どうぞ休学・休職してみてください。
就活が上手くいかず「俺も休学するわ。やりたいことあるわ」と言った友人が、翌日に届いた内定を嬉々と掲げ、休学などせず、最後の青春に戻ったあのキモさを僕は一生忘れられないだろう。
彼にとって「休学」とはなんだったのだろうか。
あなたにとって「休」ってなんなのだ。
休学終わって1ヶ月
…復学して1ヶ月経った。
僕は晴れて2回目の大学4回生となった。新しいメンバーになったゼミはみんな女の子だが、なんとか馴染めて(?)いる。何より日常に「授業」があるというのは不思議な感覚だ。お金を稼ぐわけでも家事が進むわけでもない営み。つくづく大学は変な場所だ。
さて。
去年僕は一年休学した。
何をしたか。
本を作っていた。
社会のためではなく、親のためでも、友人のためでもなく、自分のために作品を作っていた。
まぁ就活のしすぎで、嘘の自分にいろいろ疲れて創作欲が大爆発してしまった。先はわからないけど、とりあえず全部吐き出してから次の進路を考えるぜ^_^^_^^_^
みたいなことである。
しかし、本を作るなど毛頭なかった。たまたま思いついてやっただけだ。それは発作や衝動でのようなものであり、休学する時は何も考えていなかった。ほとんど、ひたすらにドラクエと本屋バイトに勤しんでいた。
詳しくはこちら↓
なので端的にまとめると
休学して
・ドラクエをした。
・後半は発作で作品作りをした。
以上が僕の休学である。
なんで休学したんですか
休学の話をすると、爛々と聞かれるこの質問。それ自体は構わない。僕だってきく。
しかし面白いのは反応だ。
「病んでずっとドラクエしてました!」と話すと、どこか腑に落ちず、みんながっかりする。
一方「作品を作っていた」と話すとみんな目を輝かす。さぞ計画的に休学したのだなと、なぜか彼らは納得する。
ここで残酷を感じるのだ。
どうやらこの社会には、休む時間に「休む」をしてはいけない風潮があるのだ。
僕があの時、発作に犯されていなければ、ずっとゲームをしていたら、あの人たちは僕をどう見ただろう?これを読んでる僕の身内のお前はどう見ていた?
よかったね、僕が「休学して行動をできる人で」。いやーよかったよかった。これからも末長くよろしくね。
冒頭の彼
で、彼である。
「なんで休学をしたの?」ときく人は休学をしない人。この人たちにとって休学とは「行動する時間」
冒頭の彼のように「休学しようと思う」と思う人の方が僕に近い位置にいる人。
どっちも嫌いなのだが、後者の「彼」の方が数倍気色が悪い。
なぜなら「彼」にとって休学とは「思う通りにならないので避難する、都合のいい時間」なのである。
便宜上発した「やりたいことがあるから」は休学するための口実であり、嘘だ。
なんなら休学というシステム自体、僕を通して知ったのである。
彼があの言葉を僕に放った時「お前も俺と同類だろ?いいよな逃げれて」と思われたであろうあの眼差し。彼が今は社会人になって働いていると思うとつくづく社会とはクソだ。
しかし、まぁ僕もほぼ同じだ「逃げ」の休学だ。
内定が貰えなかったことの逃げではないが、まぁ人生から逃げたのだ。ほぼ同じだ。
伝えたいこと
…さて、今「休」をするか悩んでるお前に言いたいことがある。
さっさと休学・休職をしろ。
えぇ、それが逃げだろうが行動だろうが、どうでもいい。もはや「休」に意味も大義もどうでもいい。
さっさと休め。
そして襲い来る「退屈」と「孤独」に戦え。
自分の人生すら楽しませることのできない自分に絶望しろ。どうでもいい仕事やウザい上司に人生を彩ってもらっていたことを感謝しろ。
別にお前らを納得させるために作品を作ったわけでもないのに、その発作が、周りを納得させる道具に成り下がっているのもすごく嫌だ。
…周りと言いつつも、その正体は「僕自身」なわけで。
あの発作がなければ、僕は「休学した」なんか言ってなかったのかも知れない。
たぶん僕が僕の「休」に納得したかったんだろうな。
だからどうか、
あなたが休むことに、あなたが納得できるよう、ぜひ「休んで」ほしい。
そして「何もせず、しっかり休んだ!」も紛れもなく「納得していい理由」であるとも伝えさせてくれ。
別に何もしなくていい。ただ、あなたが、あなたでいることを楽しんで。
あと、「休」をしている人を見かけたら、特にきかず「おつかれさま」と声をかけてあげてほしい。たぶん、人生が順調なら「休」なんてしないだろうからさ笑
そんなこんなで、これの文章は僕なりの応援であるということが伝わったらいいな。
では各々、素敵な人生を。
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