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なぜ自分は「つながること」を大切にするのか?(前編)

これから「つながり活動」を進めていくにあたり、なぜ自分が「つながること」を大切にするのか、あらためて自分を振り返ってみようと思います。

私は6歳の頃に父親を病気で亡くし、母と兄と私の3人で大阪で暮らしていました。

当然、母1人の働きでは生活も苦しく、兄は学校に行きながら高校時代からはアルバイトをしたりもしていました。

私自身は学校以外は自宅に1人でいることが多く、その時はそれが当たり前だと思っていましたが、今振り返ると、誰も家にいなくて寂しいとは思っていたが「そんなことは言ってはいけない」と子供心に感じていたように思います。

その頃から「誰かと一緒にいたい」という思いはあったのだと思います。

だから自分にとって学校は楽しい場所でした。人がいるから。激しいイジメも受けなかったからかもしれません。

今振り返ると小学校時代は、「人とつながりたい」というより、いかに「人に嫌われないようにするか」が自分の中では大事なことだったように思います。

そのために「人の言うことは断らない」「ノリよく受け入れる」ことに全力を注いでいました。

中学校時代も小学校時代の「人に嫌われたくない、1人になりたくない」という思いは持ち続けていましたが、中学校1年生の時に足を骨折したことで、「嫌われるのではないか、1人になるのではないか」ということに対して、「人に何かを頼まれても骨折しているのでスムーズに動けない、ノリは良くても何も一緒に出来ない」という状況になったことで、初めて何も出来ない無力感を感じた時期がありました。

「自分はクラブ活動のメンバー全員から置いていかれるのではないか」と感じたり、先輩から「サボってるようなもんや」と言われたのが心に刺さり、「もう自分は嫌われるのではないか」と本気で思い込んだこともありました。

中学2年生で思い切ってクラブを変わり、新たな場所で感じたことは「ある場所で無力を感じても、違う場所でも無力を感じるというわけではない」ということでした。レギュラーではなかったけれど、そのクラブのメンバーと一緒にいることが「自分もその中の一員なんだ」と感じさせてくれる場所でした。なんとなく自分が選んだことで目の前の状況が変わるということがあるんだと、ぼんやりと学んだような気がします。

高校時代が自分の1回目のターニングポイントでした。とにかく自分に少し自信が持てた時期でした。クラブ活動でかなり体や心が鍛えられたこと。アルバイトも3年間続けられたこと。一生モノの友達に出会えたこと。人とたくさん話ができるようになったこと。恥ずかしがらずに自分を出すことができるようになった時期でした。この頃から、「嫌われたくない」というよりも、純粋に「人を知りたい」「人を笑わせたい」という気持ちの方が強くなっていったように思います。

大学時代はアルバイトに明け暮れた時期でしたが、学校、アルバイト先、仲の良い地元の友人達など色んな人達と楽しく遊び、気付けば就職活動時に「コミュニケーションに自信があります!」なんて履歴書に書いていました。

学生時代の振り返りはここまでにします。

次回は社会人になってから今までの振り返りをします。
もう少しお付き合いください。m(_ _)m



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