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若者の成熟性が嫌悪される理由           

日本含め、先進国では、
若者の成熟性を嫌悪し否定する為の、
社会的な仕組み、法律が作られている。
それは近代、現代でのみ、
起きている特異な現象であり、
その心理や歴史は面白いので、
解説しようと思う。

まず、現代では、未成年と称される、
成長期が終わり、生殖能力も
獲得している、成熟個体がいる。
俗的な言い方をするなら大人だ。

この成熟した未成年、
成熟しているが未成熟として
扱われる人々は何故、誕生したのか?

それには心理的な理由と社会的な理由がある。

心理的理由としては、中年や老年の者は
若者の成熟性を嫌悪し、否定する。
つまり、若者を成熟していない
子どもと認識し、そう扱いたがる事だ。

ある程度、老いた者というのは、
若者に社会での立場を取って
代わられのを恐怖している。
社会の主体でありたい、現役世代でありたいのだ。
だから、若者の成熟性を嫌悪し、
若者を子どもと扱い、未成熟な人間と扱う事で、
社会での立場を奪うのが心地いいのだ。

これを対若年性成熟性嫌悪と呼ぶ。

もう一つの心理的理由は、
親はできるだけ長い間、
子が子どもであって欲しく、
可能ならば、子が子供であると
妄想するのが好きな事だ。

特に母親はそうで、母親は女性が故に、
男性性に敏感であり、男性としての成熟性に、
強く成熟性を感じる為、
息子が性的である事を嫌悪し、否定する。
例として、この画像なんかが
わかりやすいだろう。





そして、次に社会的理由として、
近代や現代の社会が
非常に肥えている事が挙げられる。

もしも、近代以前に、
成熟した若者を子どもとして扱っていたら、
その家は貧しさで崩壊する。
使える労働力を全て使って
ギリギリ生活できるのが、
近代以前の社会なのだから。

つまり、近代以前の社会とは
成熟した人、若い大人を
子どもであると妄想し、
子どもとして扱うのが可能な程、
肥えた社会じゃないかったのだ。

故に、若い大人を子どもであると妄想し、
子どもとして社会が扱う様になったのは
近代に入ってからで、
社会が豊かになればなるほど、
より高い年齢の者も子どもとして扱われるし、
近代での15歳の扱いや認識よりも、
現代での15歳の扱いや認識の方が、
より子供とされている。

さて、そもそも成熟性や、
大人らしさ、子供らしさとは何か?
社会で具体的にどう、
彼ら若い大人が子どもとして
扱われているのか?

大人、成熟個体とは、
働き、親元から離れて自力で生活し、
性欲と恋愛感情を持ち性行為をして、
子供を産み育てる個体だ。

だから、近現代の、
若い大人の一部を子どもと妄想する社会では
「子ども」が以上の成熟性を示す事を
激しく嫌悪する。

なぜなら、若者が子どもであるという
妄想が崩れてしまうから。

例えば、18禁や青少年保護育成条例では、
未成年が性的な商品を買ったり、
性的な物品を未成年に与える事が
禁止されているが、
それは未成年と称される若い大人が、
性的な商品を買い、性欲を満たす事が、
成熟性を意味し、子どもであるという
妄想が崩れてしまうからに他ならない。

それがただただ不愉快で仕方がないのだ。
その心理的な理由を隠して、
この条例、制度に別の理由があると、
理由を捏造する者が多くいる。

例えば、未成年にとって、
性的な商品は有害であり、
だから18禁や青少年健全育成条例で、
未成年が性的な商品に触れる事が
防止されているという考えは
知られたものだが単なる捏造、嘘である。

まず、未成年にとって性的な商品は
有害であるという事は、
学術的根拠が皆無である。

未成年にとって性的な商品は
有害であるという嘘を
正しいものとするべく作られた
意見もあって、性的な商品に触れれば、
未成年は性に溺れ、勉強や部活などの、
他の事をできなくなるから、
未成年に性的な商品は有害である
というのもあるが、
そもそも、自慰だろうと、性行為だろうと、
ゲームやネットの様に
6時間とか12時間とか熱中して、
他の事をする時間がなくなるなんて事はない。

