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なぜ自分は「つながること」を大切にするのか?(後編)

うりもです。前編は自分の幼少期から学生時代を振り返りました。

幼少期の「誰かと一緒にいたい」という思いから、学生時代の経験を通して「人を知りたい、人を笑わせたい」という思いに変わってきていました。

後編は社会人になった頃からの自分の振り返りをさせていただきます。

「だれが知りたいねん!」

と自分でツッコミを入れたくなりますが、新しいつながりを作っていく上でまずは自分のことを知ってもらうことが必要かと思い、恥ずかしながら続けて書かせて頂きます。

就職活動はそれなりに面接を受けましたが、経済学部の私を採用してくれたのは当時携帯会社の営業の仕事を募集していた会社でした。もともと、「人と接する仕事がしたい」と就職活動をしていましたが、行きたいとぼんやり思っていた教育系の会社からは採用されず、お声をかけて頂けたのはたったの1社でした。

一旦、就職活動を終えようとしましたが、たまたま友人のお母さんが福祉の仕事をされていて、「福祉も人と接する楽しい仕事よ」と教えてくださったのをきっかけに、1度その世界を見てみようとタイミング良く開催していた福祉の就職合同セミナーというもに参加してみました。

もちろん福祉系の資格など持っていなかったので、無資格でも受け入れてもらえるところを探し、時間も持て余していたこともあり結局3社の実習と面接を受けさせてもらうことにしました。

その実習で、「この仕事がしたい!」と無謀にも感じてしまい、そこから必死にアピールし、奇跡的に3社のうちの1社がこんな無資格未経験の私を拾ってくださいました。そんなこんなで、営業の仕事の道より福祉の仕事の道を選ぶことになりました。

そこから、障害者福祉約10年、高齢者福祉約10年、途中で教育系の営業の仕事に浮気したこともありましたが、福祉の仕事を中心に経験することで今の自分の思いが作られていきました。

その中で、2つ目の人生のターニングポイントになったと感じる出来事は、障害者福祉の仕事をしていた時代に、障害者の就職活動を支援する仕事をさせていただいていた時の出来事です。

私は障害者の方の生活支援、余暇支援、作業の支援等は経験を積ませて頂いていたのですが、就職したい障害者の方のサポートをするのは初めての経験で、とにかく必死に色んな企業に訪問しては「就職させてください」と提案して回っていました。

なかなか理解を示していただけないことの方が多い企業への訪問の中で、洋菓子の製造工場との嬉しい出会いがありました。「障害を持つ方の真面目にコツコツ働く力を発揮し、お役に立てる仕事内容はありませんか?」との私の無理な提案に、工場長さんが「私は心臓が強くない。大きい敷地内の庭の雑草の手入れがそのままになっていて、やってもらえると助かる」と理解を示してくださいました。

まずは無料で雑草の処理を当時の障害者施設の清掃班に所属する障害を持つ方達と一緒に行い、その実力が認められ、工場内の清掃の仕事や、作った洋菓子を一時的に入れる大きな箱(ばんじゅう)を機械で洗う仕事など、どんどん働く機会を与えてくださるようになりました。

その時に、製造工場に勤める一般のパートスタッフさん達にもやさしく声をかけて頂けるようになり、いつしか「掃除やばんじゅうを洗う仕事は、暑い場所やし大変やからあんたたちが休んでもらった困るし、ほんまに助かってる。絶対仕事にきてや!」と障害を持つメンバーや私を励ましてくださるようになりました。

初めは、「障害がある人達なんやね」という周りの反応から、「いてもらわないと困るわ」という「持ちつ持たれつ」の関係性への変化を感じ、「持ちつ持たれつの関係性になれば、障害があろうがなかろうが人はつながりを深めていけるんだ」と実感し衝撃を受けたことを今でも覚えています。

その出来事以降、「人を知りたい、笑わせたい」という思いから少しずつ「自分だけでなく、人と人とがつながる何かを作りたい」と思うようになりました。

もちろん洋菓子工場の方達がとても良い感じの方ばかりだったのが大きかったのですが、持ち前の勘違い力で、「人と人とがつながる仕組みを作っていけるのではないか」とこの頃は有頂天になっていました。

その後、勘違い力を発揮した私は一般企業の中に自分が入り込み障害者雇用を進めよう、仕事でつながる仕組み作りをしようと意気込み一般企業の営業の仕事に転職し、チャレンジしましたが営業のノルマの世界に追い込まれ、結局何もできないまま2年で挫折してしまいました。

そして自分の力のなさを思い知った私は、やっぱり好きだった福祉の仕事で1からやり直そうと思い、経験したことがなかった高齢者福祉の仕事を選び、コツコツと自分の身の丈にあった行動をしていこうと思い直しました。営業職時代の失敗を受け入れるのにかなり時間はかかりましたが、それでも何かの縁で自分の目の前にいる人達と繋がっていくことは大切にしたいと「人とつながりたい気持ち」は消えることはありませんでした。

昔からの知り合いには「小さくまとまってしまったな」など言われたこともありましたが、自分の中ではこの頃から少しずつ「自分のダメな部分を認めて、それでもやりたいことをやれる範囲でやろうと思えるようになったちょうどいい感じの自分、現実的なスタイル」になっていくきっかけをもらえたのだと思います。だから営業職時代の挫折も3つ目のターニングポイントになっているのかなと今は思えています。

今も高齢者福祉の仕事をコツコツ続けていますが、年々、有難いことに任される仕事の範囲が広がっていき、出会う人も自然に増えていきました。それでも無理をせず自然の流れに任せて「つながりを考える範囲」も増やしていき、会社内だけではなく他事業所や地域の方達とつながる企画にも自然なペースで参加していくようになりました。

今、コロナ禍でまた「つながり」が途絶えてしまっていましたが、またダメな自分になってしまっていたんだと認めつつ、再びきっかけをもらう時期が来たんだなと自分では思っています。苦手だったSNS等で再び「つながり」を求めていく自分がいるのも、「なんでやねん」と思いながらも自然に受け入れられています。

今度は何があってもやりたいことを続けていけるように、「つながり活動」と自分で名付け、それでも自然の流れに任せたペースでやっていこうと思えています。これが4回目のターニングポイントになったなといつか感じる時が来ればいいなと思います。

人って何回もターニングポイントがあるのかな?自分はただ大袈裟なだけなのかな、なんて思うこともありますが、これも自分だと受け入れています。

長くなってしまいましたが、今の自分のやりたいことは素直に「人とつながること」であり、つながることで「自分自身が満足でき、周りの人も一緒に満足してもらえるものになっていれば嬉しい」と思います。

誰かに良く思われようとか、仲間外れにならないようにとか、そういう理由ではなく、ただ純粋に自分がやりたいことなのです。

それが今の自分の「つながること」を大切にする理由です。

前編より長くなってしまいました。申し訳ありませんm(_ _)m。





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