反出生主義、やめたよ~~!

こんにちは、あやなつです。今回は、タイトルにもある通り、反出生主義をやめた話をします!

反出生主義とは

まず、「反出生主義」の自分なりの定義を示してから本題に入りたいと思います。私は「反出生主義」を「人間は人間を生むべきではない、生まれる側の人間のために」という思想だと理解しています。

・人間、今すぐ死ね~~~!
・死にて~~~!
・子供いない人生を送りた~~~い!

箇条書きで挙げたような考えは、反出生主義ではないと思っています。もちろん、反出生主義と上記の考えを併せ持っている人はいるとは思います。でも、それが「上記の考えも反出生主義の考えである」とはなりませんよね?私はホモサピエンスでかつ「ゴールドキウイが好き」ですが、それはホモサピエンスの定義に「ゴールドキウイが好き」を含めることを意味しません。

なぜ「反出生主義者、やめたよ~~!」ではないのか

次に、このnoteのタイトルについてお話しします。これも本題ではありません。前置きが長い人間ですみません!!!!
このnoteのタイトルは「反出生主義、やめたよ~~!」です。なぜ「反出生主義”者”、やめたよ~~!」にしなかったか。それは、私が今までも自分のことを反出生主義者だとは思っていなかったからです。反出生主義的な考えこそ持っていたものの、反出生主義者であるとは思っていませんでした。まあ、「反出生主義的な考えを持つ者」も略したら反出生主義者なんですけどね!

今までの考え

やっと本題です。今までの私が、出生についてどういった考えを持っていたかを簡単にお話ししていこうと思います。
と言っても、高3のときに初めて書いたnote「若造が反出生主義について考えてみた!」で考えを書いたことはあるため、再放送みたくなります。ご了承ください。ちなみに「若造が反出生主義について考えてみた!」はここから読めます。
若造が反出生主義について考えてみた!|あやなつ|note

私は、人間を生むべきではないと思っていました。詳しく説明すると

・存在することで幸せを得ることもあるが、苦しみも得ることになる。存在しなければ幸せも苦しみも得ない。存在しないルートだと「苦しむことがあったとしても、幸せを得たいんだ!」と思う主体がない。存在しなければ苦しまずに済み、存在したかったと思うこともないため、人間は存在するよりも存在しない方がいいと思う。
 ・人間が存在するから、人間は環境問題やら少子高齢化が引き起こす問題に頭を抱えるのであって、存在しなければそれらに悩むことはない。「次世代と共に解決しようよ!」という人もいるかもしれないが、環境や少子高齢化の問題はあくまで一例であって、このような、みんなを悩ませる問題は人間が存在している限り今後もたくさん出てくる。自分たちや次世代、そのまた次の世代…が頭を抱えることを望まないため、人間に存在してほしくないと思う。
 ・人間は、自分が選択したことに責任を取らなければならない。しかし、自分の意思で子供を生む選択をしたとして、生んだ子供の人生がどうなっても親は責任を取り切れない。私は、責任の取れないような選択をするべきではないと考えるため、結果に責任を取り切れない「子供を生む」という選択をするべきではないと思う。

ってな感じで考えていました。私は自分の記憶力をあまり信用ならないものだと思っているので、これが全部だとは思わないし、思わないでほしい。思い出したら追々言います。

考えが変わったきっかけ

じゃあなぜ考えが変わったのか。そのきっかけは大きく分けて3つあります。ひとつひとつ、簡単に説明します。

・責任の取り方が違うだけだと思ったから
これについては、私が今年の頭らへんにメモ帳アプリに文章を残しておいてくれたため、そちらを軽く修正した物を読んでいただきたい。書いて半年も経っていない文章をちゃんと書き直すほどマメな人間ではないため。