長くても自慰は30分、
性交は2時間で終わるだろう。

そもそも、性行為をする若い個体が、
するべき事に疎かになるなら、
昔の人々は、若い時期に性に溺れて、
貧しくなって餓死していたり、
他の動物でも、性行為に時間を
割きすぎる事による悪影響が見られる筈だが、
そんな記録は何処にもない。

この様な、本当はただ、未成年の成熟性が
不快であるというだけで、
作られた制度や法律に対し、そうでない理由、
別の理由を捏造するという事例は
たくさんあって、全て1+1=3の様な、
荒唐無稽で無根拠であり、故に無数にある。

また、その様な捏造された理由は、
「不健全」「有害」「悪影響」
などと曖昧な表現、
レッテル張りを行っていたり、
誇張があるという特徴がある。

次に嫌悪されているのは性行為だ。
性行為も成熟性を示すから嫌悪されている。
ただ、未成年と呼ばれる
若い大人の成熟性を嫌悪する年代の人達は、
未成年が性欲を持ち性行為をするという
事実を認識するのすら嫌なので、
未成年の性行為に規制をする事に、
あまり積極的ではない。

だから、性的コンテンツで自慰をするなどの、
性行為よりも性的でない事の方を
18禁などで積極的に規制しているのだ。

さて、では少なからず、
性行為はどう規制されているかと言うと、
警察は未成年の性行為を
不純異性交遊として補導の対象としている。

未成年の性行為の中で悪質なものを
不純異性交遊としているのではなく、
未成年の性行為の全てを不純異性交遊として、
補導の対象としてるし、多くの学校でも、
不純異性交遊を禁止したり、
不純異性交遊に繋がる、
外泊や恋愛を禁止している。

未成年の性行為を悪とする理由も、
たくさん捏造されていて、
その1つに未成年は性行為の結果に
責任が取れないというのがあるが、
責任を取れない様に
弾圧されているというのが正しいだろう。

また、そもそも避妊や堕胎の技術がある
現代では、その理由で未成年の性行為を
悪であるとは言えない。

ごく一部の性行為する未成年が
妊娠し、出産するからと言って、
それを防ぐ為だけに、
大多数の性行為する未成年が
性行為するべきではないと
考えるのは不合理だろう。

そして、未成年の性行為を嫌悪する人達は
性的同意年齢の引き上げ、
歳の差条項の撤廃を主張している。

だが、未成年と言う
恋愛感情と性欲を持った人が、
ただ愛した人と性行為する事を
性的同意年齢を引き上げて、
違法化しようとするのは人権侵害である。

次に嫌悪されるのは働き、自力で生活する事だ。

これに対する規制は色々あって、
16歳未満は働けないし、
16歳以上の未成年は
働く事に親の許可が必要であり、
未成年は賃貸などの
契約をする事が出来ない。

未成年は金銭を所持し、
使う事はできるが、
親は未成年が自身の金銭を
使用する事を法的に禁じられる。

また、そもそも、未成年は契約ができない。

そして、学校というのは、
未成年の成熟性を阻害する事が
主な目的の施設で、その目的からいって、
一種の宗教施設とも言える。

どう未成年の成熟性を
阻害しているかと言うと、
未成年と呼ばれる若い大人はする事がないと、
自然と、働き自立したり、異性と恋愛し、
子どもを産み育てる。

それをしたいと思うようにできてるのだし、
それができるようにできてるのだから。

だから「学校に行き、勉強という作業に
多くの時間を費やさなければ、
学歴が得られなく、
学歴が得られなければ社会的に終わる」
そんな社会になったのだ。
学校があるから、働く時間は限られているし、
学校があるから、子どもを産んで、
育てるなんて事はできない。

