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服は、感情で。

やぁやぁ20歳大学生だ。今回は「作る」という行為について徒然っぽく叙述してみようと思う。

自分に向けて作るか、社会に向けて作るか

僕はかれこれ日本で20年ほど生きてきたが表現という活動に疎い。学生時代の芸術科目はどれも壊滅的。にも関わらず、大学受験で落ちまくった先に僕を拾ってくれたのはなぜか芸術系の学科。人生ってのはつくづくよくわからない。

しかし学科に入ってしまった以上、絵を書かなくては卒業できない。卒業はしたいので、イーゼルとやらを組み立て、キャンバスに向かい絵を描いた。出来はおいといて、一面の白に自分の選んだ色を塗りたくるのは爽快であり、孤独であり、時間があっという間だった。

今思えば、あの時が僕に本当の自我が芽生えた瞬間だった。

それ以降はあれこれあってその学科から別の学科に転入。そちらもそちらで学び多い毎日を送っている。

そして今は将来に頭を抱えている真っ最中。自分の自我で生きるか、社会に迎合して生きるか。この奇妙な問いに毎日あたまを抱えていた。

さて、そんな僕が今回読んだのは、日本を代表するファッションデザイナー山本耀司氏の著書「服を作る モードを超えて」

黒や、ボロ布、穴あきなど当時のドレスコードをぶっこわすデザインでパリに革命を起こしたyohji yamamoto コレクションからは 強気 強欲 パンク…と日本のもつお淑やかさとは裏腹の印象を受ける。

そんなデザインを作り上げる長とそのコレクションには性格的にどういった関係があるのだろうと知りたくなったのだ。

彼の生き様と作品についての見解を僕なりに記してみようと思う。

怒ること、反撃すること。

彼の原動力というか、魂の燃料みたいなのは間違い無く「社会」だと感じた。しかもそれは思春期特有の、何にでも中指を立ててたあの頃の心情にとても似ているように感じた。端的にいうと幼稚という表現になるが、それがもっと磨かれたような、確固たるものになったというか。

彼の経歴はとても面白い。勉学にも芸術にも才があったのだ。東京芸大にすすむか、慶應に入るか。悩んだ末の決定打となったのは「母を養うため」

芸で家族を食わせることは難しいと幼いながら感じた彼は将来のことを、今後の社会情勢のことを考え、慶應へ進学した。

この決断がおそらく彼の下した、社会のことを考えった最後の決断だっただろう。

この決断の際も社会への闘志は燃え上がっていたが、やはり恐れていたのだろうか。

そもそも社会を嫌うようになったきっかけは彼のお父さんの死亡(?)からだそう。

彼のお父さんはベトナム戦争に徴兵されそのまま音信不通に。帰りを待つお母さんに親戚が「さっさと葬式をしろ」と急かし勝手に社会的に殺してしまったことから始まる。

この時に感じたのが「こんなやつらのいる社会とやらに混ざってたまるか」という怒り。

そんな彼も進学の際は、独り身となった母のことを思い、社会への迎合を考えていたのだ。

そして慶應に入ってもその怒りは加速する一方だった。入った名門慶應の生徒は幼稚舎からのボンボンたち。肩書きに酔いしれ学生生活を謳歌(笑)している様子に怒りを感じた。

そして彼はそんなやつらの作る社会に呆れ、「執行猶予が欲しい」と母の家業洋服やを継ぐべくして文化服装学院へ進学。学校コンペで一位をとりまくりかれのデザイナーとしてのキャリアが始まった。

とまぁこれが彼の序章だ。怒りが原動力であるということは十分に伝わっただろう。

では洋服の視点で彼の怒りを読み取ってみよう。

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yohji yamamoto はメンズなイメージが強いと思うが彼はレディースに魅力を感じている男性デザイナーだ。

当時の女性の装いは、きらびやかな装飾に、露出、なにより機能性の悪さ。

働く女性というイメージが薄かった当時の女性の装いは「男性のための服」だったのだ。

しかし、彼の思う女性像はこれとは異なる。なぜなら彼の中の女性像とは「母親」から始まったのだから。

先述したように、彼はシングルマザーに育てられた。家事に育児に仕事に。休んでいる姿を見たことがないというくらい慌ただしく生きていた母親は、当時のもたれていた女性像とはかけ離れたものだった。

そこで惹かれた、美学を感じたのが、「女性の歩き去る姿」だった。その人の過去をなぞるような残像に、美しさ、儚さといった強烈な魅力を感じたのと同時に、女性のこのような魅力を消してしまった社会に怒りが湧いた。

男のための服ではない、女性の強さを発揮できるような服を作りたかった

これが彼の服作りの原点だった。

これらの怒りの原点は現状への違和感みたいなことなのか、自分自身のエゴなのかは読み取りにくかったが、とりあえずメラメラ燃えていたのだ。

そう考えると彼の作るものは、表現…というより反撃に近いかもしれない。

反撃と孤独

さてこうして始まった、yohji yamamoto という名の反撃劇。当時の美の定義をぶった切る彼のコレクションは賛否の嵐。パリのファッション誌には大きな×とgood bye の文字が。しかし求めてくれるバイヤーも多く、これをきっかけに国内外から注目が集まりました。

本人は受け入れられることはあまり望んでいなかったのだろう。反撃という意味では大成功だったのだ。

その後は奇想天外なコレクションを生み出し、一気にパリコレの目玉に。

駆け出しの頃「あなたの時代が来る」と声を欠けたバイヤーがいたらしい。その予言通り、yohji yamamoto の怒りと反撃は、たくさんの女性と男性を黒に染め、今や日本を代表するファッションデザイナーとなったのだ。

その過程に孤独はあったのか。生き様とコレクションから見るに、明らかなひとりぼっち感や理解されない苦しみみたいなのは無いように感じた。

…みんな感じていたのだろう。

彼の感じた怒りや呆れは、みんな感じていたのだ。

表現者は孤独だというが、僕は違うと思う。

政治家のように感じたのだ。

感情でデザインする

「これが美しいよね」を提案する仕事がファッションデザイナーだと思う。

人間の感性は厄介で、とてもデリケートに変遷する。

yohji yamaotoが通用したのは、時代の当たりもあるだろう。それかようじさんが読んだ上で逆算したか。

とにかく生きるためには稼がなくてはならない。そして文化の道で生きる以上、自分の個性と社会の動きが重ならなければならない。

ここでよくある議論、「自分を貫くか、社会に迎合するか」になると思うが、この流れをようじさんはしていない。

ようじさんは、時代を見て、生まれた感情でデザインするのです。

自分を貫くということは聞きはいいが、独創に走ってしまい、自己満足に終始してしまう。

社会に迎合することは企業で何百人何千人がやっていること。あなたである意味がない。

表現者とは、世の中を見て、感じた気持ちを何かしらの形にすること。

それは文章でも、衣でも、絵画でもなんでもいい。

それが怒りでも悲しみでも不安でもいい。

時代に敏感であること、その中で自分の声に耳を傾けること、そしてそれをめげずにアウトプットすること。

この一連の流れが表現なのではないかと思ったのだ。

最後に

相変わらず乱雑な文章で申し訳ない。

要は、自分とか社会とか言わずに、どっちも大事にしてええもん作ろね

ということだ。表現者は孤独だ。しかしそれは独りよがりなだけかもしれない。

僕は表現者もどき。孤独に酔わず、反省し、自分も社会も大事にできる人でありたいなと思いましたとさ。


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