半分ずつに分ける。
小さい頃、私は「 半分ごっこ 」といっていたが、
方言なのか、色んな言い方があることに気付かされた。
半分こ、半分ごっこ、半分ずっこ、半分こずっこ・・・
以前、ドーナツ1つを持ってきて、
「 半分ずっこしよ〜 」と言ってきてくれた方がいて、
「 ずっこ? 」と思いながら、それ以来、「 ずっこ 」が気に入ってしまった。
私は、誰かと何かを決めたり、実行したりする上で、
自分だけの思いや考えだけで進めることはしない。
自分1人だけですることについては、もちろん自分で決めたり、実行したりするが、
複数の方と何かを決めたり、実行する時は、
自分の思いや考えが他の方の思いや考えと半分ずっこされるものだと捉えている。
思いや考えを混ぜ合わせる配分を、
可能な限り、「 半分ずっこ 」しあうイメージ。
そうして、協力して1つのものを作り上げていくことで、
人とのつながりも深まっていくと思っている。
自分の思いや考えを是が非でも通したいという思いよりも、
みんなの意見が混ぜ合わさるとどうなるかという思いの方が強いし、面白い。
そもそも、色んな人と関わりながら生活を送る中で、
自分の意見や思いだけで全てを決められるわけがないとも思っている。
例えば、この夏にどこかに旅行に行こうという話になったとする。
その場に4人いたとしたら、
いきなり4人が思うそれぞれの地名を言うのもいいが、
「 旅行で何をしたいか? 」
をまず全員に聞く。
すると、
「 泳ぎたい! 」
「 美味しいものが食べたい! 」
「 景色が見たい! 」
「 何か作りたい! 」
など、色んな意見が出てくる。
そして、出てきた意見を全て満たせる場所はないか、
まずその視点で一度考えてみることを最初にする。
みんなの思いを半分ずつ取り入れていくイメージ。
諦めずに話し合った結果、旅行の内容が、
みんなの思いや考えを、半分ずっこ(4人なら1/4だが)しあった形になれば嬉しい。
それが、その場の人の思いが組み込まれた1番つながりを深められる形だと思う。
もちろん、そんな綺麗にはいかない。
その場合、結局は「〇〇さんの案にしよう!」という決め方になる場合が多い。
その決め方になったとしてもいいのだが、
「 じゃあ、次回は他の人の案のところにも行こう!」
という具合に、
必ず別の機会に他の人の思いや考えも取り入れられる機会をとるようにしたい。
そういう「半分ずっこ」の精神を大事にしたい。
つながりを深めるため、関係を継続していくためには、
そのほうがいいと思っている。
誰かが1人で決めてしまう関係性も世の中にはたくさんあると思う。
ただ、それではいずれ継続性がなくなってしまうと私は思う。
周りの人、他の人が我慢している場合が多いからだ。
決められた思いや考えを一方的に受け取る場合に、
相手の全てを受け入れるのが愛だと考える人もいると思うが、
・・・(昔、私がそうでした 笑 )・・・
いつか、自分のコンディションが悪い日などに、
些細なことで思いが爆発してしまう時が必ずくる。
つながりを継続するためには、
互いの思いや考えを、
「 半分ずっこ 」しあう形を目指すのが望ましいと思う。
つながりは、
継続できるからこそ、
深められると思うから。
視点を変えると、
みんなの思いや考えを半分ずっこしあうために、
自分の思いや考えを、
まず明確に持っておかないといけないということにもつながる。
自分の思いや考えがないと、
お相手と半分ずっこしあっている感覚が味わえないからだ。
自分の存在があってこそ、
お相手と半分ずっこしている感覚が味わえる。
半分ずっこできた経験があると、
その人とはつながりを深められたと実感できると思う。
もし、つながりがあまり感じられない時は、
自分の思いや考えが伝えられていない、
もしくは、わかってもらえていないと感じている時だと思う。
半分ずっこになっていないのだ。
「 半分ずっこ 」。
この柔らかい言葉の響きが好きだ。
何においても、分け合う気持ちがあれば、
きっと、人とつながる機会、深まる機会は増えていくと思うのだ。
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