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2020年をさすらう旅人たち~現代に現れた神話の呼びかけ~

どんな時代でも、人々は約束の地を求めて旅を続ける。

 8月初め、やっと1917~命をかけた伝令~のBlu-rayが届きました。今年2月に映画館で観た、ワンカット風にシーンを繋げることで恐ろしいまでの臨場感を実現させた名作。
 それをじっくり観ることができる環境になったので、今回は趣向を変えた話ができたらと思います。
 タイトルは、「2020年をさすらう旅人たち」。紹介するのは先の「1917 命をかけた伝令」ともう一つ、「THE LAST OF US PARTⅡ」。
 どうしてこんなタイトルにしたというと、この2作品に共通の事項を見つけたからなのです。

 本稿は、THE LAST OF US PARTⅡ・1917~命をかけた伝令~、この2作品のネタバレを含みます。

1.共通するもの Wayfaring Stranger

 どうしてこの2作品を一つの記事としてまとめたのか。これらを視聴&プレイした人はタイトルからも想像できるかもしれません。
 それはWayfaring Strangerです。

 訳すとさまよえる旅人。調べてみたのですが、アメリカの聖歌・民謡で多くの歌手がカバーしており、タイトルも「旅人よ」だったり「I am poor Wayfaring Stranger」だったりとバラエティーに富んでいます。
 歌詞は調べていただくと詳細をあげたものもあります。簡単に言うと、「私は安らぎを求めて旅をしていて(魂の)故郷に帰れば父と母が待っている」みたいな、様々な示唆に富んだ曲です。
 すでに言ったように、今年に公開された2作品はこのwayfaring Stranger がそれぞれの形で使用されています。
 では、登場近辺のシナリオを見ていこうと思います。

※超絶ネタバレ注意です。



2.THE LAST OF US PARTⅡと「Wayfaring Stranger」

 多くの人間を殺し回った旅の果て、様々な葛藤を経たエリーは復讐対象であるアビーを殺さないという選択をとった。
 復讐を止めたエリーは、左手の小指と薬指を失いながらも愛する家族がいる地へ戻る。だが、そこに家族はいなかった。荷物もすべてもぬけの殻で、エリーの自室だけがそのままだった。
 殺されたジョエルの形見のギターを見つけるエリー。いつものように弾こうとするが、指をなくしたためもう満足に演奏することもできない。
 哀愁を漂わせ、エリーはジョエルとの最後の会話を思い出す。
「あんたのことは許せないと思う。でも許したいとは思ってる」
「……それでいい」

 エリーはギターを置いて、また旅立っていく。その行く先はまだわからない。
 物語の終わりを告げるエンドロールとともに、エリー(娘)とジョエル(父)が歌うWayfaring Stranger が流れる……。

3.1917~命をかけた伝令~と「Wayfaring Stranger」

 時は第一次世界大戦時、1917年4月6日。ドイツに対する大規模侵攻作戦、その中止命令伝達の任を受けたスコフィールド上等兵は、任務を共にした相棒と別れたった一人でD連隊を目指して進む。
 狙撃の嵐をかいくぐり、荒廃した深夜の街を追いかける兵士たちから逃げ続けるスコフィールド。彼は、身を守る銃も失い、命からがら川に身を投じる。激流のなか意識を失うが、なんとか意識をつなげて水面に顔をのぞかせる。
 目を覚ました時、自分の回りには白い花びらが揺蕩っていた。相棒と別れる直前の花咲く木々を思い出す。死体の山を這いずって川から陸へ。しかし、恐ろしい体験ゆえに、彼は声を荒げて泣きわめく。
 その時、どこからか歌声が聴こえてくる。「ただひたすらヨルダン川を越え ただひたすらふるさとへ──」身も心もボロボロになっても、声のする方へ近づくスコフィールド。
 声の主は、大勢の別隊の兵士たち。スコフィールドにはすぐには判らなかったが、彼らこそスコフィールドが探していたD連隊だった。彼らは大規模攻撃作戦の前に、この聖歌を歌っていた……。

4.「さまよえる旅人」の共通点

 人も文化も滅亡しかけ、その中で微かな生が星屑のように描かれる終末世界。
 騎馬隊から戦車部隊へ、蒸気から電気へ、地域戦線から世界大戦へ、(語弊はあると思いますが)多くの文明分野が進化し始める時代。
 個人の感覚では、初見ではラスアスは後退しつつある社会、1917は前進しつつある社会というイメージがあります。
 自分が考えた共通点は、いくつかありました。
 どちらも人の生き死にが簡単に描かれる情勢下であること。前に進む渦中・後退しつつある渦中、どちらも過渡期であるという点。
 当たり前ですが、どちらも壮絶な物語、平和な時間ではありえません。
 エリーが指を失ってまで戦いを続けた後の「静」の時間。スコフィールドが敵地を抜けた後、同時に侵攻作戦前の「静」の時間。
 当然使用する意図は両製作者とも違うでしょう。製作期間から考えても今年にこの曲が起用されたとは考えづらいです。が、妄想好きな自分としてはその偶然の必然性に意義を感じざるを得ません。

 私は貧しきさまよえる旅人。悲しみの世界を旅してまわる。病や苦労危険もない明るく輝く世界を目指して。私は父なる方に会いに行く。私は母なる方に会いに行く。ただひたすらふるさとへ。