子供を生むと、生んだ子供に苦痛が生じうるし、実際に苦痛が生じたとして親がそのすべてを負うことはできない。だから責任を負いきれない以上生むべきではないと思っていた。しかし、生まないという選択によって全く何に対しても影響を及ぼさないわけではない。出生数の低下で社会の維持が難しくなったりというのも、小さいながらも自分の選択が影響を及ぼしているもの。社会の維持が難しくなることで生じる苦痛に対して、生まない選択をした人間は責任を負いきれるか?普通にそっちも無理。そう考えたら、どの選択をしても責任を負いきれない以上どちらを選ぶべきというのもないように思う。反出生主義は「誰も生むべきではない」という思想であると理解しているので、上記のような結論に至った現在の私は、少なくとも反出生主義者ではないのではないか。というか違うと思う。もちろん、生むべきという抑圧を受けることは私にとって、ひいては他のいくらかの人間にとってもつらいことだ。だから、社会がその考えに偏りすぎているのを是正する動きはあってほしいし私もその動きを支援しようと思う。

・ひどい人と一緒くたにされたくないから
そのまんま。私は、反出生主義の考えに今でも結構賛同している側の人間ではあると思う。だけど、同じような思想の持主であっても、他者を傷つけてやろうという明確な悪意が見て取れるような発言を個人宛にするのは良くないと思う。まあ個人宛じゃなくてもまずいとは思うけど、個人宛はばっちり通知が行くし、「あなたに向けて言ってますよ」という形で発言をしているから、よりまずいと思う。というか私もそんなんやられたら傷つくし。
私は、人間が苦痛を感じるのを嫌だなと思って反出生主義の考えに賛同していた部分がある。そのため、このような言動をする人が、たとえ反出生主義者の中でごくごくわずかな割合の人間であったとしても存在しており、その人たちと同じような言動を私も同様にし得る又は既にしていると思われたくないと思った。

・レッテルに縛られがちだから
これは私の性質の問題であるため、反出生主義うんぬんとはあまり関連はない。しかし、この文章を読んでいる人の中にも、同じような性質を持っている人がいるのではないかと思い、「仲間がいるよ!」と知らせるためにも説明しておく。
私は、「自分は○○という名称のある性質を持っている」と自覚することで不安から逃れがちな人間である。それ自体は、一時的かもしれないが不安から逃れるための1つの方法だと思う。これが悪いというわけではない。しかし、不安から逃れられるのも束の間。自分が○○という名称の性質を持っていることは、同じく○○という名称の性質を持っていると考えている人間の性質と合わせなければいけないということではない。なのに、私はそのように考え、自分の性質を他者に合わせて変えようとしてしまっていた。楽になるためのレッテルが、気づけばいつも私を苦しめていた。
反出生主義も同じで、他の反出生主義者たちが主張していることや考えの根拠を、自分のものにしなければいけないと、(そうする必要はないと分かっていながらも)思っていた。そのため、名称を貼っつけることで得られる安心よりも名称を手放すことで得られる安心の方が大きい状態になっていると判断し、反出生主義という名称を手放すことにした。

まとめ

私は幸せです。理解のある両親くんの協力のもと、ぬくぬく生きていて、趣味でやっている創作も楽しくて、勉強も、ときにしんどくはあるけれど楽しいし興味深いなと思います。
そして、人類に今すぐ苦痛なく滅んでほしいと思っています。あなたも私も気づかないうちに死ぬことができるならばどれほどいいだろう、と思います。人類を愛しているが故に、人間が苦しみながら生きているのがつらいです。だから、滅んでほしいんです。幸せであることと、人類の滅亡を望むことは両立します。ソースは私です。
また、私は反出生主義こそやめたものの、子供を生む気はありません。私が自分のことを毒親予備軍だと思っているのもそうだし、孤独を愛しているからです。あと、「子供を生まない女はダメダメだ」という考えがどうやら未だ根強いらしいので、そういうのが世間にある状態では生みたくありません。

「後悔するぞ」ですって?

後悔してもしなくても、自分の選択に責任持つので大丈夫です。

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