『アベンジャーズ: エンドゲーム』とわたし達

*『アベンジャーズ: エンドゲーム』のネタバレがあります。


 わたしの青春が終わった。アベンジャーズが遂に終わってしまった。

 思い返してみれば、このマーベル・シリーズは他に類を見ない、非常に多岐にわたるシリーズものである。一作目の『アイアンマン』から十一年、二十二本の様々なヒーローを主役とした作品が公開されてきた。
 『ハリー・ポッター』シリーズも長期にいたった物語としては有名かつ爆発的人気を誇ったが、あれは一人の主人公とその物語を軸に据えているし、『スター・ウォーズ』は三部作が三つ集まったもので、マーベルのように毎年コンスタントに作品が出続けていたわけではない。

 わたしの人生の半分近くはマーベルと共にあった。周りの熱気に押され、アイアンマンが人間なのかさえ知らないまま『アベンジャーズ』を初めて劇場で観た時から、それ以降は毎年、一作も欠かさずに映画館で観てきた。

 その十三歳の子どもが、成人して大学も卒業しようかというのだ。これほど長い時間をかけて一つの物語を完成させるシリーズなど後にも先にもこれしかないだろうし、仮にそんなものがまた出現したとて、わたしはここまでの熱量でもって追いかけることはできないだろうと思う。

 二十人を軽く超えるヒーローたちとその背景や性格、そして彼らそれぞれの冒険を理解しなければ、アベンジャーズシリーズを真に楽しむことなどできない。あの時、あのタイミングで観始めたから、わたしはマーベルを人生の一部としてまで愛せたのだ。今から別のもので似たような体験をしようとしても、十代前半の、あのまだ心が柔らかい時期に全身全霊をかけて観たものには何も叶わない。

 わたしが一番好きなヒーローはキャプテン・アメリカだった。他の登場人物たちと違い、彼は力を手に入れる前から高潔なヒーローそのもので、「命に大小はない」なんて言いながらも、自分のことはちっともその「命」にカウントしていなさそうなところが大好きだった。

 でもその自己犠牲精神は、若い見た目と反して彼が本当は七十年間氷漬けで眠っていた九十歳を超える老人であり、現代にそぐわない古い価値観をもっているからこそ輝くものだ。映画であったとしても、他大多数のために死ぬ人を英雄として描いて欲しくないと感じてしまう風にわたしは、時代は、変わった。

 だから、前作『インフィニティ・ウォー』から今作『エンドゲーム』にかけてヴィラン役のサノスが、少数を犠牲にして多数を救うのだと言い張るのに対して、キャプテンが「命の交換などしない」とサノスの主張をはっきり否定していて安心した。もう、自らを犠牲にするばかりがヒーローではないのだ、と。

 けれど、アベンジャーズの中には他にもう一人、隙あらば人類を救うために進んで死のうとする人物がいた。どんなに観客が新しいヒーローと出会おうと、いつも必ず物語の中心にいたアイアンマンだ。
 そもそもマーベルシリーズは、トニー・スタークという武器商人の男が己のもたらした惨害に気付いてアイアンマンとなる話から始まったのだから、彼がアベンジャーズシリーズの代表であるのは当然である。

 『アイアンマン』一作目の頃は、まだ敵もただの人間だった。そこから、トニーが宇宙に広がる強大な敵の存在を知り、人類を守らなければと強迫観念に駆られて眠れなくなる姿までを見てきたわたしたちが、彼にも幸せになってほしいと願うのは当然のことだった。


 彼がようやく安らかに眠れた日は、彼が二度と目を覚まさなくなる日だった。トニーの安全を第一に考え、彼のヒーロー活動や自己犠牲精神にたびたび怒っていた恋人のペッパーは、生き絶える寸前の彼に「私たちは大丈夫(‘We're gonna be okay’)」と告げる。

 その「私たち」にトニーは含まれていない。

 「あなたがもう頑張らなくても、私たちは大丈夫」。ペッパーはそう言ったのだ。そう言わなければ、彼が安心して目を閉じることなどできないと知っていたから。

 わたしは、ペッパーがトニーにアイアンスーツを捨ててヒーローを辞めるよう頼む度、いつも苛立ちを覚えていた。
 彼が生み出したスーツや発明の数々は、彼の子も同然なのに、なぜ受け入れてやらないのかと。

 彼女は正しかった。
 トニー・スタークとアイアンマンは、同一人物であっても、全く違う存在だったのだ。どんなに愛しても、どれだけの時間を過ごしても、どれほど“あなたにそんな責任はない”と伝えても、手の届かなかった人。

 彼は自らの過ちに気付いた時から、最期まで、「わたしたち」が幸せを願っていたトニー・スタークではなく、アイアンマンだった。

 自己中心的で傲慢だったトニー・スタークはヒーローとして死んだ。でも、少数を犠牲に、多数を救うのはこれで最後だ。命に大小をつけるのを良しとするなら、アベンジャーズはサノスと変わらない。
 それがトニー・スタークの選んだ幸せだったとしても、周りの人間は彼と共に戦わねばならなかったのだ。

 英雄化されてしまったアイアンマンの死は、過去の遺物にならなければいけない。
 キャプテン・アメリカが現代を捨てて、彼の生きていた時代に戻ったように。

 だからこそ、アベンジャーズはいったん終わるのだ。
 次の世代をあるべき姿にするために。
 より良い世界を作るために。

 わたしたちは、きっと、大丈夫だ。

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