 失った父を自分の中での落とし所へ、平穏へもっていくための復讐の旅路。失った友の願いを受け継いで、彼の兄たちに平穏を届けるために行く戦争の中のひと時。
 「さまよえる旅人」の歌詞は、読みこめば読み込むほど、2つの作品の空気に形を変えて溶け込んでいると思います。
 失った存在の幻影を求めて旅をして、その果てに待つ含みある平穏を享受する……過酷な二つの物語には、彼らを救うための拠り所が必要だったのではないでしょうか。特に平穏な日常から物語の世界へ飛び込むプレイヤー視聴者にとっては、現実に根差したこの曲によって、根本的な部分で緩衝材となっていたのかもしれません。

5.Wayfaring Strangerの起源

 ネットでこの曲の起源を調べてみたのですが、調べ方が浅かったのか仕方なかったのか、どちらにせよ詳細は不明、というものでした。ただ、アメリカ民謡である、というのは曲紹介で出ていました。
 アメリカ民謡というものを調べてみると、アメリカの大地を開拓する前のアメリカン・インディアンだけでなく、植民地として移住してきた西欧の人々が受け継いでいった歌も多いみたいです。イギリス系アメリカ民謡というものもあるそうで、そう考えるとイギリス人のスコフィールドの物語にも、アメリカを舞台とするエリーの物語にも、登場しても違和感はありません。

 こういった歌は口頭伝承という特徴から、歌詞・曲調すべてがそのままでなく、判らない歌詞を自分で埋めたりして、それぞれの解釈の下に多種多様なその曲が広がっていくのだとか。YouTubeで上げられている沢山のアーティストが生み出すWayfaring Strangerはそれぞれ特徴がありますし、この記事で上げている2作品のそれも、また違います。ラスアスは哀愁漂う娘と中年親父のデュエット、1917では演奏は補助に努め、男性の清らかな声がまさに聖歌のように聴こえる(最初、アカペラかと勘違いしてました)。

6.この2020年に現れた意味

 それぞれの物語にとっては、「さまよえる旅人」はきっとエリー・スコフィールド(から始まりジョエルやブレイクなどなど……)や彼らの心情を表現しているでしょうし、きっと考察する人の一人一人によって物語に対する意味は違うでしょう。
 ただ、先にも書いたように、タイトルにも表したように、気になるのは、使用意図が異なるであろう同じ曲が、同時にこの2020年の情勢下で世間に触れた意味だったりします。

 2020年もすでに8月。今年を表現する話題と言えばやはりcovid-19、いわゆるコロナウイルスの猛威でしょう。そして世界情勢も、2大国が争いを激化し始めています。
 ウイルスに関して、非情なことを言えば100年単位でよく現れるものだったりします。2大国の争いなんて、そもそも隣国同士は仲が悪いのが普通で、かつ交通情報それぞれのインフラによって距離が近づいた現代社会では、件の両大国が争うのは何らおかしくない。現代は個人が尊重されているだけで、ひとたび免罪符や口実ができれば、自分を保身しつつ容赦なく相手を叩く、その本質は変わりません(という意見を私は持っています)。
 第二次世界大戦後75年。新たな戦争を踏み切ることなく、見せかけは平和だった日本にとっては、この時代の流れは、分離・過渡・統合の中の過渡の時期であるようにも感じます。
 日本でなくとも、ゲームや映画のような娯楽を享受できる先進国の一般人にとっては、少なくとも最前線の軍人よりは日本人に近い価値観ではないでしょうか。

 病気・医療・経済・国防。様々なものが関連している以上、どんな人も連鎖的に何かの変化を迫られずにはいれないと思います。やはり世の中の多くの人が、過渡期の真っただ中にいるのではないか、そう思えるのです。
 Wayfaring Strangerがそれぞれの形でこの2020年に放たれたのは、この曲が世界中の人々に対しても捧げられたものだからではないでしょうか。
 さまよえる旅人はエリーやスコフィールドだけでない。実はその旅を見届ける自分たちこそ、現実世界をさまよえる旅人だと思うのです。
 多くの困難に立ち向かう人々がいる。進む道は険しく遠い。それでも、人々は心のふるさとへ、病気も苦労も危険もない、明るく輝く世界を目指す。誰もが目指す未来。そこには父と母と救いの手が待っている。
 これはあくまで戦後75年で、20代半ばで、平和ボケした日本人である自分の主観です。
 それでも現実は、特に日本は死の現象がいろいろと遠ざけられているだけで、最終的に人間に死が待っていることには変わりありません。やはり創作世界の主人公たちと同じ苦しみ・葛藤を背負わされます。

 2020年より先は、変化した後の世界。私たちも、何かしらの変化をしなければついていくこともままならない。
 ならば、参考にすべきは先んじてさすらう旅人となった二人の心の在り様。このWayfaring Strangerを支柱にしてみても、良いのではないでしょうか。

お付き合いいただき、ありがとうございました。

記事を最後までお読みいただきありがとうございます。 創作分析や経験談を問わず、何か誰かの糧とできるような「生きた物語」を話せればと思います。これからも、読んでいただけると嬉しいです。