『ファントム』と『オペラ座の怪人』

 城田優がファントムを演ると聞いた時、わたしは美しさに殴られる覚悟をした。

 だって、あの顔なのだ。そして、あの身長、あの体格だ。仮面とマントが似合わない訳がない。わたしの脳裏に浮かんでいたのは、2003年映画版『オペラ座の怪人』のジェラルド・バトラー扮するファントムだった。あまりに仮面が似合い過ぎていて、かつ隠されていない方の顔があまりに美しいので、「怪人は醜い」という設定が全く頭に入って来ず、同情も何も、ただただ見惚れることしかできなかったファントムだ。

 わたしは間違っていた。城田優のエリックはコミュ障で、どもりがちなのに早口で、いわゆるキモオタの典型のようなファントムだった。

 ところで、”コミュ障”つまりコミュニケーション障害と、”人付き合いが苦手”の差はと言うと、後者が「この人とは会話が弾まないな」くらいで済むのに対して、前者は会話が弾まないどころか成立するのかも怪しいほどで、そういった挙動不審な所作がもはや「気持ち悪い」と評されてしまうくらい、違っていると思う。

 ファントムはコミュ障であってしかるべきである。

 子ども時代も思春期も日本の大学生がサークルとバイトと恋愛に明け暮れているような時期も、人生の九割近くを独り、薄暗い地下で過ごして、どうやって人との付き合い方が学べると言うのだ。わたしなんて生まれてこのかた地上で暮らしてきたのに、未だコミュ障に片足を突っ込んでいるようなものである。
 もしかしたら、劇場の様子を盗み見たり、本やオペラから学んだりして、1900年代辺りでは尊ばれていたであろう、エスコートとかのレディファースト的振る舞いなんかは身につけられたかもしれない。でも、生の人間を相手にしたコミュニケーションは、数を積まないと上手くはならない。相手の反応あってこそ成り立つ人付き合いは、独りでシミュレーションできるようなものではないのだ。

 優雅で自信に満ち溢れたファントムなどというものは、幻想なのである。

 そういうわけで、城田優のファントムはあの顔面を持ってしても気持ち悪いとしか表現できない、いや造形が美しいだけに「可愛らしい」と言えなくもなかったが、とにかく非常にわたし好みのファントムだった。子どもっぽく、癇癪持ちで、けれど純粋で根が悪人ではないばかりに、裏切られたと感じても恋した相手を真には憎めない。ファントムの痛ましさはそこにあるのだ。


 しかし、わたしが好きなのはやはりアンドリュ・ロイド・ウェバーの『オペラ座の怪人』なのである。

 アメリカの劇作家アーサー・コピットによる『ファントム』は、世界で最も有名な方のミュージカルと同じフランスの怪奇小説『オペラ座の怪人』を基にはしているが、決定的に異なる点がいくつかある。その最たるは、ファントムが今まで愛された経験があるかどうか、だ。

 『ファントム』にはファントムことエリックと張るくらい目立つキャリエールというキャラクターがいる。(因みに、ウェバー版では一貫して怪人はファントムと呼ばれ、原作で明かされている彼の本名「エリック」は一度も呼ばれない。)
 このキャリエールというのがウェバー版で言うところのマダム・ジリーに当たり、劇場の人間で唯一彼の正体を知り、便宜を図る人物なのだが、実は彼はエリックの実の父親なのである。物語終盤にキャリエールがその事実をエリックに告げると、彼は「その優しい目を見れば分かる」と長いこと薄々キャリエールが自らの父親であると気づいていたのだと返す。

 コピット版のファントムは、人に愛されたことがあり、しかもそうと自覚しているファントムなのだ。

 加えて、原作やウェバー版では「恐れられ、捨てられた」とされている彼の母親も、エリックの崩れた顔まで「美しい」と愛していた。それが精神の錯乱によるものなのか、心底そう思っていたのかは分からないが、『ファントム』のエリックは人が皆与えられるべき両親による無償の愛すら知らない孤独な怪物ではない。彼は人を愛し、愛される感覚が身についている人間なのである。

 そして、初めて肉親以外に向けられたエリックの恋は、彼の死でもって終わりを迎える。クリスティーヌへの愛憎交わる激情に駆られたエリックは、住処である地下から地上に姿を現し、遂には劇場を捜索していた警察たちに見つかってしまう。その直前に彼から「何かあれば殺してくれ」と頼まれていたキャリエールは、父親として叶えられる息子の最後の願いを聞いて彼を撃ち殺すのだ。

 ここで描かれているのは、醜さ故に愛が遂げられなかった怪物の哀しさではなく、愛する子どもを殺めることでしか守れなかった親の悲劇である。

 何より、エリックが一人地下に住む羽目になったのはキャリエールの行動に所以するところが多い。エリックの母と恋に落ち、子どもまで作ってしまったキャリエールは、なんと彼女に出会う前から結婚していた。典型的な既婚者のクズ男である。
 そのせいで精神を病んだエリックの母親は、元々歌姫として活動していたパリを離れ、大病にかかり、最終的にオペラ座の地下にひっそりと住む運びとなったのだった。つまり、キャリエールが最初から不倫などしていなければ、もしくは既婚者だともっと早く告げていれば、はたまた子どもができた時に妻と別れていれば、ひょっとしたらこんなことにはならなかったのかもしれないのだ。

