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『22世紀の民主主義』を読んで

最近話題の学者さんが書いた本。

SNSの投稿、街中の監視カメラやセンサーなどから得られる膨大なデータ、これらを民意として吸い上げ、アルゴリズムに入力することで政策を決定しようという提案。

面白いことに、著者の研究によれば、2000年代以降、民主国家(日本・米国など)ほど経済成長が低迷。
先制国家(中国・シンガポール・東南アジア・中東・アフリカ)ほど成長が著しいという。

2000年代と言えば、SNSの普及と重なる。
民主国家には言論の自由があるから、SNSが流行るほど煽りやヘイトが激しくなって分断を生み、ポピュリズムによる衆愚政治が経済にまで悪影響を及ぼした、と。
(例えば、トランプさんのようなタイプの人物が大統領選に勝ったということが、その典型的な事例だと著者は言いたいのだと思う)。

選挙というイベントがあるせいで、そこに向けて煽りや情報操作が行われる。
ならばいっそ、選挙をなくしてはどうか、という。
選挙ではなく、ネットに存在する無数のデータを民意として吸い上げ、これを政策決定に利用する。

GoogleやAmazonは我々の個人データを収集し、利益を最大化するために利用している。

これらハイテク企業と同様に、アルゴリズムを実装したプラットフォーム型サービスとして提供されるような政治運営が可能なんじゃないか?

こういう考え方は、近年、アメリカなどではわりと盛んに議論されている気がする。

では、公益にとっての最適解を導き出すような、そのアルゴリズムは誰がデザインするのか、その際の透明性や公平性はどう担保されるのか。
これらの点については、本書では触れられていない(残念)。

ところで、公益にとっての最適解と言えば、思い出すものがある。

昔、ルソーという人が『社会契約論』(1762)という論文を書いた。
まだ君主制の時代。
自由意志と人民主権による国家形成の必要性を説いて、のちのフランス革命(1789〜1799)に影響を与えたわけだが(恐らくは現代の民主主義にも)、その実現のためには『一般意志』というものが必須だと言った。
これがややこしい。
人々の私的な利益追求を総合的にまとめ、各方面の利害を調整していくような政治は不完全だという(現代の民主主義はこれに近いと思うが)。

そうではなく、公益を目指して利己心を捨てた人々がいて、彼らの意見が集約されれば、自ずと『一般意志』なる集合知が社会に出現し、選挙も政党も必要なく(むしろ存在してはならない)、政府はただその意志に従うだけで、常に正しい政治が行われるとした。

「そんなの無理ですやん...」と思うわけだが、テクノロジーが発達すれば、公益を純粋に追求するアルゴリズムによって、ルソーが妄想した『一般意志』に近いものが実現し得るんだろうか。
完全には実現しそうもないけど、部分的にはあり得るかもしれない。

我々の何気ない言動、ほとんど無意識に近いようなものは、これまで政策に活かされてこなかった。
泥や偏見に塗れたホンネや、美辞麗句を並べ立てたタテマエも含めて、あらゆる民意やデータがネットには膨大な量が蓄積されており、それらをアルゴリズムに入力することで、これまで想像もできなかったような政策や論点が浮かび上がってくる可能性はある。
これについては夢があってなかなか良いと思う。

#成田悠介 #民主主義 #読書 #社会契約論  #一般意志

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