学校は若者の時間を食い潰す為にあるので、
学校で学ぶ内容が泥団子の作り方に
置き換わっても何の支障もない。

本当に社会で働く上で必要な勉強は、
小学校で習う、算数や文字、
漢字の読み書きだけだ。

仮に専門的な職業に就いたり、
学者や研究者になる人以外は
全て小学校までしか
通わなかったとしても、
社会に何も問題は発生しない。

そして、学校が食いつぶす、
若者の時間はとても大きい。

高卒の人は、本来なら自立できる年齢の
13歳から6年間も無駄な時間を過ごすし、
仮に6年制の大学に行き、
医者になるとかではなく、
ただ学歴を得るだけに終わるとしたら、
13歳から24歳までの11年間、
ただ泥団子の作り方を
学んでいたのと何ら変わらない。

本来なら、その6~11年で
職を安定させ、自立し、
子を産み、育てていたのだ。

なので、学校の存在は
少子化を促進させる働きも持つ。

20歳やら30歳やらで
人は恋愛し、子作りし、
子育てするようにはできてないのだから。

さて、近現代では、
若い大人が子供として扱われ、
弾圧されてると言ったが、
そもそも大人とは一体、何か?

大人の定義を知るには、
最も成熟していない個体(幼児など)と
最も成熟した(心身が最も優れた年齢の)個体
の違いを抽出すればいい。

そうして、抽出された違い、
大人の定義は、働き、自立し、
交尾し子育てをする事である。

よって、それができる人を大人と言うのだ。
また、未成年は判断能力がないから、
性的同意年齢を引き上げるべき
という意見があるが、
体は大人でも、心は子供というのは
稀にしかない。

子を作れるのに、子を育てられない生物が
生き残れる訳がなく、
故に存在する訳がない様に、
大人と同じ事ができる体を持ちながら、
大人と同じ心を持たないなどという
不自然な状態の人がいる必然性はない。

また、先の定義を
満たしたばかりの人(14歳とか)と、
それから数年の歳(20歳とか)を
とった者の知能が
大きく異なる事はありえない。

生物の最終目標は子を作り、子を育てる事で、
子を作り、子を育てる事ができたなら、
それ以上の何かは必要ない、
それ以上の成長は必要ないからだ。

ただ、実際は、生殖能力を獲得してから、
実際に出産し、子育てが始まるのは、
妊娠期間と恋愛期間を含めて
1~2年があるので、
正確に言うと、人は生殖能力を
獲得してから1,2年で成長が終わる、

では、次に未成年という扱い、
制度とは何かを語ろう。

未成年とは端的に言って親のペットであり、
人権のない人間未満の動物。
犬猫の様な、生命権だけ、
多少は保障されている、
まさに、ペットである。

ペットだから自由がなく、
ペットが去勢される様に
未成年も性的な行為が禁じられ、
ペットが独り立ちできぬ様に
未成年は親に飼われている。

また、未成年は親権を持てないので、
未成年で子を産んだ時、
産まれた子の親権は
産んだ親の親の物になる。

つまり、その親は
子が産んだ子供を
養子送りにしようがなんだろうが、
自由であるし、その子供は、
産んだ親の物ではなく、
産んだ親の親の物だ。
端的に言って、奪ってるのだ。

