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走るということ〜初のマラソン大会〜

僕の趣味はランニングである。

小学生の時にサッカーの自主トレの一環で始めて、サッカーから離れてからも急に止めるのが気持ち悪くて何となく続いていて前の記事に書いた休職したタイミングで本格的に始めた。

当時は休職しているのにこんなことをしていいのかと自分を責めていたが、主治医の先生には体調に悪影響がないのなら寧ろやったほうが良いと逆に勧められた。

プロがそう言うのならそれに従おうと良い意味で開き直れた。
当時は無料アプリ(asicsやアンダーアーマーのもの)を使って、今はランニング用の腕時計とそれと連動するアプリを使って自分の走った成果を記録している。
数字で物事を管理することは仕事の中で営業成績に悩んだこともあったので少し抵抗はあったけど、いざ自分で取り組んだことを数値化して見てみると面白い。

自分のやったことを見える化することは思っていた以上のものを僕にもたらした。
ただ走るだけでも達成感だったり、ご飯が美味しく感じたりと僕の中では走るという行為は人生を豊かにするものには違いない。
でも抵抗があった数字での管理が確かに何かをもたらしてくれたのだ。

余談だが、走ることの副産物として休職で増えに増えた体重がみるみると減っていったのも面白かった。ダイエットなんかも数字で分かる成果物の最たるものだ。

休職している間はリワークデイケアに通っていた。朝から夕方まではデイケアに通って、夕方家に帰ったら走りに行く。そして風呂に入ってご飯を食べて早く寝るというのがすっかりルーティンになっていた。

振り返ってみると僕は習慣化することは割と得意で、それが上手くいってると心も安定する。
段々と調子が良くなり、周囲の方々からの決して少なくない助力を得て、無事復職できた。

職場に戻ってからも時短勤務だということもあって、走ることは続けた。
この行為は自分を強くしてくれている、そう確信したからだ。

ふと、思い立ってマラソン大会に参加してみようと思った。
10kmの大会だ。
10kmは何回も走っているが、ネット情報によると大会で走るのと普段走るのでは空気が違うらしい。周りに釣られてペース配分を誤ってしまうという失敗談を多く見かけた。
先の記事の就職活動のくだりといい、僕は周りに流されやすい。気をつけねばと肝に銘じた。

3月というあったかくなり始めた時期。僕にとって初めて自分の意思で出るマラソン大会だ。
昔から心配をかけてばかりの親からは何回も「無理しないで」と言われた。
若干煩わしさを感じたものの、自分自身改めて「とりあえず完走…あわよくば60分切りたい」くらいの目標を肝に銘じたのは覚えている。

会場に着くとそこは河川敷だった。住んでる所の近くではまず見かけない。
といっても正直深い感動もない。何故かと言うと1週間くらい前にたまたま会場近くに用があって、遅刻しないように下見をしたからだ。(心配性なのは似たもの親子なのかもしれない)
でもとても走りやすそうなコースだとワクワクはしたと思う。
分かりやすい受付でスタートまで少し時間があった。するとゾロゾロと他の参加者が集まってきた。
多くのマラソン大会に参加しているのかスタッフの人と親しげに話す人、友達と来ている人と様々だった。明らかに大会慣れしている人は身体つきが違った。
相当走り込んだのであろう引き締まった脚。素人だからよくはわからないけど、体幹のシルエットも綺麗な気がする。「あ、この人速いな」と何となく雰囲気があった。

僕の目標はあくまで完走。人は人、自分は自分。
これは休職中にも学んだ大事な考え方である。

集合写真も撮っていよいよスタート直前。スタート地点に参加者約20人程度が集まる。
この大会のコースは片道5kmコースを一往復だ。

10km以外にもハーフ、30km、フルと大会が行われていて、他の種目の人達は既に走り始めていた。
ゼッケンの色でどの種目かは分かる。
恐らくだけどフルのトップ争いをしている人達が戻ってきた。とてつもなく速い。あのペースをあとどのくらい走るのだろう。
スタッフに促されて「頑張って!」とか「ファイト!」とか声を掛けた。

そんなことをしているとスタートまであと数十秒。アナウンスが流れる。
皆、段々と緊張感の増した表情となる。ランニングウォッチのチェックをしたり、その場で跳ねている人、それぞれだ。
僕は「自分のペース、自分のペース」とひたすら自分に言い聞かせていた。

そして、いよいよスタートまで10秒。
カウンドダウンが始まり、そしてそのカウントは静かにゼロを告げた。

それが僕にとっての初めての挑戦の合図となった。

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