ペットの話


少し前に実家の母から電話がかかってきた。

「最近うーちゃんが餌を食べないの。どうしよう」



実家では数年前からウーパールーパーを飼っている。近所の公民館で生まれたものを母がタダで貰ってきたのだ。
彼が来た日は盆休みの真っ最中だったので、ちょうど私も実家にいた。メダカより小さい体の彼はなかなか水に潜れず、用意された新品の水槽で弱々しくプカプカと浮いていた。
ペットショップで売られているものより明らかに小さい、小指の第一関節ほどの謎の生き物。見れば見るほど謎の生き物。


正直すぐ死にそうと思った。
一度に沢山生まれてくるものはそれだけ死にやすいのだ。こんなに小さいものを一匹だけ貰ってきてすぐ死んだら水槽が無駄になる。複数匹貰ってきて運良く生き残ったものを育てればいいのでは。目があまり良くなくて同種を餌と勘違いし共食いするらしいけど、まあそれが自然の摂理なんだろうし…
インターネットで飼い方を調べつつ持論を述べたところ「そんな恐ろしいこと言わないで!」と突っぱねられてしまった。


予想に反してウーパールーパーはめきめき成長した。
最初の一年は帰省のたびに「また水槽新しくしたの?」と聞いていたような気がする。狭いところじゃかわいそうだからと、母はどんどん水槽のサイズを上げていった。
一度目の冬(発情期)に睾丸が赤く膨れたことでオスだと判明した。小指の先ほどの弱々しい物体は母の献身的な世話により、成人男性の通常時ほどの大きさまで立派に成長した。ナニの通常時かは伏せておく。


すっかり実家の一員となったウーパールーパーのうーちゃんが餌を食べない、これは大事件だ。
そもそも普段から「食べる・寝る・ウニャウニャ動く」以外何もしていない。そんな生き物が餌を食べなくなるだなんて、死期が迫ってるんじゃないかと心配になってしまう。


「最近餌の赤虫が前のより太くなったみたいで、それが原因かもしれない」

母はウーパールーパーに金魚の餌のような人工飼料ではなく冷凍の赤虫を都度解凍して与えている。いくらなんでも過保護すぎやしないだろうか。

写真を送ってもらったら確かにほんの少しだけ太い。素麺とひやむぎくらいの差だ。人工飼料じゃないからバラつきもあって当然だろうし、あまり関係ないのではないか。ウーパールーパーが素麺とひやむぎの些細な違いを気にするようなこだわりを持っているとも思えない。

「一体何を考えているのかしら…」
「いや何も考えてないんじゃない」

この手の会話を水槽の前で何度したかわからない。本当に何も考えていなそうな顔で終始ポケーとしている。いつ見ても少し口が開いているのがこれまたアホっぽい。
元々目の悪い生き物らしい。うーちゃんはアルビノで、目まで白いため尚更何も見えていないように思える。
口元に触れたものにはなんでも食いつくため共食いが起こり、間違って砂利を飲み込むこともあるらしい。そんな生き物が素麺とひやむぎの違いに文句をつけるわけがない。


「調べたら赤虫が一番食いつき良い餌らしいしそのままでいいんじゃないかな…ていうかあなた餌やりすぎなんじゃないの?エッ毎日あげてる?毎日あげなくていいんだよ!絶対食べ過ぎだよ!しばらく餌やるのやめたら?二週間くらい餌抜いてからまたあげればいいじゃん。腹減ったらなんでも食うでしょ」

私なりに心配したつもりだった。しかし提案がスパルタすぎたらしく「そんな可哀想なことできない。アンタはやっぱり冷たい人間」と一蹴されてしまった。

「やっぱり冷たい人間」だなんて親に言われたら多少は気にしてしまう。「冷たい人間」だけなら今回の発言をそう受け取った結果の発言として一応納得できるのだが「やっぱり」と付くのは気にかかる。ウーパールーパーの件とは関係のないところで前々からそう思っていたのだろうか。製造元にそう思われるのは心外だ。
本当に冷たい人間だったら「死んでからじゃ鮮度がアレだしまだ生きてるうちに唐揚げにして食べちゃえば?」くらい言うはずだ。もちろん私はそんなことは言わない。つまり私は冷たい人間ではないのだ。




