見出し画像

ヤベェ人に遭遇した話(2022版)


先日役所に行ってきた。ワクチンを接種しに行く彼氏に付き添っただけなので、特に私の用事があったわけではない。

「打った後体調崩したら大変だわ心配だわ」「お注射怖くない?横についててあげるからね」なんて過保護な精神を発揮したわけではなく「帰りにどこか寄って何か美味しいものでも食べようね。もちろんお代は彼氏持ちで」という乞食根性を発揮した上での付き添いだ。ただの暇潰しとも言う。

もしお注射が怖くても、横で私が「ちょっとチックンするだけだよ〜痛くないよ〜」と応援するわけにいかない。
母親と幼い息子ならまだしも、中年カップルがそんな寸劇を人前で繰り広げたらなんらかの病気を疑われてしまう。疑われなかったとしても単純に絵面がキツい。二人揃って別室に連行され、ワクチン以外のお注射を打たれてもなんら不思議ではない。

そもそも彼氏にお注射を怖がる様子は見られないため特に心配する必要はない。終わったら連絡をくれと告げ、役所に入った直後あっさり解散した。



喫茶室でなにか飲みながら時間を潰す予定だったが、残念ながら閉鎖されていた。いきなり予定が狂った。とりあえず一旦座りたかったので、エントランスの端にある長椅子へと向かった。

柔らかい椅子に腰かけ、ぐるりと辺りを見渡し自販機を探す。喉乾いたな、少し休んだらお茶でも買ってこようかな、喫煙所なんて近くになかったかしら…ポヤポヤ考えながらスマートフォンをいじっていた。

「……だから……だよ……」
「……じゃ……話にならなかったから……」

目の前に座っている男性がボソボソと喋り続けている。
六十代前半くらいで恰幅が良く、五分袖五分丈の上下揃ったパジャマのようなものを着ている。ラフな格好に似つかわしくないセカンドバッグをお尻の横に置いている。会話の相手は若い警察官だった。

そういえばさっき何人か警察官いたな、なんでこのおじさんと喋ってるんだろう、世間話にしては長くないか?ああ、もしかしたら何か事件があってこのおじさんから目撃証言を取っているとかそういう話?


何があったのかを知るため聞き耳を立てた。悪趣味ということは自覚している。
しばらく聞いてみたところ、私の予想は大ハズレだったことが判明した。


「だからさ、ここの人じゃ話になんないから…」
「傷害って言えるんじゃないのかな?これって」

このおじさんが警察を呼んだのだ。よく聞くと二名の警察官が交互におじさんをなだめている。
断片的に聞こえてくる言葉を繋ぎ合わせ組み立てていくうちに、何が起こったのか大体理解できた。


・おじさんは〇階で職員に足を踏まれた
・足を踏んだ職員からの謝罪がなかった
・文句を言ったら「記憶にございません」
・防犯カメラで確認させろ
・これ以上の苦情は□階の「お客様の声」に投書してくれと言われた
・ここの職員は話にならないから警察を呼んだ


失礼ながら死ぬほどくだらない。

「記憶にございませんってさぁ、そんなどこかの政治家じゃないんだからさぁ」

どうやらこれはおじさんお気に入りのくだりらしく、盗み聞きしている私が丸々覚えるほど「どこかの政治家じゃないんだから」を繰り返していた。おそらく「これは上手いこと言った」と手応えを感じているため、つい繰り返してしまうのだろう。

手応えを感じているところに水を差すようで恐縮だが「記憶にございません」に対して「どこかの政治家じゃないんだから」という突っ込みはありがちすぎる。独自性が乏しい。手応えを感じられるほど印象的なフレーズとは思えない。


「俺はさ、九時半に〇階の×課に行ってさ」

現在の時刻は十三時半を過ぎている。四時間もこの話を引っ張っているのか。いくらなんでも暇すぎやしないだろうか。

「つまり知事がさぁ、そういう教育してるってことだよなぁ」
「我々一般市民に対してさぁ、こういう態度でいいって知事が言ってるから職員がこうなんでしょう?違う?」

うん多分違うよ。
これはすごいイチャモンだ。ネットではわりと見かけるがリアルであまり遭遇しないタイプのクレーマーだ。こんなイチャモンが生で、しかも真後ろなんて特等席で聞けるとは思わなかった。なぜ急に矛先を知事に向けたのだろう。


「俺は右翼だからね…街宣車で来たっていいんだよ」

搭載されたスピーカーを使い「俺は足を踏まれたぞォ」と大音量で流す気なのだろうか。ああいうのはもっとこう、思想とかを流すものではないのか。というかそれはもう脅しの域じゃないか。


おじさんは私に背中を向けて座っていた。
前のめりで警察官と話していたおじさんが椅子の後ろ側(私側)に手をついた瞬間、あることに気がついた。
おじさんには小指の第一関節から先がなかった。


病気や怪我の可能性もある。決めつけるのは失礼な話だ。
しかしこの執念深さ、脅しとも取れる言動、とんでもないイチャモン、セカンドバッグ。かなりの確率でそっち系の人だ。違っていたら大変申し訳ないのだが、もうそっち系の人にしか見えない。
そっち系の人は警察との接触を嫌うものだと勝手に思っていた。自分に落ち度がなければ平気で警察を呼ぶものだったのか。それもそうか。
納得のいく謝罪がないことにここまで執着するのは、職業柄一般人より「落とし前」や「けじめ」といったものに敏感だからかもしれない。
舐められたら死活問題・怖がられてなんぼの業界なのだろう。落とし前をつけさせずに放置しては相手に舐められてしまう。おそらく舐められるのを阻止するため、執念深く詰め寄っているのだ。
しつこく食い下がるおじさんの背中と小指のない手を眺めつつ、自分の人生に全く関わりのない業界に思いを馳せた。