 『ファントム』の物語は避けられるべき要因によるものなのである。

 その点、ウェバー版では責められるべき原因がない。
 ファントムを捨てた両親に罪はあるが、自らの子どもが死人のような顔をしていても愛せ、というのは少し酷な気がする。クリスティーヌとの愛が実らなかったのも、愛し愛される術を知らなかったのも、「愛している」と最後の最後まで口にすることすらできなかったのも、すべてはファントムの顔の醜さ故だ。

 彼がクリスティーヌに恋する大きな理由の一つは、『ファントム』と『オペラ座の怪人』ともに彼女が母を思い起こさせるからであるが、母親に愛されたか愛されなかったかでその悲惨さは全く様相を変える。
 一方は言ってしまえばただのマザコン、もう一方には形すら分からない何かを求める悲壮感が漂っている。クリスティーヌの方も亡き父親の姿をファントムに見出しているのだが、『ファントム』では若干その父親像をキャリエールが担ってしまっている。

 お互いこの世界にひとりぼっちだった二人が、音楽への情熱と才能という、他の誰にも理解できない、魂の奥底で繋がるのが美しいのだ。

 「誰も聞いてくれない 彼女以外は」。

 観客がファントムに同情的になり過ぎてしまうと、映画版でカットされたオリジナル曲に二人の関係の真髄が表れている。『ファントム』に登場する音楽は、物語を伝える手段の一つとしてしか存在していない。



 わたしが人生で一番好きなファントムは、イギリスのウェスト・エンドで観たベン・ルイスという人のファントムである。

 ともすれば恐ろしい響きを持つほど低い声なのに、厳しい印象の硬さがありつつも滑らかな手触りがあって美しく、本当に催眠をかけられそうな声質で、べらぼうに歌が上手い。
 何より、背が高くて一見は優雅なのに、仕草の一つ一つが子どもっぽく、クリスティーヌに対する感情が実際は何なのかもよく分かっていなさそうなところに説得力があった。
 外の世界を全く知らない純粋さがために、”自分が好きなのだから相手も自分を好きになるはずだ”というストーカー気質な謎の思い込みを持っていそうで、「恐れも愛に変わる」と本気で信じている感じがゾッとする。

 最も目をひいたのは、クリスティーヌに仮面を外されて泣くシーンで、体を前後に揺らしていた点だ。

 自閉症の子どもが時折するらしいロッキングと呼ばれる症状に見えた。社会的コミュニケーション能力の欠如や癇癪持ち、独自のルールがあり、それを外れることをひどく嫌うが、稀有な才能を持つという特徴を総合して考えると、ファントムが自閉症、とくにサヴァン症候群であるという可能性は極めて高いように思われた。
 なぜ今まで誰もそう考えなかったのか不思議なほどだった。
 人生で初めて見たファントムはブロードウェイで、おそらく正統派の美しいファントムだったものだから、その衝撃は凄まじかった。けれど同時に、これしかない、と思わせるだけの全てが揃っていた。
 ファントムを一人の人間として考えたら、ああなるはずなのだ。

 城田優のファントムはベン・ルイスを少し思い起こさせた。
 いかに格好良く観客を魅了するファントムを演じるかではなく、ただの「エリック」として役に向き合ったのが伝わったからだと思う。

 それでもわたしは『オペラ座の怪人』が好きなのだ。

 舞台を横ではなく縦に深く使って場面転換を減らし、物語も努めてオペラ座内に限定することで、オペラ座ではないものの実在の劇場にいる我々もまるでその場にいるような感覚が味わえる。目の前でファントムの愛の終わりを見届けることができる。あんな舞台はそうそう出てこないだろうと思う。

 あの劇場にはファントムが本当にいるのだ。


 だからこそ、わたしは『ファントム』と『オペラ座の怪人』、どちらのファントムの方が幸せだったのか考えてしまうのである。

 生まれた時から愛されるのと、己の手で愛し愛されることを知るのと、どちらが幸せか。
 ファントムのような存在にとって、死は救いなのか。

 「生きるのもそう悪くなかった」。
 最後にはそう口にしたエリックは、自らが住む地下の湖を”天国”、クリスティーヌを酷い目に遭わせた地上を”地獄”と呼んで、彼女を地下に連れてくることで救おうとした。
 その彼は地獄であったはずの地上でクリスティーヌの腕の中で息を引き取り、地下を己の王国としながらも”地獄”と評し、地上に憧れ続けたファントムの方は、独りで地下から去って行く。


 たぶんファントムは、生まれてきて幸せだったかどうか、まだ自分でも分かっていない。


 だからわたしはこれから先もずっと、彼と一緒に考え続けるのだと思う。
 やっぱり、わたしの中に居つくのは『オペラ座の怪人』の方なのだ。

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