これもペットとよく似ている。
飼ってる犬が産んだ子犬を
知人にあげる事がよくあるのと同じだ。

そして、ペットとして、
子供として扱われた若者は、
人間の適応能力によって、
子供として振る舞うようになる。

人は与えられた役割を
演じる様にできているのだ。
なので、子供として扱われた若い大人が
子供の様に振舞う事がある。

また、子供の様に振舞う大人を見て、
「あぁ、その年齢の者は子供なんだな」と
誤認する可能性があるのだ。

これが、若い大人を子供と扱う流れに
拍車をかける形になる。

そして、他にも若い大人が
子供として扱われているから起きている
現象はたくさんある。

近現代とは、若い大人を子供として扱う
壮大な社会実験が行われてい時代であり、
それによる弊害がたくさんあるのだ。

まず、学生妊娠だろう。
子供として扱っているが、
大人だから、当然、交尾して子を作る。

だが、子供として扱ってる、
大人として生きる為の権利、
子供を育てる為の権利を奪われてるから
子を育てられないのだ。

不自然な生き方を強要した事の弊害だ。

次に反抗期による家庭環境の不安がある。
反抗期とは自立する欲求であり、
本来は反抗し、自立していた。

なので、反抗期という期間はなかったのだ。
だが、今は反抗しても、自立ができないから、
自立したいという欲求で欲求不満になり、
それが家庭内暴力や非行に発展したり、
年月と共に自立したいという
欲求がなくなって、
いつまで経っても自立しないニートが生まれる。

これも不自然な生き方を強要した弊害だ。

次に、事例は少ないが
性欲の歪み、消滅が挙げられる。
人、特に男性は
生殖能力を得る時期に、
性的な情報、刺激によって、
正常な性欲を獲得する。
だが、18禁などによって、
その性的な情報や刺激が
得られなかったばかりに、
正常に性欲を獲得できなかったり、
そもそも性欲を獲得できない事がある。

例えば、ある男性は大学生になるまで、
性的な事に無知であった為、
彼は性行為や裸体などに
性欲を感じて自慰するのではなく、
ハグなどのあまり性的でない行為の妄想で
自慰をしていた。

その為、大学生になって、
性的な事を知っても、
今更、性行為や裸体に性欲が湧く事はなく、
ハグなどのあまり性的でない行為にしか
興奮できなくなっていた。
これは膣内射精障害の一種であり、
彼の恋愛、結婚、子作りにおいて
大きな支障となったのは
言うまでもないだろう。

人は生殖能力を得た時に受けた、
性的な情報、刺激を元に
性欲を獲得するのだから、
その情報や刺激が歪んでいたり、
不足していると
正常な性欲を獲得できないのは
必然なのである。

これもまさに不自然な生き方を
強要された弊害だ。

そう、大人を子供として扱うのは
犬を猫として扱う、猫用の餌を与え、
猫として育てるのと一緒で
心身に異常が生まれたり、
猫としての生き方を強要してくる
飼い主と軋轢が生まれるのは必然だろう。

大人を子供として扱うのは
はなから無理がある試みなのだ。

そして、近現代における、
若い大人の異常な扱いで、
様々な心理的な現象と言葉が生まれた。

青春という期間は、
本来は働き始め、1人暮らしを始め、
恋愛し結婚し、乳幼児の子育てをする、
新しい体験に溢れた、
人生で最も充実した期間であり、
人の体と心はそれをできるように、
それをしたくなるようにできている。

だけど、そんな充実は叶わない為、
部活や勉強、半端な恋愛に充実を求めて、
それを青春と名付けて追い求める
不思議な現象が起きた。

また、多くのアニメや漫画、
特にバトル漫画で中高生が主人公なのは、
中高生とは、労働や自立、
恋愛と子育てなどの数々の大きな課題に
立ち向かっていく年齢の人だという事と、
重なっているからである。

人は20歳ではなく15歳に若さを感じる。
20歳とは、既に数々の大きな課題をクリアし
ハッピーエンドを手に入れた者なんだから、
バトル漫画の主人公には合わないのだ。

そして、この考えを否定する人は
あまりに感情的だ。

社会や政治における議論は、
事実認識を感情で歪める側と
それを正す側に2分され、
1+1=3は正しいかどうかという
不毛な議論に終始するものだが、
この考えを否定する人達は皆、
1+1=3をよく唱える、
感情的な人達ばかりだ。

ある意味、それがこの考えの
正しさを示している。

 事実認識を感情で歪める人達が
わざわざ否定する事は大抵、正しい。

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