繰り返し同じような話を聞かされる警察官も大変だ。
三十分程しか聞いていない私ですらそろそろ飽きてきた。
憤るおじさんを刺激しないように、つとめて穏やかに「うんうん」「大変でしたね」「それは確かに」と当たり障りのない相槌を打っている。何時間打っているのだろう。いつ呼ばれたのか知らないが、おじさんと同じくらい根気強いのは確かだ。

おじさんの言い分を信じる限り、おじさんは被害者でしかない。反社会的な組織に属す人だとしてもこの件に関しておじさんに落ち度はないのだ。無下にはできない。
「アンタそりゃ大袈裟だよ足踏まれたくらいで…」なんて思っていたとしても決して口や態度に出してはならないのだ。

優しく話を聞いてもらい、踏まれたところは大丈夫ですか、もう痛くないですかと心配され、おじさんの声は徐々に穏やかになってきた。雑談も始まった。
少し目を閉じてみる。和やかな雰囲気だ。耳から得られる情報だけでは役所なのか老人ホームなのか判別がつかない。まさかこれが警察官と反社の会話だなんて、濃紺の制服と小指のない手を視界に入れない限りは全く気付かない。
この感じだとこのまま平和的に解決するのではないだろうか。素晴らしいことだ。


おじさん、話を聞いてもらえて満足したのかな?
そうだよね、足踏まれたのは腹立つよね。でもそこまで大袈裟にすることでもないんじゃないかな?
私がここ座ってから三十分以上経つけど話あんま進んでないよね?
どうなるのか最後まで見届けたいけどあと少ししたら彼氏戻ってくるしキリよくこの辺で話つかないかな?
これはもう納得してご帰宅コースでどうでしょう?


「これ刑事事件とかにできないの?」

全然納得していなかった。
たった今「息子が〇〇歳でさ、おまわりさんと一緒だね」なんて談笑していたはずなのに、何をどうしたらそんな物騒な単語がポンと出てくるのだろう。私が平和的解決を祈っていた一瞬の間、おじさんの頭の中では何が起こっていたのだろう。

「うーん、ちょっと…それは難しいかもしれません」
「踏まれてご不快だったのはもちろんわかるんです、でも特に外傷も見られませんし…これで傷害は…うーん」

これにはさすがの警察官も難色を示した。見える怪我もないし普通に歩ける様子だ。そりゃ無理だろう。
今まで優しく相槌を打つだけだった警察官からマジレスが飛んできて面食らったのか、おじさんは少し弱々しい口調でこう言った。

「でもよぅ、俺は巻き爪だから…」

巻き爪カミングアウトは予想外だった。
小指のないおじさんがシュンとしながら「だから痛かったんだよぅ」とつぶやいている。正直ちょっと可愛かった。ギャップ萌えとはこういうことかもしれない。

そうだね、おじさん巻き爪踏まれて痛かったんだよね…
巻き爪ってだけでちょっと痛そうだもんね…
でもやっぱ刑事事件てのは無理じゃないかな…
ていうか小指詰めるのは耐えられたのに巻き爪踏まれてそんな騒ぐなんてことある?
小指詰めたってことはおじさん本業で大ポカやらかしたってこと?組長の足踏んだとか?組長も巻き爪ですか?

ほんの少しの同情心と大量の失礼な疑問が湧くと同時に、おじさんは椅子から立ち上がり警察官に向かって軽く頭を下げた。

「じゃあちょっとまた〇階行ってくるわ、ありがとな」

こう言い残しておじさんはスタスタ歩き出した。
何度目か知らないが職員に直接苦情を言いに行くらしい。
素人目にも踏まれた足の無事がわかるような、そんな軽やかな足取りでおじさんは去っていった。

おじさんはいつまで役所にいるつもりなのだろう。謝罪があるまで居座り続けるのだろうか。少し芽生えた同情心を返してほしいし、ついでに小指を詰めることになった経緯も教えてほしい。




私は彼氏に「目の前にこんなおじさんがいるよ!」と必死でLINEを送っていた。
この面白さをぜひ共有したい、共に対岸の火事を眺めたい、そんな気持ちでポチポチと文字を打った。

「おじさんが足踏まれて警察呼んだらしい」
「どこかの政治家じゃないんだから←めっちゃ言う」
「速報 おじさんは巻き爪」

文字に起こすと途端につまらない。
この手の話はその場にいないと面白さが伝わりにくい。
実際おじさん速報に対する彼氏の反応は芳しくなかった。要はウケていなかった。

注射を済ませた彼氏がエントランスに戻ってきた。
文字情報ではあまり伝わらなかったようだが、直接話せば多少面白さが伝わるだろう。ここで起こっていたことを今すぐ聞いてもらわねば。ネタは鮮度が命だ。
労いの言葉もそこそこに、たった今目の前で起こっていたことを興奮しながら話した。

「おじさんがね!警察呼んでごねててね!街宣車で来るぞなんて言ってさ!そんで巻き爪だから痛いんだって!」

話が下手すぎてこれまた全くウケなかった。なんなら盛大に滑った。赤っ恥もいいところだ。


なぜ私が無駄に恥をかかなければならないのか。
数日経った今も悔しさと苛立ちがおさまらないため、とりあえず役所に苦情を入れようと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?