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たけのこと寿命

眠る前に何かが見えることが多い。脳裏に浮かぶというよりは目を閉じた暗闇の中にくっきりと「見える」のだ。
昼間に見た印象的な風景や漫画のキャラクター、昔の友人や芸能人、全く知らない誰かの顔。本当に今目の前にそれがある(いる)かのように出てくる。眠気が強ければ強いほど融通がきく(思い通りのものが見える)ので、意識を失うまでの間に映画を再生したりテレビゲームをしたりと楽しんでいる。金のかからない娯楽だ。

日曜日の夜、なぜかたけのこが見えた。
今年はたけのこの当たり年なのか例年より安く出回っているのをよく見かける。今までは「高い・下茹でに適したサイズの鍋がない・面倒」の三重苦から生の筍を買うことを避けていたが、安価につられて今年は何度か買っている。
夜中にアク抜きをして昼間に保存だの調理だのと長時間たけのこ相手に格闘していたからか、寝る直前まで見るはめになった。大したイベントのない休日を過ごしたことを痛感する。

暗闇に浮かぶたけのこを眺めつつ「そういえば私切り方よくわかってないんだよな。土佐煮にしたやつあの形でよかったのかしら」とどうでもいいことを考え始めた。目の前の映像を一旦オフにして、頭の中でたけのこをくるくる回しながら切ってみた。図形問題が苦手なタイプだったからかなかなかうまくいかない。


――今回のたけのこは大きかったな…
――中の空洞の間隔も広かった…
――綺麗なくし形に切るにはあのサイズだと難しいんじゃないか…
――なんかくしはくしでも百均に売ってるパーマ用の目の荒いくしみたいになっちゃったもんな…
――しかしよく見ると断面気持ち悪いよな…蓮コラに近いものがある…
――そもそもなんなのあの空洞?謎のヒダヒダ…


たけのこの空洞について考えたのは人生で初めてだった。
考えて二秒で答えが出た。あれは竹の節になる部分じゃないか。そりゃそうだ。当たり前すぎて今の今まで考えたことがなかった。
答えが出てもスッキリはしなかった。こんな当たり前のことを一瞬でも「なにあの空洞」だなんて不思議に思ったことが、妙に恥ずかしかった。


羞恥が睡眠欲を上回った。のそりとベッドから這い出し、スマートフォンを握って台所へ行き、「たけのこ  空洞  節」と検索窓に打ち込んだ。当たり前だとは思っているものの、念の為答え合わせをしておきたい。

やはり節で合っていた。それ以外にないだろう。一般的に樹木は先端の成長点から伸びていくが、竹は節と節の間に成長点があり、約60ものそれがアコーディオンを広げるかのように同時に伸びるらしい。
成長するにつれて節が増えることはなく、たけのこの時点ですでに節の数は決まっている、なぜだかそのことがとても奇妙に思えた。自分だって産まれた時から骨の数は変わっていないだろうに。


どこまで初めから決まっているのだろう。
環境や生活習慣、努力で変わる部分ももちろんあるだろうが、そうでなく産まれた瞬間から決められており、決して覆せないこと。才能、容姿、伸びしろ、寿命…
哺乳類が一生に打つ鼓動の回数は決まっている――そんな胡散臭い説を思い出した。

そういえば、私の心拍数は平均よりもずっと高い。

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