでも、いいと私は思っている。

もちろん、寛解となって5年とか10年とか20年とか再服薬しなくなれば、もう、本当に嬉しい。

しかし、自分の調子を見ながら再服薬をしたり、有給と連休を合わせて、ちょっとリフレッシュのための休暇を取り入れてみたり、夫なりに考えて、夫なりに過ごしていることが私はとても嬉しい。

ちなみに、今は、太陽の出る時間も短くなり、夫婦ともあまり調子は安定していない。夫は、鬱気味になり、再服薬。私は、この通りエネルギー過多のやり場に困っている。エネルギー過多は上り詰めすぎてしまうとガクンとダウンしてしまうのだ。

しかし、双極性障害の診断はもらっていない。
もしも、精神科にかかるのが、独身時代であったなら、私は双極性障害も視野に入れなければならなかったと思う。

しかし、家族、特に子供がいれば倒れるわけにはいかない。子供がいれば、子供の生活サイクルに合わせて、生活を行わなければ、家庭は崩壊していまう。
それは、私の望みではないので、今は、なるべく子供と同じ生活サイクルになるように心がけている。

だから、夜の服薬は21時にしている。21時に飲めば、うまくいけば22時には眠れる。朝起きるのがだるくて、本当に起きれない日もある。今日とか・・・でも、夫が朝ごはんを準備してくれるので、どうにか、7時までには起きて、次女の登園の準備をする。

もちろん、朝のルーティーンをした後に。


今日は何が言いたかったといえば、ASDにとって、どんなに小さなルーティーンでもいいから、それを守ることによって、少しは安定材料になるのではないかということ。

また、ASDがルーティーンにこだわるのは、「安心・安定する」ということを、自らどこかでわかっているからではないだろうか?ということ。
それが言いたかったわけ。多分。

こんな感じで、私はいつも頭の中でいろんなことに思考を巡らせている。
それを止めることはできないから。

今日も、夜には夜のルーティーンをして、寝ている間だけは思考を止めたいものだ。

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