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「そういうもの」だと思っていた話


小学一年生の頃、同じクラスにYちゃんという女の子がいた。Yちゃんの指は私と少し違っていた。


柔らかいYちゃんの指が自分の体にはない感触だったため「こんなの私にはない!凄い!いいな!」と単純に羨ましく、頻繁に「町ちゃんね、Yちゃんの指かわいいしフニフニして好きなの…わー気持ちいい」と触らせてもらっていた。
Yちゃんも特に嫌がらず「そうかな」なんてニコニコしていたと思う。


学年で一番背が低く落ち着きのない私は、優しくておっとりしていたYちゃんを勝手に「お姉ちゃんみたいねぇ(いない)」と慕っていた。何の言い訳にもならないが、当時の私は精神的に他の子よりだいぶ幼かったのかもしれない。




ある日お絵かきが好きだった私はクラスの友達の絵を描いた。
漫画形式にするため紙を何枚か重ね、真ん中をホチキスで止めて本の形にした。1ページ目は登場人物紹介にすればより漫画らしくなると思い、描いた絵の横に紹介文を添えた。


Kちゃん  ぬりえがじょうず おしゃべり
Sちゃん  せがたかい  あしがはやい
Yちゃん  やさしい  ゆびがこう(絵で表現)なってる
町子 いちばんちび ほんがすき



「見て見て町ちゃん漫画描いたのよ〜」とウキウキしつつ先生に見せた。
最初のページを読んだ先生は、Yちゃんの似顔絵と紹介文を指差しながらこう言った。


「町子ちゃん、こういうことはね、描いちゃいけないの。わかった?この絵は他の人に見せないで。お家に持って帰って」


予想外だった。驚くほどキツめに叱られた。

私は「上手に描けたし凄く漫画っぽくできたしこれを一年生が一人で作ったんだよ?絶対褒められるやつじゃん…ウヒヒ」と、確実に褒めを獲得できると踏んで先生に見せたのだ。まさか叱られるだなんて考えもしなかった。

同い年なのにSちゃんは私よりずっと背が高い子で、Kちゃんは私の苦手な塗り絵がとても上手にできる子で…皆それぞれ背の高さや得意なことが異なっているのが当たり前で、Yちゃんの指と自分の指が違うのも私にとっては同じ部類の当たり前だった。「そういうもの」だと思っていた。


また、私が物心つく前から父は車椅子だったので「車椅子の人」に対しても「歩けないから車椅子に乗ってる人」と思うだけだった。「可哀想」「障害」という感覚が一切なかった。ある意味物凄くフラットな目線で物事を見ていたのかもしれない。

「町子ちゃんとこはお父さんが車椅子で大変でしょう」と言われることが多かったが「大変も何も車椅子じゃないお父さんを知らないし車椅子ってなんかダメなの?乗らなきゃ動けないんだから車椅子使うのが当たり前じゃないの?」としか思えなかった。

当たり前にそうなってるものを見たまま描いて叱られる意味がわからなかった。なぜ「こういうこと」を描いてはいけないのかも教えてもらえなかった。

しかし先生の険しい顔を見るに、Yちゃんの指の話をするのはとにかく「いけないこと」なんだと、それだけはわかった。





こっ酷く叱られて以降、Yちゃんの指を触らせてもらうことはなくなった。

理由は覚えていないが「よくわからないけどこのことはあんまり言っちゃいけないし、可愛いから好きだからと言えどベタベタ触るのもきっとよくないんだ」「Yちゃんも本当は嫌だったけど断れなかっただけでは」と子供心に思ったのかもしれない。

そんな殊勝なことは考えず、クソガキらしく「ハァ?なんで町ちゃんが怒られなきゃいけないの?じゃあもう描かないし触らないよこれでいいんでしょ!」くらいのものだったのかもしれない。
現在の性格から考えるにこちらの確率が高そうだが、今となっては思い出せない。



元々子猿のように動き回る子供だった私は休み時間を校庭で過ごすようになり、いつも教室にいたYちゃんとお喋りをする時間は減っていった。

学年が上がりクラスも別になった。校庭で会うこともないし、別々の門を使っていたため(寄り道防止のため登校時に通る門以外から出てはいけなかった)登下校時に見かけることもなかった。
卒業後のことは全く知らない。



自分と違う特徴に対してどう接すればよかったのか、配慮するべきだったのか、いつか似た状況に対峙した際大人の自分はどうすればいいのか、そもそも配慮とは何なのか、何が正しいのか今でもわからない。

無知で無神経で、自分と異なる特徴を持った人に対して差別や区別といった意識が全くなかった、二度と戻れない頃の話だ。





Yちゃんへ

私バカだから何がいけなかったのかわからなかったし正直今もよくわかってないしわかってないことを謝るのも変かもしれないけど、可愛いと言ったり触ったりしたことがもし嫌だったなら気付かなくて本当にごめんね。

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