しばらくして連絡が入った。

「うーちゃんが餌を食べるようになったよ」

「良かったね!なんかしたの?やっぱり断食させてみたとか?」

「ううん、前の赤虫に戻したの。買い置きしてる餌持っていつもの〇〇(熱帯魚屋)行って聞いてみたの。そうしたら取り扱ってる冷凍赤虫が二種類あってね、前と違う方をあげてたみたい」


驚いた。だって本当に些細な違いなのだ。これも写真を送ってもらったら、パッケージも同じでフォントは多少異なるがどちらも「冷凍赤虫」としか書かれていない。
食べなかった方の赤虫は確かにほんの少しだけ太いが、そんなことでハンストを起こすものなのか。何度も言うが、素麺とひやむぎの違いくらいしかないのだ。私だったら文句も言わずに食べるし、なんなら気付かない可能性もある。


「やっぱり安い餌は美味しくなかったのね」


どういうことかと尋ねてみたら、食べなかった餌は食べる餌と比べて値段が100円安いと言う。
同じ赤虫でも値段で味が変わるのだろうか。素麺とひやむぎで例えてきたが、揖保乃糸とトップバリュの素麺くらいの差なのではないか。
そりゃ確かに揖保乃糸は段違いに美味い。他の素麺をイマイチと感じてしまう気持ちはわかる。いやそういう話ではない。


餌と間違って砂利を食う生き物が、同じ餌でも100円やそこらの差で全く口をつけなくなるだなんて。なんてわがままなんだろう。もう絶対に野生で生きていけないんじゃないか。

母は「違いがわかるのよ」「グルメだわ」とウーパールーパーを褒めそやしているが、私は「選り好みするなんて生意気な…」と謎の怒りを燃やしてしまった。

赤ん坊は柔らかくて美味いが年寄りはスジっぽくて不味い…なんて、食われる側からしたらたまったものではない文句をつけるエイリアンを頭に浮かべながら、母から送られたウーパールーパーの写真をじっと眺める。宇宙から来た生き物だと言われたらヘェそうなのとすんなり納得してしまいそうな見た目をしている。


食べて寝てたまにウニャウニャ動き、餌を選り好みすることもある謎の生き物ウーパールーパー。共に散歩したり撫でたりはできないが、独居老人の「なんかお世話したい欲」は満たされているようでなによりだ。

他に何もできないけどとにかく飢えさせたくない…なんて気持ちは、おそらく最も原初的な愛だと思う。
私に対してもその愛は向けられるが、残念なことに母は壊滅的に料理が下手だ。
どのくらい下手かと言うと、某掲示板の嫁のメシがまずいスレで「さすがにネタだろ」と言われている書き込みを読んだ時「いや…うちの母ならマジでこれくらいやるだろうな…」と思ってしまうレベルの下手さである。

私には受け止められなかった(というか食えなかった)母の巨大な愛を、今はウーパールーパーが受けてくれている。愛を受け入れてくれる相手がいることは、きっと母にとって幸せなことだろう。私に矛先が向かないのも助かる。本当に助かる。

狭い水槽に閉じ込められ、自分と全く異なるやたらでかい生き物から一方的に愛を与えられ、一匹きりで生涯を終える我が家のウーパールーパー。人間の都合でこんな環境に置いてしまっていることに対して、少しばかり申し訳なさも感じる。


そう考えれば餌の選り好みくらい些細なことだ。
唐揚げになんてしないので、よく食べよく寝てのびのび暮らしてほしい。切に願っている。

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